万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ローマ帝国とモンゴル帝国は正反対―ユダヤ系金融帝国の行くへ

2019年09月14日 15時08分56秒 | 国際政治
今日の国際社会では、一先ずは、一民族一国家を基本原則とする国民国家体系が成立しています。とは申しますものの、民族別の国家モデルは標準モデルであって、所謂‘新大陸’に建国された国家群は多人種・多民族国家ですし、‘旧大陸’にあっても、中国やロシアは標準モデルとは違っています。後者の二国は多民族国家であることに加えて、統治形態においても‘帝国’的な色彩が極めて強いのです。あるいは、今日、根強く囁かれるユダヤ系金融財閥による影の世界支配も、それが金融帝国と称されるように、帝国の一種に数えることができるかもしれません。現代という時代にあっても‘帝国’は、巨大恐竜のように完全に絶滅したわけではなさそうです。そこで、今日直面する‘帝国主義’の問題を考えるに先立って、帝国の性格の違いについてローマ帝国とモンゴル帝国を比較してみたいと思います。

 帝国を称賛する人々がその根拠として挙げるのが、ローマ帝国の事例です。今日でも、ヨーロッパ各国を旅すれば、北はブリテン島から南はイベリア半島に至るまでローマの遺跡に出会うことができます。ローマの支配は中東地域や北アフリカにも及んでおり、ローマ帝国の版図に入った地域には、ローマ様式の壮大な建築物や水道橋等の高度なインフラ設備を見ることができるのです。カエサルによる征服以前のガリアの地はケルト系部族が素朴な生活を営む森林地帯でしたので、ローマによる征服は、同地を一気に文明化したとも言えましょう。帝国=文明化の図式は、古代ローマ帝国の事例を以って語られるのです。

 それでは、何故、ローマ帝国は、文明をもたらすことができたのでしょうか。その理由は、イタリア半島に位置するローマが、隣接するギリシャのポリスの流れを引く定住型の都市文明を有していた点に求められるかもしれません。文明の誕生は農業の始まりと軌を一としていますが、国家の最初の形態は、多くの人々が集住するゆえに統治機能を必要とするに至った都市国家です。特に古代ギリシャのポリスは、アテネに代表されるように市民が政治に参加する民主主義をも編み出しました。当時にあって周辺の後進国であったローマは、統治の先進国であったアテネに学び、共和政時代には複雑な民主主義システムを独自に構築しましたし、ローマ法の名で知られるように法に基づく統治をも実現しています。特に、国家に対する権利者を意味する市民権の概念も重要です。加えて、快適な都市生活を実現するための土木建築技術をも発展させました。かくして、ローマの征服地には、ローマで培われた物心両面における高度な文明が伝播することとなり、今日でも、ヨーロッパ文明の源流は、古典古代、即ち、ギリシャ・ローマ文明にあるとされているのです。

 その一方で、版図の広さにおいてローマ帝国を凌ぐモンゴル帝国はどうでしょうか。モンゴルの支配下に入った地域を訪れましても、モンゴル様式と称されるほどの明確な建築様式をもつ遺跡を見出すことはできません。その理由は、遊牧民族であったモンゴルには、遊牧民としての文化はあっても、ローマ帝国のような核となる文明を有していなかったからなのではないでしょうか。建築様式にしても、都市国家では定住を前提とした堅固な建築技術のみならず、インフラ整備を含む総合的な都市設計のノウハウも有しています。一方、遊牧民族は定住民ではありませんので、パオといった組み立て式の移動に便利な住居はあっても、都市生活に必要な技術を必要とはしませんでした。そして特に注目すべきローマとモンゴルの違いは、統治の側面における市民権概念の有無です。掠奪を生業ともしてきた後者には市民権概念が欠如しており、征服地の住民は支配や搾取の対象でしかありませんでした。劣位の市民権であれ、ローマが曲がりなりにも征服地の住民に市民権を与えたのとは対照的であり、モンゴルの支配が今なおも過酷な支配として記憶されているのも、このモンゴルの非文明性にあるのです。

 同じく帝国と呼ばれつつも、定住型の都市文明を基礎とするローマ帝国と遊牧型のモンゴル帝国とでは雲泥の差が見られます。そして今日、ユダヤ系金融財閥による目に見えない‘世界帝国’が出現しつつあるとしますと、それは、一体、どのような‘帝国’なのでしょうか。ユダヤ人は、ディアスポラ以来、祖国を離れた流浪の民であり、この点は、モンゴルと類似しています。それでは、ローマのように都市国家のノウハウを吸収した上で拡張させた形態なのかと申しますと、そうでもないように思えます。全世界に拡散したユダヤ人は、都市に居住する場合でも、ゲットーに象徴されるように閉鎖的なコミュニティーを形成していました。そして、この閉鎖的な空間には、金融や商業活動を介した世界大に拡がったネットワークを伝って、世界各地から来訪したユダヤ系の人々が混住していたことでしょう。中には、離散先で現地住民と混血したユダヤ人や祖国を追放された非ユダヤ系人も逃げ込んできたかもしれません。こうした空間では、定住を前提とした安定した国家統治や市民権の概念が培われたとは考えられず、今日の世界的な不安定化や文明の消滅危機が生じているのは、ユダヤ系金融帝国のカオス的な性格が現れた結果かも知れないのです。

 人類の未来が、SF小説に描かれるように、科学技術は発展していても伝統や文化の薫がなく、むしろ、オーウェルの『1984年』の世界が想起されてしまうのは、それが、ユダヤ系金融財閥がその実現を熱望している‘理想’であるからなのかもしれません。また、モンゴルの支配を受けた中国もロシアも、モンゴル系の帝国形態をも強く引き継いでいますので、より過酷な支配体制が成立することでしょう。こうした未来像が、人類の大多数となる非ユダヤ系の人々にとりまして望ましいのかと申しますと、否と言わざるを得ません。文化・文明の危機にあるからこそ、日本国を含め、全世界の人々は、自由、民主主義、法の支配、基本的権利の尊重、平等・公平といった普遍的価値を擁護すべく、‘現代の帝国’の出現を阻止すべきなのではないでしょうか。

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コメント (2)
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