万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

現代の‘階級闘争戦略’とは?-労働者から移民へ

2019年09月23日 15時04分00秒 | 国際政治
平等を訴えて人々を暴力革命に駆り立てた共産主義が、如何に欺瞞に満ちていたかは、歴史上に誕生した共産主義国家の現実を見れば、誰もが容易に理解できます。平等が実現するどころか、国民には自由もなければ権利も疎かにされ、挙句の果てに権力も富も共産党に集中するのですから。‘権力のプロレタリアート独裁’は、共産党独裁体制に正統性を与える騙し文句に過ぎず、現実は、共産党による独裁・独占とその他国民大多数の平等なる家畜化の組み合わせに過ぎなかったのです。
 
 今日の中国を観察すれば一目瞭然であるように、共産主義の欺瞞性の実例を数え上げれば切がないのですが、ここでは、国際金融財閥によって生み出された共産主義そのものが当初から‘メビウスの輪戦略’に基づく騙しのテクニックであったと仮定してみることとします。すなわち、理想が現実に裏切られたのではなく、一部の人々が温めてきた邪悪な‘裏理想’が実現したと考えるのです。あくまでも仮定なのですが、現実の歴史を見ておりますと、以下の推論は、かなり蓋然性が高いようにも思えてくるのです。

 おそらく、世界支配、あるいは、人類支配を最終目標とする国際金融財閥は、共産主義に対して、先進国と後進国との間で別々の役割を託していたのでしょう。前者に対しては、国民が一致団結せず、常に労使の間で対立をもたらす分裂と不安定化の働きを、そして、後者に対しては、教義通りに人民を扇動して暴力革命を起こし、共産党一党独裁の下で天然資源や労働力を含めてその国の全経済を掌握する働きを…。しばしば、何故、共産主義理論に従えば、資本主義が発展した先進国において真っ先に暴力革命が起きなくてはならないはずなのに、後進国において起きたのか、という素朴な疑問が呈されますが、そもそも、先進国には国際金融財閥の本拠地が置かれていますし、利益の源泉でもありましたので、暴力革命など起す気は無かったのです。かくして、1980年代頃までは、先進国にあっては左右のイデオロギー対立が政治を支配し、民主主義国家であっても左右どちらを選択しても不利になる二頭作戦によって国民の利益が損なわれると共に(この間、固有の伝統や文化は破壊し、知性を劣化させ、堕落させる…)、後進国では、経済の停滞が続くと言うことになったのでしょう(なお、世界支配のために‘鉄砲玉’が必要な時だけ、ナチズムのようなナショナリズムを支援するのでは…)。

 しかしながら、本格的にグローバル化が始まると、この資本家対労働者の基本構図は成り立たなくなります。否、国際金融財閥が温めてきた計画の第二段階に入ったとも言えるかもしれません。この段階に入りますので、後進国に資金を大量に投下することで、先進国からコスト面で有利となる後進国へと産業の中心を移しつつ、先進国であれ、後進国であれ、ITやAIを国民監視の手段として用いようとしたのでしょう。

その一方で、全世界レベルでグローバル化が拡大しますと、権力も富も国際金融財閥に集中しますので、所得格差が拡大すると共に、一般の人々からの同国際金融財閥に対する批判も高まります。このままでは、‘真の革命’が起きかねませんので、既にその役割を終えた資本家対労働者の対立に替って社会の分裂や不安定化をもたらす何らかの新たな仕組みが必要となります。そこで、今日この役割が託さているのが、移民なのではないかと思うのです。

労使対立も、結局はマッチポンプと言えますが、移民問題も、国際金融財閥が無責任にも移民の増加を促進させながら、実際に社会的な亀裂が深まると、政治レベルにまで引き上げて対立を煽っています。移民が増加すれば、一民族一国家の基本原則は崩壊しますし、国際金融財閥による支配に抗し、一致団結して立ち向かう国や国民も現れないことでしょう。無自覚で移住先の国としての纏まりを壊してしまう移民ほど、国際金融財閥にとりまして利用価値のある人々はいないのです。

 以上に、世界支配を目論む国際金融財閥の存在を仮定してみましたが、労使対立であれ、移民問題であれ、先進国において破壊の標的としているのは、おそらく人口の大多数を占める中産階級や中流の人々=中間層なのでしょう。上流と下流は共に他者の権利に配慮せず、利己的な傾向が強く、案外、メンタリティーにおいて共通点が見られるとされていますが、上下が結びつくことによって、最も良識を備え、社会の健全性を支えてきた層を挟み撃ちにしているのかもしれません(それとも、計画性はなく、偶然にこのような結果がもたらされているのでしょうか…)。そして、中間層が潰されてしまった時、そこに残るのは、腐敗した富裕層と犯罪や暴力が日常茶飯事の貧民層が混在した、あたかもスラムやゲットーのような世界であるとしますと、これ以上のディストピアはないのではないでしょうか。現実がこの仮説に限りなく近づく今日、中間層の保護や育成について、かつて‘一億総中流’を実現した日本国をはじめ、全ての国の政府も国民も真剣に考えるべきではないかと思うのです。

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