震災6年、鎮魂の朝=「家族見守って」―被災各地で遺族ら祈り・東日本大震災
本日、東日本大震災から6年に当たる3月11日を迎えました。忘れもしない日であり、震災で家族や知人を亡くされた方々の悲しみは、6年の月日が経っても癒されず、被災者の方々の心の傷の深さに言葉を失います。
ところで、震災から6年を前にして、昨日、NHKのニュース9で被災地の今の様子を報じていました。その中で、震災の記憶が風化しないよう期限を決めて石碑の碑文を変えるという取り組みを行っている被災地を紹介していました。今年は、若い人々も参加して新たな碑文を決めたそうなのですが、番組で紹介された碑文に愕然とさせられました。”人の命を助けたいならば、まず自分から(正確ではないかもしれない…)”というものなのです。
津波という自然災害では、”まずは高台に逃げよ”が鉄則なそうです。しかしながら、津波という災害における避難形態からしますと、高台に逃げる行動を開始した時点で、他の人々を助けることは不可能となります。となりますと、碑文の前節にある”人の命を助けたい”という一節は全く無意味となり(言い訳にしか聞こえない…)、”逃げるに逃げられない人々を置き去りにしてでも、自分一人は生き残れ”という意味とならざるを得ないのです。
6年前の震災の光景を思い出しますと、津波が背後から迫る中、足の悪い同級生を背負って避難した中学生もおりした。上記の標語調の碑文の”自分から”に従えば、同級生を見捨てて自分だけが真っ先に逃げる行動が奨励すべき行動となります。また、多くの警察官や消防士の方々が、地域の人々を救うために危険を顧みずに避難誘導や救助活動に当たり、殉職されております。このような尊い命の犠牲も、愚かしい行為、あるいは、無駄であったのでしょうか。また、家族や知人を助けるために自らの命を犠牲にされた民間の方々も少なくありません。もちろん、真っ先に逃げることを選択した人々もおりましょうが、中には、自らの命を危険に晒してでも、他の人々の命を救おうとした人々もいるのです。否、犠牲者の中には、一緒に死ねれば本望と考えた人もいたかもしれないのです。
今後、同様の津波が発生した際に、その犠牲者の多くが自力で逃げることができない幼い子供達、お年寄り、そして、身障者の方々であったしたら、うすら寒さを感じるのではないでしょうか。災害という生死を分ける極限状態にあって、どのような行動をとるのかは、災害に遭遇された方々の自らの人生をかけた決断であるはずです(内面から表出する咄嗟の判断であるかもしれない…)。こうした人生と人生観をかけた決断、即ち、命がけの決断は、一人一人に任せるべきであり、軽々しく”自分だけ逃げよ”と勧めることはできないのではないでしょうか。
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本日、東日本大震災から6年に当たる3月11日を迎えました。忘れもしない日であり、震災で家族や知人を亡くされた方々の悲しみは、6年の月日が経っても癒されず、被災者の方々の心の傷の深さに言葉を失います。
ところで、震災から6年を前にして、昨日、NHKのニュース9で被災地の今の様子を報じていました。その中で、震災の記憶が風化しないよう期限を決めて石碑の碑文を変えるという取り組みを行っている被災地を紹介していました。今年は、若い人々も参加して新たな碑文を決めたそうなのですが、番組で紹介された碑文に愕然とさせられました。”人の命を助けたいならば、まず自分から(正確ではないかもしれない…)”というものなのです。
津波という自然災害では、”まずは高台に逃げよ”が鉄則なそうです。しかしながら、津波という災害における避難形態からしますと、高台に逃げる行動を開始した時点で、他の人々を助けることは不可能となります。となりますと、碑文の前節にある”人の命を助けたい”という一節は全く無意味となり(言い訳にしか聞こえない…)、”逃げるに逃げられない人々を置き去りにしてでも、自分一人は生き残れ”という意味とならざるを得ないのです。
6年前の震災の光景を思い出しますと、津波が背後から迫る中、足の悪い同級生を背負って避難した中学生もおりした。上記の標語調の碑文の”自分から”に従えば、同級生を見捨てて自分だけが真っ先に逃げる行動が奨励すべき行動となります。また、多くの警察官や消防士の方々が、地域の人々を救うために危険を顧みずに避難誘導や救助活動に当たり、殉職されております。このような尊い命の犠牲も、愚かしい行為、あるいは、無駄であったのでしょうか。また、家族や知人を助けるために自らの命を犠牲にされた民間の方々も少なくありません。もちろん、真っ先に逃げることを選択した人々もおりましょうが、中には、自らの命を危険に晒してでも、他の人々の命を救おうとした人々もいるのです。否、犠牲者の中には、一緒に死ねれば本望と考えた人もいたかもしれないのです。
