万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

パレスチナ分割決議をめぐる謎

2023年11月03日 10時50分24秒 | 国際政治
 第二次世界大戦後の1947年11月29日に成立した国連総会決議では、パレスチナの地には、アラブ系とユダヤ系の二つの独立国家の並立を認めています。何れの国家も、軍隊を含む統治機構を備えた民主主義国家であるはずでした。ところが、蓋を開けてみますと、ユダヤ人国家であるイスラエルは翌49年5月14日に凡そ予定通りに建国されたものの、1994年のオスロ合意に至るまで、アラブ系の国家であるパレスチナ国家が同地に姿を現わすことはなかったのです。

 パレスチナ国の誕生が遅れ理由としては、イスラエルの建国と共に、アラブ諸国の反発により、即、第一次中東戦争が始まったことによる混乱を挙げることができるかもしれません。あるいは、アラブ諸国のみならず、冷戦構造にあってパレスチナ側をサポートしたソ連邦が、同決議に従ってパレスチナの地に自由で民主主義国家が誕生することを拒んだとも推測されます。しかしながら、近年の国際社会の状況を観察しますと、別の見方もあり得るように思えてくるのです。

 パレスチナ分割決議の第一条には、イギリス政府の委任統治の終了が明記されています。このことは、同決議の目的が、先ずもってイギリス政府を当地域に対する責任から逃すことにあった可能性を意味します。今日に至るパレスチナ紛争の根本的な原因は、イギリス、とりわけ同国に深く根を張っているユダヤ・コネクションにあるとされていますので、同国は、国連に責任を押しつける形で身を隠してしまったことになります。しかしながら、当事の状況からすれば、イギリスも、同決議の内容が円滑に履行される見通しが殆どないことは分かっていたはずです。大英帝国時代からの情報網を引き継ぐMI5の実力、並びに、アメリカのCIAの協力も得られるのですから、アラブ諸国の動きも事前に予測できたはずなのです。

 冷静になって歴史を振り返ってみますと、第一次中東戦争には謎があります。パレスチナ紛争の原因は、一般的異は、ユダヤ人とアラブ人の双方に両立不可能な約束をした‘二枚舌外交’にあると説明されています(英仏ロの三カ国で勢力分割を約したサイクス・ピコ協定を含めれば三枚舌・・・)。1915年の7月から1916年の3月にかけ、イギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとメッカの太守フサイン・イブン・アリーとの間で、フサイン・マクマホン書簡(協定)と総称される十通の書簡が交わされています(因みに、マクマホンの祖父並びに父は英国東インド会社に勤務していた経歴がある・・・)。

 同書簡には、太守フサイン側が、第一次世界大戦にあってイギリスの敵国となったトルコ帝国に対してアラブの反乱を起こすのと引き換えに、イギリス側は、トルコ帝国からのアラブ諸国の独立について協力と承認を与えるという取引が記されています。アラブの独立問題が主たるテーマであって、パレスチナの地については殆ど言及がありません。このため、‘アラブ諸国’の範囲については曖昧、かつ、双方の解釈にも相違もあり、1915年10月24日付けの第4通目の書簡を読む限り、ユダヤ教徒やキリスト教徒が混住していたパレスチナの地は純粋にアラブ人の地とは認めておらず、ユダヤ人国家の建国を約したバルフォア宣言との間には矛盾がない、とする指摘もあるほどです。

 第一次世界大戦を背景としたイギリスとアラブとの間の打算的な約束があったとしても、その後、パレスチナの地は、国際連盟の名の下でイギリスの委任統治領となるのですから、同書簡をもって第一次中東戦争の原因とするのは、いささか突飛な観はあります。独立間もないアラブ諸国にしましても、戦争に費やされる膨大なコストを考慮すれば、必ずしも合理的な選択とは言えなかったはずです。そして、中東一帯が、戦略物資でもある石油の産出地である点に鑑みますと、中東戦争とは、イギリス外交をも内部から動かすことができる世界権力による、同地全域をコントロールするためのステップではなかったのか、という疑いが生じてくるのです。アラブ諸国を反イスラエルへと煽ることで、逆に、イスラエルの立場を強化し、同国の支配地域を力で広げつつ、同地域全体を不安定化するという・・・。

 こうした全てのアクターを上部からコントロールするという方法は、今般のイスラエル・ハマス戦争にもおいても十分にあり得るように思えます。第一次世界大戦を背景としたフサイン・マクマホン協定にあっても、アラブ諸国はトルコ帝国からの独立を果たしたとはいえ、結局は、イギリスが国王の地位と領土を安堵する役割を担っており、いわば、イギリスを宗主国とする封建体制や冊封体制に類似した形態となっています。さらに、第二次世界大戦後には、パレスチナ分割決議の顛末が示すように国連が無力化される一方で、ソ連邦を‘宗主国’とする国も現れ、それ程には状況が変化したわけでもありません。ユダヤとアラブとの間の敵対関係も表面上のものに過ぎず、これらの諸国の権力の所在を最奥部まで辿ってゆきますと、巨額の戦争利権並びにエネルギー利権を牛耳る世界権力に行き着くのかもしれません。

 そして、この推理からすれば、パレスチナ分割決議は、イギリスから国連に責任を転嫁しつつ、イスラエルに独立国家としての法的地位を与えるのが主たる目的であって、公式の政府を備えたパレスチナ国家は誕生してはならなかったこととなるのです(つづく)。

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