熊本熊的日常

日常生活についての雑記

5月の思い出 ハヤシ君

2008年05月23日 | Weblog
首都圏のとある公立中学を卒業した。公立の小学校とか中学校は、多様な家庭の子供たちがひとつの集団を形成するという特異な場である。友達の家に遊びに行くと、お兄さんやお姉さんがオア兄さんやオア姉さんで、度肝を抜かれるということもあったし、大きな屋敷で、一部屋が鉄道模型のジオラマのためにつぶされているという家もあった。店をやっている家もあれば、町工場を経営している家もあったし、開業医の家もあれば、勤め人の家もあった。私の学年は5クラスあったので、生徒数200数十名の学年規模だったということになる。いろいろ事情があって、その殆どと面識があったが、現在まで付き合いがある奴はひとりもいない。たまに同窓会に顔を出すこともあるので、そういう意味では全く縁が切れているわけでもない。

その中学校の同級生に林君がいた。勉強ができるとか、運動が得意とか、記念切手の発売日は何故か遅刻してくるとか、鉛筆を30分以上回し続けることができるとか、そのような特徴的なことはなにひとつない奴だった。つまり何事も無ければ忘れ去ってしまうような奴なのである。何故、林君のことが鮮明に記憶されているかと言えば、彼が大怪我をしたからだと思う。

中学1年が始まってほどなく、たしか今ごろの季節だったと思うが、彼は学校に来なくなってしまった。自宅の2階から落ちて頭蓋骨陥没という大怪我を負ったのである。数ヶ月の後、登校してきた林君を見て驚いた。頭部の手術跡が生々しく、ただでさえフランケンシュタインのような顔をした林君の額の上のほうが、呼吸に合わせて膨らんだりへっこんだりするのである。

席が近かったので、彼が怪我をする以前から、言葉を交わす機会は多かった。入院、療養を終えて彼が登校してきた最初の日、見た目が怖かったので最初は少し引いたが、何か声をかけなければ、と思い、話しかけた。

「オマエな、勉強できないの、頭の怪我の所為にすんなよ。」

彼から返ってきたのは強烈なキックだった。

林君は、家業のオートバイ屋を継いでいて、しかもその店が繁盛しているらしい。しかし、中学を卒業して以来、彼には会っていない。

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