新型コロナウイルス・ワクチンに対する人々の根強い不信感は、1年足らずという極めて短い開発期間や新技術に対する不安感のみに起因しているわけではありません。医科学的な理由と並んで双璧を成すのが、ワクチン・パスポートシステムの導入です。後者は政治的な理由であり、コロナ禍への対応を口実としたデジタル技術による徹底した国民監視システムの導入が問題視されているのです。
ワクチン・パスポートとは、政府が、ワクチンの接種状況を一元的に管理するために、全国レベルのシステムを構築するというものです。この制度では、ワクチンの住民接種の実施主体である地方自治体がワクチン接種者のデータを入力し、その情報は、政府のデータベースで管理されます。誰が、何処で、何回目の接種を行い、副反応が生じたか否かなど、全ての接種情報がデータとして記録されるのです。マイナンバーとも紐づけるとされますと、ワクチン情報は、国民の重要な個人情報の一部となりしょう。そして、グローバルレベルで同制度が導入されますと、出入国管理に際しての基礎データとなります。
ワクチン・パスポート、あるいは、証明書を保持してさえいれば、国内であれ、国外であれ、人々は、一先ずは、自らが行きたい場所を訪れることができます。どこにでも行けるようになるのですから、ワクチン接種者の人々は、この制度を歓迎することでしょう。あるいは、ワクチンを接種した最大のメリットは、コロナの感染や重症化の防止よりも、移動が自由になることに求めるかもしれません。政府も、人々をワクチン接種に向かわせる誘引として、ワクチン・パスポートを大いに宣伝することでしょう。しかしながら、同制度、本当にワクチン接種者を自由にするのでしょうか。
国内においても、様々な官民施設の使用に際して接種証明の提示が義務付けられるとしますと、ワクチン・パスポートや証明書は、かつての’通行手形’のような働きをすることとなります。かつて日本国の江戸時代では、藩などが発行した通行手形を持たない者は関所や口留番所を越えることはできませんでした。そして、各藩も、通行手形を以って人の移動をチェックしていたのです。今日でも、ワクチン・パスポートシステムが導入されれば、同様の移動チェックが行われることとなりましょう。例えば、入店時にはワクチン・パスポートでデジタルチェックを受けなければなりませんし、公共交通機関を利用するに際しても、改札口や乗車口では、厳しいワクチン・パスポートのチェックが待っています。そして、これら個々人の移動記録は、全て政府のデータベースに送られるのです。
このような未来を予測しますと、ワクチン・パスポートは、ワクチンを接種した人々をかつての自由な状況に戻すことにはならないように思えます。内外での移動の度にパスポート、あるいは、証明書の提出が求められるのですから、個人の移動記録が政府によって完全に掌握される徹底管理下に置かれることとなりましょう。ワクチン・パスポートシステムによって、個々の、誰が、いつ、誰と、何処へ行ったのか、という情報が全て収集されてしまうのです。
今日、ワクチン・パスポートへの批判は、およそ’ワクチン差別’の問題に集まっています。ワクチンを接種していない人々は、デジタル化された経済、並びに、社会システムから排除されてしまう恐れがあるからです。しかしながら、上述したように、ワクチン・パスポートシステムには個人の移動情報の収集システムを必然的に伴う点を考慮しますと、同制度は、ワクチンの接種者にとりましても、非接種者にとりましても、望ましいものとは思えなくなります。ワクチン・パスポートには、変異株の出現やワクチン効果の消滅、そして、個人による効果の違いなど、感染防止システムとしての有効性についても疑問があるのですから、同システムの導入がもたらす国民監視体制については、多くの人々が警戒して然るべきではないかと思うのです。