万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘感情誘導’は民主主義を歪める

2019年09月27日 11時10分54秒 | 国際政治
 リベラルとも称される左派系の人々は、兎角に自らが理性的な存在であるとアピールし、その知的優位性を強調しています。国家や国民に拘る保守的な人々を‘愚かな大衆’、あるいは、‘ポピュリスト’として見下し、上から目線で蔑むでもいるのですが、彼らが好んで使う手法を見る限り、必ずしも理性的であるとは言えないように思えます。

 近年に至り、その戦略のからくりが‘ばれ’てしまったのが、感情誘導という手法です。感情誘導とは、自らが目指す政策を実現させるために、(1)人々に感動を与えるような場面を入念に準備する、(2)同シーンをマスメディアを介して大々的に報じる、(3)視聴者を感動させる、あるいは、実際には心を動かすことができなくとも、表向きは感動したことにする、(4)自らの目指す政策に対して世論一般が支持し、‘合意’したものと一方的に決めつける、(5)反対や抵抗があれば、同調圧力をかけて感情論で封じ込める(6)自らが誘導した‘合意’を根拠に自らが望む政策を推進する…というものです。この手法が首尾よく成功するには、効果的な演出、演技者の人選、広範な組織的な連携、マスコミの協力などを要します。そして、真の意図が他者に害を与えかねない利己的なものであったとしても、良識を備えた一般の人々に感動に訴えなければなりませんので、一先ずは、‘善’が装わされなければならないのです。この手法、いわば、‘騙しのテクニック’といっても過言ではないのです。そして、後々我に返って理性的に判断しますと、感情に任せた判断が誤りであった、あるいは、‘騙された’ことに気が付くことも少なくはないのです。

先日、ニューヨークで開催された世界気候行動会議での出来事は、まさに同手法の典型的な事例であったようにも思えます。EU全体をも巻き込む形で大問題となったメルケル首相のシリア難民受け入れの決断も、浜辺で悲しみに暮れる父の腕に抱かれた一人の息絶えた少年の痛ましい姿が全世界に発信されたことに依ります(メルケル首相はCDUの政治家ですが、ドイツでも保守党のリベラル化は顕著…)。戦争をはじめ、人々の同情を誘う一つの情報が歴史を変えた事例は枚挙に遑がなく、感情誘導は、あるいは、古典的な政治手法の一つであるのかもしれません。

そして、民主主義国家が大半を占めるに至った今日、感情誘導が人々にとりまして甚大なリスクとなるのは、それが、議論という民主主義的意思決定を避ける迂回ルートとして働く可能性があるからです。民主主義とは、良識や常識を備えた人々が知性や理性に基づいて意見を述べ合い、議論を深めてこそ健全に機能します。リベラルとされる人々は、保守系の人々を感情的で非理性的であると批判しますが、選挙にあって賛否を問うこともなく、感情を以って人々を一定の方向に誘導しようとする手法もまた、非理性的であると言わざるを得ないのです。しかも、全ての人々に同調圧力をかけ、言論をも封じる効果を狙っているとしますと、全体主義者の手法とも言えましょう。

感情誘導については、あまりにも頻繁に使用したために、終にその‘からくり’も人々の知るところとなってしまったように思われます。これを機に、自由主義国にあっても蔓延している全体主義的手法の危険性についても人々は十分に警戒し、この手法に対する認識を深めるべきではないかと思うのです。

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コメント (4)
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