万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

オウム死刑執行―”慎重発言”の平岡法相の真意とは

2011年11月22日 15時27分53秒 | 日本政治
オウム死刑執行「慎重に判断」…平岡法相(読売新聞) - goo ニュース
 昨日、オウム事件が結審したことを受けて、平岡法相は、刑の執行については、”慎重に判断する”と記者会見で述べたそうです。どのような意味で、平岡法相は、このような発言をしたのでしょうか。

 まず、オウム事件は、宗教団体の起こした事件であり、オウム真理教の後継団体が存続していることに配慮して、積極的に死刑執行はしない、という意味での発言であったとも考えられます。昨日も、テレビにて、”一時は教団を脱退したものの、麻原を信じなくなったら、ただの殺人になると思い、教団に戻った”とする、元幹部の発言が報じられていました。この発言からは、教団を盾にすれば、自己の殺人の罪が軽くなると期待する、元幹部の計算が読み取れます。もし、法相が、この意味で慎重発言をしたならば、宗教が絡む無差別殺人を大目に見ることなりますので、重大なモラル・ハザードを引き起こすことが予測されます。教団の名を出せば、殺人をしても死刑の執行はされないと考える人物が、今後、出現するかもしれないのですから。

 あるいは、平岡法相は、オウム事件の闇が、まだ完全には解明されていないと見なしているのかもしれません。教祖や信者の犯罪は裁かれていても、”オウム事件”という国家転覆を狙った事件には、まだまだ謎があるからです。事件発生当時、北朝鮮やロシアの関与が報じられており、組織的は背後関係については、充分に調査されているとは言えません。つまり、平岡法相は、死刑囚達が、テロで霞が関を制圧しようとした”オウム事件”の当事者であり、かつ、重要な証人であることを考慮して、死刑の執行は急がないと発言したのかもしれないのです。

 平岡法相は、こうした重大な発言をするならば、解釈が分かれないように、国民に真意を説明すべきなのではないでしょうか。社会的な影響のある法相であればこそ、曖昧な表現をすべきではないと思うのです。

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