万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

天皇をとりまく宗教事情の問題

2019年09月20日 20時34分36秒 | 日本政治
天皇と神道との繋がりについては、しばしば批判的な意見が見受けられます。近代国家の政教分離の原則からしますと、天皇と云う公的な地位が特定の宗教と結びつき、国家祭祀を行う形態は前近代国家の‘残滓’と捉える向きも少なくありません。そこで、本記事では、天皇をとりまく宗教事情の問題について扱いたいと思います。

 仏教伝来以来、天皇は仏の道にも帰依しており、聖徳太子の『十七条憲法』に は「篤く三宝を敬え 三宝とは仏法僧なり」ともあります。京都の泉涌寺は皇室の菩提寺としても知られ、明治以前にあっては、皇族は仏教徒でもあったことは紛れもない歴史的な事実です。一神教ではなく多神教国家、否、多宗教国家であった日本国では、海外から伝わる宗教であっても、善き教えは積極的に受け入れて国造りに生かしてきたのであり、飛鳥時代に遡っては、ネストリウス派のキリスト教(景教)の影響も指摘されています。完璧な宗教は存在しておりませんので、仏教からは慈悲の心を、キリスト教からは博愛精神を学ぶなど、‘良いとこどり’をすれば、むしろより善き社会が実現するかもしれず、必ずしも多神教や多宗教を低く評価する必要はないようにも思えます。徹底的に仏教を排除しようとして廃仏毀釈を行った明治維新こそ、日本国の歴史からしますと‘異端’とも言えましょう(この他に、徹底的な他宗教の排斥を行ったのは戦国時代のキリシタン大名達…)。江戸時代までは、神社に社僧という神職が存在したように、神仏習合が当たり前であったのです。

こうした側面に注目すれば、確かに天皇との関係において神道を別格に扱う必要はないように思えます。その一方で、日本国における天皇と云う公的地位の正統化に注目しますと、神道以外の宗教には、この地位に正統性を与える教義上の根拠を持ち合わせていないように思えます。それがたとえ古代人が描いた想像であったとしても、日本国がイザナギノミコトとイザナミノミコトを父母として誕生し、そして、天皇が国生み神話に記された神々の子孫であるとする記紀神話こそが、天皇位を正統化していると言わざるを得ないのです。日本全国津々浦々の神社の多くには、『日本書紀』や『古事記』の神代に登場する神々が祀られており、神道は、天皇と共に日本国の過去と現代を結ぶ役割を果たしているのです。

日本国の宗教史を概観しますと、天皇と云う位そのものは、神道がその正統性を支えつつも、日本国の伝統的な多宗教性をも象徴してきたように思えます。しかしながら、明治期に成立した近代皇室をめぐっては、果たして、それ以前の皇室との間に継続性があるのかどうか、疑問を抱かざるを得ないのです。明治憲法下では、立憲君主に衣替えして軍服姿となりましたし、今日では、婚姻を介してカトリック、統一教会、並びに、日蓮宗から分かれた創価学会などの新興宗教の影響も強まることになると同時に、俗化が急速に進行しています。かくも皇族が、俗化した時代は日本史上において初めての出来事なのではないでしょうか。

そして、その理由は、今日、皇室に特に強い影響を与えている宗教団体が、純粋な意味での信仰集団ではなく、世俗の私利を追求する利益団体の性格を有していることに求めることができるように思えるのです。バチカン銀行を擁するカトリックの拝金主義は今に始まることではありませんし、創価学会もまた、宗教を麻薬と断じて否定する中国共産党と良好な関係を築いています(同学会の名誉会長の池田大作氏は、学会財産の金融投資で巨万の富を築き、私腹を肥やしたとも…)。社会の善性を高める方向に作用するならば、様々な宗教を取り入れてきた日本国の多宗教性は望ましいのですが、それが、天皇の俗化や拝金主義に堕し、さらには国際化も手伝って政治的な偏りをもたらす方向に向かうならば、伝統的な多宗教性は、今日、逆機能に転じていると言えるのではないでしょうか。

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コメント (6)
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