万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

香港のために歌わないアーティストたちの偽善

2019年09月04日 14時52分52秒 | 国際政治
 戦後に登場したロック・ミュージックには、既存の社会に対する強烈な破壊メッセージがありました。それらにはしばしば政治的メッセージも含まれており、ベトナム戦争をはじめ戦争が起きる度に、ステージに颯爽と登場したミュージシャンたちは反戦歌を熱唱し、政府を断罪してきたのです。今日でも、環境破壊、排外主義、差別、LGBTといったリベラル派が重要視するテーマに対しては全世界的な連帯を呼びかけ、動画などを用いてネットやSNSでもメッセージを拡散しています。ところが、どうしたわけか、香港の自由や民主主義のために連帯を呼びかけるアーティストたちは皆無に近いのです(報道されていないだけなのかもしれませんが…)。それでは、一体、何故、アーティストたちは香港問題について口を噤んでいるのでしょうか。考えられる理由は二つあります。

 第一の理由は、もとよりロック・ミュージックとは、政治的には反体制を基本的なスタンスとしており、国家や政府をも恐れずに果敢にその破壊を叫ぶ姿が若者の心を惹きつけてきました。いわば、あらゆる既存の束縛を疎ましく感じ、その徹底した破壊の末に現れるはずの自由な世界こそが理想郷であったのです。‘既存の体制を壊せば自由なれる’だから‘既存の体制を壊せ’がロックの神髄とも言えるメッセージとなりましょう。特に反抗期の青少年にとりましては、ロッカーの声は我が意を得た‘天の声’であったかもしれません(本当は、‘悪魔の声’かも…)。しかしながら、自由主義国家にあっては民主的な体制こそが壊すべき‘既存の体制’ですので、反体制とは容易に反民主主義・反自由主義に転じてしまいます。

ここから推測されるのは、ロック・ミュージックとは、元より全体主義体制を支持する勢力が仕掛けた心理作戦ではなかったのか、ということです。ロックが表舞台に躍り出た時代とは、自由主義陣営と社会・共産主義陣営が鋭く対峙する冷戦期に当たり、自由主義陣営における反体制、並びに、反戦運動の高まりは、後者を俄然有利な状況に導きます。徴兵年齢期の若者たちがロックに染まれば、社会・共産主義陣営は‘戦わずして勝てる’のですから。となりますと、今般、ロック系のミュージシャンたちが香港問題に沈黙している理由も理解されます。つまり、自由、並びに、民主主義を求める香港の抗議活動では、自らのスポンサーであった全体主義体制の側が、破壊すべき悪しき‘既存の体制’となっているからです。

第二に推測される理由は、中国が経済大国として台頭した結果としてのチャイナ・マネーの威力です。13億の人口を擁する中国は、エンターテインメント事業者にとりましては魅力的な市場です。ハリウッド映画がチャイナ・マネーによってすっかり様変わりしたように、ミュージック界でも中国市場での興行収入を見込んで中国の顔色を窺う人々が現れても不思議はありません。また、世界的に人気の高いアーティストや所属する有力プロダクションには、直接的な懐柔工作が行われている可能性もありましょう。

何れにしましても、ラップであれ、ポップであれ、そして、芸能界やスポーツ界も状況は同じです。オピニオンリーダーを任じるセレブやアーティスト達はリベラル好みのテーマには真っ先に反応してコメントしますが、肝心の自由や民主主義、そして、法の支配といった政治的価値が絡む問題には沈黙しているのです。反体制のはずが体制に媚びるパペットとなっては、ステージやスクリーンのヒーローやヒロインも形無しです。今日、圧政に抵抗している香港の人々とのグローバルな連帯を叫ぶアーティストたちの声が聞こえない現状は、造られた偶像のいかがわしさ、否、偽善性をも現しているとも言えましょう。一体、彼らは、何者であったのでしょうか…。普通の若者たちこそ、真に護るべき、あるいは、実現すべき価値は何であるのか、狡猾な大人たちに惑わされるのではなく、自らの思考を以って見定めていただきたいと思うのです。

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コメント (8)
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