戦後長らく、自由貿易主義は、誰も疑ってはならない一種の’ドグマ’として人類に君臨してきたように思えます。1980年代以降、自由貿易主義はグローバリズムの名の下でさらに豪奢に衣を纏い、全世界を覆いつくそうとしてきたのですが、理想と現実との間のギャップは、今日、世界各地にあって解決困難な問題を引き起こしています。今や、グローバリズムは大きな曲がり角を迎えているとも言えるのですが、日本国を含むアジア・太平洋諸国は、RCEPという新たな自由貿易圏の形成に踏み出そうとしています。果たして、RCEPには、どのような未来が待ち受けているのでしょうか。
RCEPの未来を占う上で大いに参考となるのは、ヨーロッパ諸国が結成したEUです。現在のEUに至る過程を観察しますと、そこには、政治的目的と経済的目的との混在を見出すことができます。起源と言えるECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)の設立には、政治的には戦後の独仏和解の象徴であると共に、経済的には、ドイツの経済力の封じ込めをも意味していました(ドイツは、世界有数の石炭や鉄鋼石の産地であった…)。初期にあっては、対独政策という政治的意味合いが強かったのですが、EECそしてECへと発展するにつれ、目的の重心は経済へと傾いてゆきます。グローバリズムが本格化する80年代以降にあっては、EUは、激しさを増すグローバル競争時代に勝ち残り得る規模を備えるために、主たる目的は欧州市場の統合に向けられ、冷戦崩壊後には、旧社会・共産主義国をも包摂する巨大な単一市場が誕生するのです。
それでは、EUでは、全ての加盟国に対して同等のチャンスを与えられ、互恵的な経済関係が成立しているのでしょうか。規模の追求が設立目的であったのですから、EU市場を見ますと、当然に、規模に優る加盟国、並びに、企業が生き残るということになります。EU加盟国間の規模を比較しますと、人口、並びに、経済力の両面においてドイツがトップの座にあります。もっとも、元よりヨーロッパとは、勢力均衡論を生み出した地域なだけあって、歴史的にはドイツ、フランス、イギリス、スペインなどの同程度の大国が並列すると共に、中小規模の諸国がひしめき合う地域なのですが、それでも、規模に優るドイツは、欧州市場において有利なポジションを獲得し、今では、’ドイツ一人勝ち’とも評されています。’規模の経済’はドイツに微笑み、欧州市場にあってシェアを伸ばしたドイツ系大企業の多くはグローバル企業に成長したのです。
その一方で、ヨーロッパの中小国は、リーマンショック後にギリシャをはじめとした南欧諸国がソブリン危機に陥ったように、低迷を続けています。中小諸国の中から、将来、急激な経済成長を遂げてドイツの地位を脅かすような国が現れるとは、誰も考えてはいないことでしょう。現状を見る限り、ドイツ一強体制は、むしろ固定化されてしまった観があります。企業レベルを見ても、グローバル市場で生き残ったのは、フィンランドのノキアやスウェーデンのイケアのようにごく一部の企業です。ノキアに至っては、フランス企業に対して積極的に買収攻勢をかけており、’ノキアのフランス化’、すなわち、乗っ取り作戦で事業基盤を拡大させているのです。
規模の経済が強力に作用したEUの事例は、RCEPの将来を予感させています。自由貿易圏、あるいは、広域経済圏にあって’規模がモノを言うとしますと、’RCEPにおいて予測されるのは、’中国の一人勝ち’です。しかも、RCEPにおける加盟国間の規模の格差は、EUに見られるドイツと他の加盟国との差とは比較にならないほど著しく、中国は、他の諸国を圧勝し得る立場にあります。企業規模においても、中国企業の多くは政府系を含め、グローバル企業ランキングのトップ10に名を連ねていますので、他の諸国の企業は、日本企業を含め、到底、太刀打ちできそうもないのです。なお、グローバル時代のドイツ企業の躍進は、生産拠点の多くを中国に移したことにおいて実現していますので、EU加盟に伴うドイツ企業の進出を梃に自国の経済発展を期待していた中東欧の中小諸国は、肩透かしを食らってしまったことにもなったのです。
それでは、日本企業は、’ノキア戦略’を真似て’中国化’すべきなのでしょうか。仮に、この戦略を取ったとしましても、中国政府が海外企業による自国市場の’乗っ取り’を易々とを許すはずもありません。様々な難癖をつけて妨害してくることでしょうし、逆に、潤沢な資金を有する中国企業が、日本企業を買い漁ることでしょう。つまり、最もあり得そうな展開は、日本企業が中国にあって’中国化’するのではなく、日本企業が日本国にあって’中国化’するのです。
自由貿易圏、並びに、広域経済圏にあっては、‘規模’こそが競争力の最大の源泉となります(先発国の高い技術力も、後発国が資金力の規模において優れば追い抜かれてしまう…)。日本国は、十分な議論に付すこともなくRCEPの批准手続きを完了させてしまいましたが、まずは、規模を基準として自国、並びに、自国企業の将来的な競争力を判断すべきではあったように思えます。RCEPには、先日の記事で指摘しましたように不平等条約という問題もあり、また、価値観を共有せず、覇権主義的な軍事大国にして人権弾圧国家という中国の国柄を考慮しましても(EUは、ソ連邦崩壊後であっても決してロシアを招き入れようとはしない…)、日本国は、RCEPからの早期脱退を目指すべきではないかと思うのです。