世界経済フォーラムは、SDGsの実現を目指して「グローバル・リデザイン」構想を打ち上げ、2020年には、アフター・コロナを見越したグレートリセットという名称のプロジェクトをも開始しています。これらの行動から、全世界を自らの思い描く通りに変えたいとする同フォーラムの基本姿勢が伺えます。
ここで先ずもって問われるべきは、全世界をグローバル・ガバナンスの名の下で‘リデザインする正当な権利が同フォーラムにあるのか、という根本的な問いかけです。何故ならば、同組織は、基本的には民主主義とは無縁の民間組織に過ぎず、誰も、同フォーラムに対して世界再編を決定し、それを実行する公的な権限を認めても、与えてもいないからです。SDGsを目標に掲げていることからも分かるように、同フォーラムは国連とも関係しており、国連社会経済評議会においてオブザーバーの地位を得ています。しかしながら、あくまでもオブザーバーであり、正式の国際機関ではありません。また、たとえ各国の首脳級の政治家が年次総会であるダボス会議に参加していたとしても、参加という行為によって、同フォーラムに国家の政策権限が移るわけでもないのです。
因みに、同フォーラムのホームページでは、自らのミッションを’ 官民両セクターの協力を通じて世界情勢の改善に取り組む国際機関‘と紹介しています。しかしながら、勝手に自らのミッションを設定して行動するのは許されるのでしょうか。全世界を根本的に’リセット‘するためには、各国政府を自らの構想に沿うように動かす必要があります。つまり、同ミッションは、自らには政府を上回る力があると宣言しているに等しいのです。’官民協力‘と表現しながらも、ヴィジョンの決定者は、世界経済フォーラムであるからです。これでは、各国政府の政策権限が、民間組織である官民同フォーラムによって一方的に侵されかねません(同ミッションとは、本当のところは、同フォーラムの背後に控える世界権力が命じたものでは・・・)
こうした国家軽視の姿勢は、同フォーラムが掲げる未来ヴィジョンからも伺えます。将来のグローバル化した世界は、‘多国籍企業、国際機関を含む政府、並びに、選ばれた市民団体(CSOs)間の3協力によって最も良くマネージされると述べているからです。同ヴィジョンでは、政府は国際機関と同列となり(国際機関とは、国家レベルの政府の合意に基づく条約によって設立されており、法的にも両者は’同列‘ではないはず・・・)、かつ、多国籍企業及び市民団体(CSOs)と並ぶ三つの主要構成部分の一つに過ぎなくなります。同ヴィジョンが実現すれば、独立主権国家が並立する国民国家体系が根底から崩壊します。なお、’選ばれた市民団体‘とされる’CSOs‘も’くせ者‘のように思えます。誰が選ぶのか、という選任者の問題が曖昧ですし、ヤング・グローバル・リーダーズの戦略からしますと、これらの市民団体も、世界経済フォーラムもしくはその背後の世界権力が育てた、あるいは息のかかった組織なのでしょう。
また、協力関係の三者のまとめ役、あるいは、実際にはこれらに対して命令権を有する上位の地位にある存在をも想定しているのかもしれません。それは、世界経済フォーラム自身かもしれませんし、その背後に潜む世界権力であるのかもしれません。言い換えますと、同フォーラムを擁する特定の勢力によって全世界は一つの支配構造に改変され、国家は、その下部組織の一つに過ぎなくなるのです。
今日、国際社会の主要な関心事が、地球温暖化問題、感染症パンデミック、デジタル化、格差是正、LGBTQを含む人権問題等に集中するのも、それが、国境を越えた全世界レベルでの‘政治問題’として設定し得るからなのでしょう。これらの問題へのグローバルな対応を根拠とするならば、世界権力の存在意義を説明し得るからです。否、こうした‘グローバル・イシュー’とは、自ら問題を起こしながら、その賢明な解決者として登場する‘マッチポンプ’である可能性さえ認められましょう。
目下、世界経済フォーラムは、民営化推進や官民共同出資のPPP・PFI方式では今日的な問題は解決しないとして、国家の役割強化の方向に軌道修正を行なっています。同路線変換を考慮しますと、過去最大とされる日本国の本年度予算において、GX促進に多額の予算が配分され、使途を限定したGX経済移行債が発行されるのも、日本国政府が同フォーラムの方針に沿った結果かも知れません。国家の課税権を自らの利益拡大に繋げるという作戦です。
ウクライナ紛争では、世界経済フォーラムは、ロシアを閉め出して同国の侵略行為を糾弾していましたが、自らの国家に対する侵害性については全く罪悪感を抱いてはいないのです。世界経済フォーラムであれ、その背後で手綱を握る金融・経済財閥を中核とする世界権力であれ、恣意的な私的権力による世界支配の構図からの脱出こそ、人類がともに直面している真の政治問題であると思うのです。