熊本熊的日常

日常生活についての雑記

China Design Now

2008年07月07日 | Weblog
昨日、Victoria and Albert Museumで開催中の「China Design Now」という企画展を観て来た。展示は大きく3つのコーナーから構成され、商業デザイン、服飾・雑貨、建築をテーマにしている。おそらく中国側にしてみれば、見違えるように整備が進んだ北京の街並に象徴される現代建築をアピールしたいのだろう。それはそれとして興味深いものであったが、商業広告、特に漢字の表意性とデザイン性に注目した広告作品が面白いと思った。漢字の持つ意味は予備知識がないとわからないので、この面白さは漢字文化圏に属する人にしか通じないかもしれない。

最近、中国に対しては国際社会のなかで政治的な逆風が吹いているように見える。急速に経済発展を遂げた国に対しては、それがどこであれ、殊に非欧米圏ならなおさらのこと、多かれ少なかれ逆風が吹くものである。中国の場合、長年に亘って東洋の歴史を牽引しており、それが今日の発展の基礎になると同時に障害になっている部分も無いわけではないだろう。直近100数十年は停滞局面であったと思われるが、その停滞があればこそ、大胆な発想の転換とそれによる経済発展につながったのではあるまいか。

ロンドンで生活するようになって改めて気付いたのだが、ここで暮らす中国系の人々は中国語を大切にしているようだ。コミュニティ紙の広告には、中国系住民向けとみられる北京語講座などもある。先日「semilingual」にも書いたような言語の重要性というものを、中国の人々は、過去の様々な苦難を通じて経験として認識しているのではないかと思う。自己の思考の軸をしっかりと捉えている民族というのは、国際社会が少しぐらい混沌としても、その波に飲まれて滅びてしまうというようなことがないように思う。複数の言語を使い分けざるを得ないような状況に置かれている国というのは、人口が少ないというような事情もあるかもしれない。しかし、自国の言語を捨て、大国の言語に依存するという選択を行うと、結局、その民族は大国のなかに埋没してしまうのではなかろうか。

今回の展示は少し物足りない印象がある。中国は広大な国なので、その様々な構成要素を「中国文化」などという言葉で括ることはできないだろう。が、その物足りなさの原因は、現代という時代によって醸成されたものの層が薄いということではないだろうか。文化大革命という文化の空白による傷がまだ完全には癒えていないということかもしれない。

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