万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

顔認証システムと指紋押捺-ITに弱い心理

2019年09月07日 15時30分29秒 | 国際政治
ITという言葉は、不可能を可能にする‘魔法の杖’であるのかもしれません。従来であれば、反対の大合唱が起きるような政策や制度でも、人々から抵抗を受けるどころか称賛の声と共に歓迎されるのですから。

 例えば、近年、注目を集めているITの一つに、顔認証のテクノロジーがあります。顔には人それぞれに違いがあり、加齢や整形手術等でも一生涯変わらない各パーツの比率等の数値をデータ化して記録すれば、全ての人の顔を瞬時に識別することができます。如何なる人も、あらゆる変装をも見破る顔認証の鋭い‘眼差し’から逃れることはできないのです。

つい数年前までは、ITによる顔の識別能力よりも人の直観力の方が優れており、顔認証技術の完成はまだまだ先とされていました。しかしながら、同テクノロジーは長足の進歩を遂げ、今では実用化の段階に至っています。全体主義国家である中国では、全国民に対する監視システムとして既にその実力を発揮しております。中国国民は、GPSによる位置データとの照合によって、その居場所や行動がデータとして政府に把握されてしまします。

共産主義国において顔認証システムが一党独裁体制維持のために利用される一方で、自由主義国でも、顔認証システムの導入が進んでいます。同システムは、犯罪捜査やテロの防止等には有効であるからです。例えば、来月の10月22日に予定されている新天皇の即位の礼正殿の儀でも使用が予定されており、参列者は予め登録された顔情報によって入退出が管理されるそうです。顔認証は、ITの中核的技術にも位置付けられていますので、今後は、日本国のみならず、官民ともに他の諸国でもその利用が拡大するかもしれません。

ITの発展と共に華々しく登場した顔認証システムですが、よく考えてもみますと、個人のプライバシー保護の観点からすれば、いとも軽々と高いハードルを乗り越えてしまっています。このことは、指紋押捺と比較すればよく理解できます。指紋押捺の義務化については、ヒステリックなまでの反発が常に起きるものであり、ましてや前科や逮捕歴等のない一般の人々に対して指紋押捺を義務付けようものなら、激しい反対運動が起きかねないからです。仮に、即位の礼正殿の儀で出席者に指紋押捺を義務付けたとしたら、出席者の多くは犯罪者扱いされているようで不快な気持ちになることでしょう。ところが、顔認証となりますと、あたかも日本国の先端技術を披露するチャンスの如くにも見なされ、誰からも反対の声は上がらないのです。何とも不思議なお話なのです。

IT分野における顔認証システムの発展は、フェイスブックの登場と軌を一にしているようにも思え、どこか、‘顔(フェイス)’への強い拘りが感じられるのですが、顔とは、その人自身のアイデンティティーを最もよく表すパーツです。また、その公開性にかけては、人の目では容易に認識できない指紋の比ではありません。人類の知性の結晶として、人々は、先進的なテクノロジーは積極的に取り入れるべきと考えがちですが-ITに弱い心理-、自由主義国にあっても国民監視システムに転じるリスクも決して小さくはありません。

指紋の採取は犯罪者等に限定されますが、顔認証システムでは、凡そ全ての国民や住民が対象となります。そして、一般国民の顔面情報が全て政府に掌握された時、それは、政府による国民に対する暗黙の圧力として働くかもしれないのです。こうしたリスクがある以上、ITについては、礼賛一辺倒ではなくそのマイナス面にも注意を払うべきではなのでないでしょうか。官民を挙げて個人情報の収集とリンケージするテクノロジーの開発を急ぐ姿はどこか不自然であり、より自由や権利を尊び、かつ、全ての人類に資するテクノロジーは他にもたくさんあるのではないかと思うのです。

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コメント (8)
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