万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

人種差別を考える-ヘイトクライム問題

2019年09月28日 14時43分37秒 | 国際政治
先日、米ニューヨーク州警察は、11歳の白人系の少女が10歳のアフリカ系の少女を侮辱したとして、ヘイトクライムの罪で逮捕したそうです。刑法は州ごとに違いがありますので、アメリカ全土での現象ではないのでしょうが、この事件は、アメリカの人種差別問題について、深く考えてみる機会を与えているように思えます。

 人種差別をなくすことは、大航海時代にアフリカ大陸からアメリカに売られてきた祖先を持つアフリカ系の人々にとりまして悲願であったはずです。しかしながら、今般の逮捕を、60年代の公民権運動の指導者も揃って歓迎したかどうかは怪しいところです。‘人種差別の無い世界’の理想も一通りではなく、(1)人々が人種の違いを全く意識しない状態、(2)双方に人種の違いに関する意識があり、棲み分けが存在しながらも、法的には平等な状態、(3)一方の人種が、他の人種の差別行為を強制的に排除し得る状態…などがあります。

 (1)を追求しますと、全ての人々が祖先由来のアイデンティティーやコミュニティーへの帰属意識を消し去る必要がありますので、内面にまで踏み込んで全ての国民に同状態を強要することは極めて困難です。個人の選択として異人種・異民族間で婚姻するケースはあるものの、今日なおもアメリカ社会では人種間の分断は消えてはおらず、現実には文化やメンタリティーの違いがあることから、(1)を目指すことが如何に難しいかを示しています。自然に任せたのでは人種融合状態は実現しませんので、リベラル派が試みるように洗脳といった手段が使われる可能性もあり、この目標設定には、国民の内面の自由が侵害されるリスクを伴います。

 その一方で、人々の人種に対する意識が変わらないのであるならば、残る方法は(2)、もしくは、(3)ということになりましょう。(2)の状態は、アフリカ系のみならず、ヒスパニック系であれ、あるいは、アジア系であれ、アメリカ市民権さえ有していれば、全ての国民が法の前の平等の原則の下で白人系のアメリカ人と同等の自由と権利が保障される状態を意味します。(2)の状態は、まさしくアメリカの現状に近く、‘人種の坩堝’と称されながらも、アメリカでは世界各地に出自をもつ多様なコミュニティーが併存しています。

 (2)では、個人の平等と集団の固有性が調和しますので、最も中庸な秩序とも言えるのですが、それでも全ての人々を満足させるわけではありません。不満を抱く人々とは、法的には平等であっても、社会的には差別されていると感じている人々です。そしてこの意識こそが、最も厄介で、センシティヴで、かつ、誰もが明快な回答を出すことができない問題です。何故ならば、誰も、過去を変えることができないからです。

 人類は、地球上に分散定住したために遺伝子上の多様性が生じた上に、DNAの解析に基づく最近の人類学の研究成果によりますと、現生人類とネアンデルタール人やデニソヴァ人といった旧人類との混血の痕跡も見られるそうです。また、精神性や科学技術の発展レベルにも著しい違いがあり、こうした時間軸において生じた違いこそが、今日の人種・民族問題の根本的な原因なのです。そして、どのレベルの集団に属したかによっても評価に違いが生じ、文化や文明において低いレベルにあったとされた集団に属する人々は低い評価が下され、大航海時代には奴隷=単なる労働力として扱われてしまったのです。

 人類史からしますと、‘誰が悪いのでもない’とも言えますし、あるいは、人類の多様性を無視して奴隷貿易で利益を貪った奴隷商人達に一義的な責任があるとも言えましょう。移住の結果として、アフリカ系を含むマイノリティーの人々は、物心両面において高度な社会を構築した白人系の人々に対する強いコンプレックスを抱える一方で、歴史的な事実である故に、白人系の人々も祖先の実績に基づく優越感やプライドを消すことができないのです。この双方の意識は、そう簡単には消すことができませんので、しばしば両者の間で差別事件が発生します。つまり、(2)の状態で満足しないマイノリティーの人々は、(3)を追求する動機を持つのです。

今般の事件を見ますと、ニューヨーク州ではヘイトクライムという罪が法制化されており、アフリカ系少女の両親が白人系の少女を警察に通報していますので、(3)の状態を求めているように思えます。しかしながら、(3)を選択しますと、人種間の相互憎悪や反発が収まるどころか、エスカレートさせてしまう可能性もないわけではありません。アフリカ系の人々は、‘ヘイトクライム’の一言で白人系の人々を容赦なく警察に逮捕させる特別の権利を獲得したに等しく、この特権を行使しようとするでしょうし、白人系の人々は、法の前の平等の原則さえ崩しかねない逆差別に憤慨することでしょう。‘ヘイトクライム’と見なせば、わずか11歳の少女でも決して許さないのですから。

このように考えますと、ニューヨーク州警察の対応が賢明であったのかどうか、疑問なところです。もっとも、報道内容の詳細を読みますと、白人の少女たちは暴力をふるったそうですので、ヘイトクライムではなく、暴行罪での逮捕の方がまだ‘まし’であったかもしれません。少なくとも、人種差別の問題については、人々の言論の自由や内面の自由を侵害し、全体主義化を招くことがないよう、人種・民族の多様性を前提とする人類史的な視点からのアプローチも必要なのではないかと思うのです。

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コメント (2)
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