イギリスやEUをはじめ各国政府は、新型コロナウイルスの急激な感染拡大を前にして、緊急措置としてアストラゼネカ製のウイルスベクターワクチンの使用を承認しました。その際、日本国のメディアも、十分な治験を経てはいないものの、安全性は確保されているかのように報じていたのですが、同社製ワクチンの行方には暗雲が立ち込めているようです。かねてから疑念が持たれてきた同ワクチンと血栓症との関連性を、遂にEUの欧州医薬品庁(EMA)が、断定はしないものの公式に認めたからです。
EMAによれば、3400万回の接種の内、169件の脳血栓の症例が報告されているそうです。同庁は、’極めて稀な副反応’と表現していますが、ドイツのワクチン委員会の委員によれば、同ワクチンの接種により血栓が生じるリスクは60歳以下の女性では凡そ20倍に上り、「非常に明確なリスクシグナル」と述べたそうです。血栓は、脳のみならず、全身の血管に生じるものですし、明確に脳血栓と診断されたケースが169件としますと、自覚症状がないために、数字に表れない低レベルの血栓の発生は相当数に上るのではないかと推測されます。たとえ関連性があったとしても、EMAは、’リスクよりメリットの方が優る’として、使用の継続を認める方針のようですが、当局の一連の対応には、どこか釈然としないところがあります。
何故、もやもやした感情が残るのかと申しますと、おそらく、EMAのみならず、各国政府とも、未知のリスクをあまりにも軽視し過ぎているからなのではないかと思うのです。免疫のメカニズムを含め、様々な回路が複雑に関連する生物の仕組みにはまだまだ未知の部分が数多く残されております。DNAの二重らせん構造の発見を機に分子生物学が急速に進歩したものの、エピジェネティクスを含めその全容の解明にはまだまだ時間を要することでしょう。言い換えますと、国民の多くが懸念しているように、今般の遺伝子ワクチンは、いわば、未知のリスクを置き去りにした見切り発車なのです。この側面に注目すれば、’人体実験説’は、現実を直視した事実としか言いようがないのです。
そして、ここで考えてみるべきは、’見切り発車’の是非の問題です。今日なおも、政府もメディアも遺伝子ワクチンの安全性を強調しており、全国民を対象にワクチン接種を積極的に推進しようとしています。しかしながら、未知のリスクの存在は、この方針に対して重大な疑問を投げかけることになりましょう。未知のリスクが、時間の経過とともに、ワクチン接種のメリットを上回る可能性を意味するからです。将来にあって、’後で分かってからでは遅い’という事態が起こり得る場合、限られた知識や即時的な判断は許されるのか、という問題が生じるのです。未知のリスクの軽視は、人命の軽視でもありますので、ワクチン接種の推進は、必ずしも国民の命を護るどころか、将来に亘って危険に晒すかもしれないからです。
ファイザー製のワクチンについても、未知なリスクがある点においては変わりはありません。諸外国では死亡例も報告されていますし、先日も、福岡県八女市にあってワクチン接種を受けた看護師の方が死亡したとする情報がツイッター上に流れたことから、ネット検索で調べたところ、この情報を肯定する報道も否定する報道も見つけることができませんでした。フェイクニュースであれば、マスメディアが飛びつきそうな事件ですので、本当のところは、厚労省による公表やメディアでの報道に先立って、因果化関係を調査中なのかもしれません(もっとも、因果関係が確認できなかったとして同情報は封印されてしまうかもしれない…)。
今般、短期的な副反応であるため、比較的に容易に確認し得る血栓症のリスクが公的に認められたことで、未知のリスク問題が改めて認識されることとなりましたが、中長期的な未知のリスクはさらに広大な領域に及びます。遺伝子改変はないとされているとはいえ、他の添加物の影響等により世代を超えて子々孫々に及ぶ可能性もあるのですから。安全性ばかりを強調し、あたかもワクチン接種を当然のことのように見なす政府やマスメディアは、将来にあって未知のリスクが顕在化した場合、どのように責任をとるつもりなのでしょうか(致死的な副反応や有害事象であれば、ワクチンを接種した国民は座して死を待つばかりとなる…)。
また、変異株への効果や抗体効果の持続期間によって、接種計画の変更を余儀なくされるケースも想定されます。変異株ごとにそれぞれ別の種類のワクチンを接種しなければならないとなりますと、国民のワクチン接種の種類、回数、そして量は増大し、未知なるリスクはさらに拡大しましょう。
’見切り発車’のワクチンについては、未知なるリスクこそ重視すべきように思えます。未知が既知のリスクとなった際には臨機応変に対応すべきですし、政府は、国民に対しても正直かつ誠実にリスク説明に努めるべきではないかと思うのです。