本日のダイアモンド・オンラインの記事に、「偶然や不確実性が戦争突入を加速させる!
新旧大国の関係と米中両国の今後を考える」と題して、ハーバード大学のグレアム・アリソン教授の著書、『米中戦争前夜』が紹介されておりました。同記事は要約ですので正確に本書の全内容を把握しているわけではないのですが、一読する限り、首を傾げざるを得ないのです。
アリソン教授は、キューバ危機を新たなモデル分析した『決定の本質』の著者として知られると共に、特にカーター政権の外交政策に強い影響を与えた実務家としての顔をも合わせ持っています。オバマ政権に至るまで、共和・民主を問わず歴代政権の国防長官の顧問を務めていますが、基本的には、対話路線を重視する民主党寄りの立場にあるようです。
そのアリソン教授が上記の近著において主張しているのは、米中武力衝突を念頭に置いた偶発的戦争の回避論です。とりわけ、“ツキディデスの罠”、即ち、既存の覇権国の、新興国に対する過度な警戒感とライバル意識が戦争の要因となる戦争心理に注目し、これを現代の米中関係に当て嵌めようとしているのです(ツキディデスとは、紀元前5世紀頃の古代ギリシャの歴史家であり、アテネ陣営対スパルタ陣営の構図で戦われたペロポネソス戦争の歴史を著している)。同著では、過去500年の歴史から16のケースを分析しており、同主張に説得力を与えようとしています。
しかしながら、同著は、現代という時代の国際社会にあっては、国際法秩序が存在していることを忘れているように思えます。米中が全面戦争に至るシナリオとして、(1)海上での偶発的な衝突、(2)台湾の独立、(3)第三者の挑発、(4)北朝鮮の崩壊、(5)経済戦争から軍事戦争への5つを挙げていますが、これらの何れにも、戦争勃発の要因としての中国による国際法違反行為(国際犯罪)が含まれてはいません。南シナ海における仲裁裁判の判決を無視した軍事基地化も、“海上での偶発的な衝突”に矮小化されているのです。
国内の治安維持と同様に、暴力を伴う犯罪に対しては、警察には、現行犯に対して物理的強制力の行使を控えるという選択肢はありません。況してや、犯罪とは偶発的出来事ではなく、得てして、周到な計画の下で実行されるのです。国際社会においても、中国が、“中国の夢”を実現するための長期戦略を練り、過去の歴代中華帝国に倣うかのように、その計画の実行段階として侵略行動に出た場合には、“戦わない”という選択肢はあり得ないのです。誰かが“警察”の役割を果たさなければならないのは言うまでもありません。
国際法秩序の維持の役割を置き去りにした本書の主張は、オバマ前米大統領の“世界の警察官放棄宣言”とも通底しています。中国のみならず米国もが、それが一部ではあれ、法の支配の確立に向けた国際社会の努力を忘れ、ツキディデスや孫子の生きた時代の感覚で現在の国際紛争を論じようとしているとしますと、フェアな法秩序を構築してきた人類の倫理的発展の歴史こそ無視しているように思えるのです。
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新旧大国の関係と米中両国の今後を考える」と題して、ハーバード大学のグレアム・アリソン教授の著書、『米中戦争前夜』が紹介されておりました。同記事は要約ですので正確に本書の全内容を把握しているわけではないのですが、一読する限り、首を傾げざるを得ないのです。
アリソン教授は、キューバ危機を新たなモデル分析した『決定の本質』の著者として知られると共に、特にカーター政権の外交政策に強い影響を与えた実務家としての顔をも合わせ持っています。オバマ政権に至るまで、共和・民主を問わず歴代政権の国防長官の顧問を務めていますが、基本的には、対話路線を重視する民主党寄りの立場にあるようです。
そのアリソン教授が上記の近著において主張しているのは、米中武力衝突を念頭に置いた偶発的戦争の回避論です。とりわけ、“ツキディデスの罠”、即ち、既存の覇権国の、新興国に対する過度な警戒感とライバル意識が戦争の要因となる戦争心理に注目し、これを現代の米中関係に当て嵌めようとしているのです(ツキディデスとは、紀元前5世紀頃の古代ギリシャの歴史家であり、アテネ陣営対スパルタ陣営の構図で戦われたペロポネソス戦争の歴史を著している)。同著では、過去500年の歴史から16のケースを分析しており、同主張に説得力を与えようとしています。
しかしながら、同著は、現代という時代の国際社会にあっては、国際法秩序が存在していることを忘れているように思えます。米中が全面戦争に至るシナリオとして、(1)海上での偶発的な衝突、(2)台湾の独立、(3)第三者の挑発、(4)北朝鮮の崩壊、(5)経済戦争から軍事戦争への5つを挙げていますが、これらの何れにも、戦争勃発の要因としての中国による国際法違反行為(国際犯罪)が含まれてはいません。南シナ海における仲裁裁判の判決を無視した軍事基地化も、“海上での偶発的な衝突”に矮小化されているのです。
国内の治安維持と同様に、暴力を伴う犯罪に対しては、警察には、現行犯に対して物理的強制力の行使を控えるという選択肢はありません。況してや、犯罪とは偶発的出来事ではなく、得てして、周到な計画の下で実行されるのです。国際社会においても、中国が、“中国の夢”を実現するための長期戦略を練り、過去の歴代中華帝国に倣うかのように、その計画の実行段階として侵略行動に出た場合には、“戦わない”という選択肢はあり得ないのです。誰かが“警察”の役割を果たさなければならないのは言うまでもありません。
国際法秩序の維持の役割を置き去りにした本書の主張は、オバマ前米大統領の“世界の警察官放棄宣言”とも通底しています。中国のみならず米国もが、それが一部ではあれ、法の支配の確立に向けた国際社会の努力を忘れ、ツキディデスや孫子の生きた時代の感覚で現在の国際紛争を論じようとしているとしますと、フェアな法秩序を構築してきた人類の倫理的発展の歴史こそ無視しているように思えるのです。
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