熊本熊的日常

日常生活についての雑記

メメント・モリ

2008年05月19日 | Weblog
このブログの他に、2つのブログを書いている。さすがに、ブログばかり書いてもいられないので、ひとつは月に一回程度しか更新せず、もうひとつは仲間と一緒にやっているものなので、殆ど投稿していない。その仲間のほうも殆ど投稿しないので、ほったらかしになっている。今日、その仲間でやっているブログのほうに映画評の投稿があった。取り上げられていた作品は「最高の人生の見つけ方」。

映画サイトなどにあるあらすじを読む限りでは、メメント・モリの思想をモチーフにしているように思われる。死神が金持ちと貧乏人を共に連れ去る姿は、教会の装飾などによく使われている。西洋では、恐らく常識に近いものだろう。この作品は、たまたま同じ病室に入院することになった富豪と自動車整備工が、たまたまどちらも末期癌で余命半年という同じ状況に置かれ、それまで築いたそれぞれの人生を乗り越えて、人として普遍的なところで通じ合うものを得る、という物語になっているような気がする。主演がジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンなので、それだけで自分にとっては期待値の高い作品だ。日本では今月公開だが、こちらでは昨年公開だったようで、7月にDVDがリリースされる。(米国では6月リリースだそうだ)

人生は楽しみたい。しかし、楽しいだけでは生活はできない。それが現実だ。様々な人々との様々な関係があり、それが時に幸運をもたらし、時に災いをもたらす。人生のなかで出会う出来事は、どちらかといえば厄介なことが多い。少なくとも今までは多かったような気がする。楽しいことはすぐに消えてしまうように感じられ、苦しいことは滓のように蓄積されていくように感じられる。それもこれも、今の延長線上に未来があり、それに備えなければならないという意識があるからだろう。

その備えるべき未来が半年しかなかったとしたらどうだろう?「ねばならぬ」という意識は、おそらく軽減されるのではないだろうか? そのような状況に未だ至っていないので、何とも言えないが、死が目前に迫っていることを宣告されれば、最初は絶望するだろう。そして、自分のなかで気持ちや考えが整理された後に、それこそbucket listが無意識のうちにつくられて、リストアップしたことを実行しようという意欲が、死の恐怖に対する鎮痛剤のような役割を果たすのではないかと想像できる。

人生の最後の半年間が思いっきり楽しかったら、満足してあの世に行けるものなのだろうか?

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