熊本熊的日常

日常生活についての雑記

娘へのメール 先週のまとめ

2008年03月30日 | Weblog

お元気ですか? パソコンやカメラは毎日いじって、使いこなせるようにしましょう。カメラバックは応募しましたか? あれは便利だと思いますよ。

東京は、もう桜が盛りを過ぎようとしているようですが、こちらは、なかなか春らしい気候にはなりません。それでも、今日からサマータイムが始まりました。日本との時差は9時間から8時間へ、1時間だけ縮まります。

休暇開け、最初の週は長く感じられました。こちらはイースターの休暇を楽しむ人が多く、職場は普段に比べると人が少なく感じられます。水曜日にロンドン勤務の日本人の集まりがあり、久しぶりに大勢で食卓を囲むという場に出かけてきました。ロンドンの社員数は約1万2千人ほどですが、そのなかで日本人はわずかに20数名です。そのうち日本語に堪能な中国人1人を含む9名が参加しました。話題は専ら現在準備中と見られるリストラ第二弾のことでした。9人の所属がばらばらなので、様々な部署での様子が伝えられますが、どこも悲惨な状況のようです。今月末発表説、というのがあったので、東京の同僚に、そんな話題があるようだけど、と、メールを出してみたところ、東京では5月9日説が流れているとのことでした。こんな陰気な時期こそ、投資には絶好の機会と、私の眼には映るのですが、先立つものが無いので残念な気分です。

先週は、東京で買った、青柳恵介「柳孝 骨董一代」(新潮社)を読みました。これは芸術新潮という月刊誌に連載されていた京都の古美術商、柳孝氏と彼が扱った名品と呼ばれる品々とのかかわりについてのエッセイをまとめたものです。写真が美しく、文章も読みやすいので、どこを開いても楽しく読むこと
ができます。今回の休暇の間、出光美術館で西行の墨跡を観たり、たまたま通りかかった骨董市をのぞいたり、益子を訪ねたりしましたが、骨董の世界というのはとても面白いものです。

どんなものであれ、物にはそれぞれの来歴というものがあります。そうした時空の蓄積の上に、目の前の物が存在しているのですが、そこにどような価値を見出すかは、見る人次第です。勿論、来歴が明確で、市場での評価が固まっているものなら、その価値は市場価格によって表現されます。しかし、一見して
価値が分かる物というのはむしろ稀で、骨董あるいは古美術と呼ばれるものの殆どは、単なるがガラクタと見分けがつかないものです。そこに、人の世界のいろいろな不思議が見えるような気がするのです。同じ来歴の茶碗でも、誰の所有物であったかによって、価値が違ってしまったり、作者の評価が変わるこ
とで、その作品の評価が変わってしまうことも当たり前です。物の美しさとか価値というものは、絶対的なものではなく、我々の社会のなかの関係性の上に成り立っているということがよく見えてきます。ようするに、物理的に明確な存在であるはずの物ですら、その価値に絶対的というものはなく、人の世界と
の関わりのなかでのみ位置づけられるということです。とすると、美しい、ということはなんと儚いことなのかと思わずにはいられません。おそらく、人の感性という個人的なものであるように見えるものも、関係性によって外部から規定されているのかもしれません。「私」というのは実在ではなくバーチャル
リアリティのようなものなのでしょう。

もうすぐ新学期が始まりますね。2年生の学習内容は1年生のものよりかなり難易度が高くなるはずです。しっかり勉強して下さい。そして、ものの価値をきちんと見分けることができるような人になってください。

カードを送ろうと思い、カードを買ったのですが、まだ書いていません。パソコンのことを書くつもりでいます。もう少し待ってください。

では、また来週。

 


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