今後、同様の津波が発生した際に、その犠牲者の多くが自力で逃げることができない幼い子供達、お年寄り、そして、身障者の方々であったしたら、うすら寒さを感じるのではないでしょうか。災害という生死を分ける極限状態にあって、どのような行動をとるのかは、災害に遭遇された方々の自らの人生をかけた決断であるはずです(内面から表出する咄嗟の判断であるかもしれない…)。こうした人生と人生観をかけた決断、即ち、命がけの決断は、一人一人に任せるべきであり、軽々しく”自分だけ逃げよ”と勧めることはできないのではないでしょうか。
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大東亜戦争で亡くなった兵隊さんに手を合わせない人々に重なります。
東日本大震災で学童の子供を失くした男性が、震災の語り部として全国の学校を講演して回っているというテレビニュースを見ました。
震災の記憶を風化させないためにそうしているのだと彼は言います。
ある小学校で生徒たちに「私の子供は・・・亡くなっていた。このようなことはあってはならないことです。絶対あってはならないことなのです」と声を荒げていました。
子を失くした親の気持ちは私には分からないから、いい加減なことは言ってはなりません。
ただ、彼は震災の何を風化させないようにしようとしているのだろうと思います。
大川小学校の経験から、子供にも大人である教師よりはるかに勘の良い子がいることを教える。その子には北上川を登ってくる津波が見えたと言うこと。その子が逃げたから、ついていった子供が数人、助かった。助かった教師は隊列を離れた子供を返そうとしたのか?
東日本大震災につきましては、大切なご家族を失われた方、自宅に住めなくなり避難所での生活を強いられている方、また、遺族の中にはご遺体が戻られておられない方などもおられます。それ程の被害は受けないまでも、トラウマとなっている方もおられることでしょう。その思いもそれぞれなのでしょうから、こういう時にこそ、”行動規範”のようなもの(しかも、”見捨てることの薦め”となりかねない…)を押し付けはならないように思えるのです。
本記事で紹介いたしました碑文は、地域の智慧ではなく、若者の発案で造られたそうです。むしろ、碑文の意味内容をよく考えず、また、若さゆえに人の心に対する洞察が不十分であったゆえに、このような文章になってしまったのえはないでしょうか。
なお、本記事で問題としておりますのは、大川小学校のリスク判断の誤りではなく、他の人を助けようとする行動に関する判断です。
今時なら親は一度に全部の子を失い、その衝撃は耐えられないでしょう。彼らが助かったから、下の子を失っても、残った子を何とか育てなくてはと生きていける。昔人の叡智は、そういうことも含んでいるのです。
この碑文は、子供たち向けに作成されているわけではなく、一般的な教訓として残したい言葉を選んだようです。子供達には、人を助ける力はまだありませんので、”自分から”でよいのではないかと思います。しかしながら、自力で高台に避難できない幼児、高齢者、身障者の方々については、他者の助けが必要不可欠です。そうであるからこそ、一般論として、”自分から”という言葉を奨励してはならないと思うのです。
unknownさまへのコメントでも説明申し上げたのですが、自力で逃げられる年齢に達した子供達に対しては、もちろん、真っ先に高台に逃げるように教えるべきであると思います。その一方で、自力で逃げたくても逃げられない人々もおりますし、また、職に殉じた方々を思いますと、一般論として奨励するのには、抵抗感を感じざるを得ないのです。
災害発生時にあっては、真っ先に自ら逃げるのではなく、やはり、他の自力で逃げられない人々をも助けられるならば助けるべきと考えます。最善を尽くしても無理と判断した場合には、それは、致し方ないのかもしれません。しかしながら、この碑文(標語)では、我先に逃げることを奨励してしまい(セウォル号になる…)、助けられる人まで見捨てることになりかねません。やはり、碑文には刻んではならないと思うのです。