万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

’ワクチン全体主義’の問題

2021年05月26日 11時30分13秒 | 日本政治

 今般の新型コロナウイルス禍への対応として、日本国を含む各国の政府が推進しているワクチン接種プロジェクト。通常の開発期間を経ずして緊急承認されたワクチンである上に、遺伝子工学を用いた人類初のワクチンの実用化ともあって、様々な未知のリスクが指摘されています。ワクチン・リスクへの不安から接種を躊躇する人も少なくなく、世論も大きく分かれています。ワクチン推進派とワクチン警戒派の両者を比較しますと、両者の関係は、全体主義と自由主義との対立構図と重なるように思えます。

 

 ワクチン推進派の主張の根拠には、集団免疫論があります。実のところ、集団免疫論は、全員ではないにせよ、大多数の人のワクチン接種を前提としています。つまり、6割以上の接種が実現しなければ達成できない集団免疫論に立脚する限り、個人の自由な選択は、論理上は許されないこととなるのです。各自の自由を尊重すれば、接種率ゼロ%もあり得るからです。

 

 何れの政府も、この集団免疫論をワクチン接種政策の基礎理論として採用しているとしますと、如何なる手法であれ、できる限り多数の国民にワクチンを接種させるための策を講じる必要が生じます。立法措置を講じることにより強制的に全国民に接種させるという方法もあるのでしょうが、自由主義国では、この手段は国民からの抵抗や批判を受けやすいという側面がありますので、よりソフトな手法が模索されたことでしょう。そして、その手段として最も効果が期待された手法こそ、マスメディアを総動員し、マイナス情報を規制すると同時に社会全体に同調圧力を醸し出すという、古典的な世論誘導作戦であったのでしょう。実際に、現状を観察してみますと、まさに同作戦進行中と言えそうです。既に、ネット上の書き込みなどを見ますと、’社会全体のために個人が犠牲になるのは当然’、つまり、’ワクチン接種には個人的な自由はない’という主張も散見されます。あるいは、ワクチン接種者を第二次世界大戦時の’特攻隊’に喩える声も聞かれます。

 

 このように、集団免疫論に基づきますと、たとえ自由主義国であったとしても、その政策手法は、限りなく全体主義のものに近づいてゆきます。個に対する全体の優位、厳しい情報統制と情報隠蔽、個人的選択権の否定、社会全体における官製の同調圧力など、全体主義体制の特徴が揃ってしまっています。’上からの一方的な強要ではなく’、’下からの自発的参加’を演出しているところも、案外、全体主義的、否、’人民民主主義的’なのかもしれません。そして、全国民を対象としてワクチン接種を急ぐ背景には、ワクチン・パスポート制度といったデジタル技術による国民徹底監視体制が控えているとしますと、ワクチン接種の推進の目的が、全体主義体制への’体制移行’である可能性も否定はできなくなるのです。集団免疫論は、人々に全体主義を受け入れさせるための口実として利用されているのかもしれません。

 

 それでは、何故、ワクチン警戒は、自由主義と重なるのでしょうか。その理由は、先ずもって、自己に対する個人の自由な選択権を認めているところにあります。しかも、ワクチンの接種は、命や身体に直接的に関わりますので、基本的人権の核心的な部分です。海外勢力からの攻撃のように、全国民が運命共同体となり、生命の危機に直面している状況下にあっては、個の自由が制限されることは受け入れられるかもしれません。しかしながら、今般のワクチンについては、日本国内を見る限り、新型コロナウイルスの感染率、重症化率、並びに、死亡率も1%を下回り、しかも、中長期的なワクチン・リスクが’自滅装置’になりかねない重大な懸念があります。ワクチン懐疑派からしますと、ワクチン推進派は、過剰反応、あるいは、混乱に乗じて不当に他者の自己決定権を侵害しているように映るのです。

 

 また、ワクチン警戒派は、自由な言論空間を保持し、ワクチンのマイナス面についても自由闊達に議論することこそ、適切な判断や危機脱出のためには必要不可欠な要件であると考えています。政府の政策が常に正しいとはみなさず、誤りに備え、修正の機会は常に用意されるべきと考えるのです。一方、ワクチン推進派は、集団免疫の達成という政策目的のためには、言論の自由や報道の自由、そして、学問の自由といった基本的な自由を犠牲にしても構わないと見なしているのでしょう(’目的のためには手段を選ばず’…)。最近の報道には、世論誘導を目的とした明らかなフェイクニュースも見受けられます。同政策手法は、ワクチン警戒派にとりましては悪しき’禁じ手’であり、自由というものの価値を著しく損ねる行為と言わざるを得ないのです。そして、自由を尊重する人々が、ワクチン・パスポートといった国民監視・管理システムの導入に賛意を示すはずもありません。

 

 以上に、ワクチン推進派とワクチン警戒派との主張を比較してみましたが、人類には、全体主義体制の頸木に繋がれていた苦い歴史があります。そして今日なおも、中国といった全体主義国家が軍事大国として全世界に脅威を与えると共に、自由主義諸国もまた、ワクチン接種を機にデジタル全体主義に侵食されつつあります。日本国も決して例外ではありません(報道によれば、政府は、職場接種も検討しているとのこと…)。政治的側面を考慮することなく、また、ワクチンの持つ医科学的リスク情報にも乏しいことから、純粋にワクチン効果に期待している接種派の人々もおられるのでしょうが、国家体制の問題にまで発展しかねないだけに、国民は、徒に誘導されることなく、ワクチン接種を急ぐ政府の姿勢の背景を慎重に見極めてゆくべきではないかと思うのです。


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