万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

現代のグローバリズムはイエズス会と東インド会社のキメラ?

2020年07月07日 11時48分41秒 | 国際政治

 一昨日の晩(7月5日)、NHKスペシャルでは、‘世界を変えた戦国日本’と題した番組が放映されておりました。前週に続いて海外史料から戦国時代の日本国の実像を読み解く番組の第二弾であり、今回は、徳川家康とオランダ東インド会社との関係に焦点を当てていました。2週連続して放映されたこのNHKの戦国シリーズ、実のところ、今日の日本国の置かれている状況とオーバーラップして見えるのです。

同番組では、イエズス会士のスペイン国王に対する書簡を紹介しており、その中に‘日本国民をキリスト教徒に改宗することができれば、もはや国民は日本国の為政者に従うことはなくなり、家康が死去すれば、陛下(スペイン国王)に忠誠を誓うことでしょう(記憶が怪しく、正確ではないかもしれません…)’といった趣旨の記述が認められていたそうです。成功例としてフィリピンやメキシコを挙げられており、キリスト教の布教の真の目的が日本国の植民地化であることを明かしているのです。

従来、豊臣秀吉や江戸幕府によるキリシタン弾圧は、日本国の歴史における汚点と見なされ、国際的にも日本国のイメージを損ねてきました。しかしながら、近年の内外の研究により、当時のイエズス会の活動が詳らかになるにつれ、この固定概念は見直されるかもしれません。そして、ここに、宗教団体によって植民地化の精神的な道具としてキリスト教が利用され、世俗における征服事業を精神面からサポートしていた実態が浮かび上がるのです。

 それでは、何故、国民のキリスト教への改宗が、スペインによる植民地化を招くのでしょうか。先ずもって、イエズス会は、日本人のキリスト教徒達を自らの組織に組み入れることができます。つまり、日本人信者のアイデンティティーを日本国からキリスト教共同体(イエズス会)に移すことで、実質的に日本人をイエズス会の動員可能な下部団体として組織することができるのです。その数が多数派となれば、上述した書簡にあって期待されていたように、徳川幕府を倒すことも夢ではありません。キリスト教を禁教とした家康を‘ゼウス様の敵’に認定すれば、信者たちは、全知全能、かつ、至高善なる存在としての神の名の下で、神に仇する幕府を倒すべく戦うことでしょうし、武力を行使しなくとも、徳川家康その人、あるいは、その子孫の改宗に成功すれば、自発的に日本国をキリスト教の最大の擁護者であるスペイン国王に進呈する、あるいは、スペイン国王、並びに、イエズス会の事実上の‘代理人’として働くかもしれません(スペインは、佐渡銀山で採掘された銀の半分を引き渡すことを条件に、高度な技術を有する自国の鉱山技師の派遣を家康に申し出て断られている…)。高山右近をはじめとしたキリシタン大名達のように…。 

前回の番組にあって、イエズス会士は、信長に対して‘日本国民の魂を盗みに来た’と説明していましたが、精神面における国民の意識や思想の変化は国家の枠組みそのものを揺るがす重大な影響力を及ぼします。とりわけ、普遍性を備えた宗教や思想は、軽々と国境を越えて広がりますし、その宗教組織が特定の国家と強固に結び付きますと、他国の征服や侵略までをも正当化してしまうのです。

この側面に注目しますと、イエズス会士から期待されていたキリスト教の役割は、近現代のコミュニズム(共産主義思想)やグローバリズムの役割に近いかもしれません。共産主義思想はソ連邦や中国と結びつくことで周辺諸国を侵略するにとどまらず、全世界の支配を目論みましたし、グローバリズムもまた国家の枠組みの融解を促しているからです。

しかしながら、‘太陽の沈まぬ帝国’とも称されたスペインが武力による領域拡大を伴う面的な世界帝国建設を目指した時代は過ぎ、近代史においてグローバリズムの最後の勝者となったのは、ネットワーク型の貿易網を世界大に張り巡らした東インド会社でした。同番組の最後にあって、ナレーターもまた、オランダ東インド会社をして‘グローバルな時代の勝者とは、最もそれを効率的に利用した者である(こちらも記憶が怪しく、正確ではないかもしれません…)’とし、今日的な問題をも提起しておりました。

国王から独占的な貿易権を付与された勅許会社とはいえ、世界初の株式会社がオランダ東インド会社であったように、東インド会社は私企業です。私的な利益を求める私企業・私的団体でありながら、英蘭東インド会社は、条約締結権、要塞建設権、貨幣発行権など含む統治権限をも得ていたのです。今日、フェイスブックがリブラ構想を打ち出し、米中のIT大手が競うようにして世界大にネットワーク型のプラットフォームを構築している現状を見ますと、どこか、かつての東インド会社を思い起こさせるのです。江戸時代にあって、グローバリズムの視点を持つオランダ東インド会社が日本国を最大限に利用して莫大な利益を得たように(大量の銀が流出…)、そして、明治維新の影にも英蘭の東インド会社があったように、今日もまた、日本国は、グローバリズムに‘利用される’かもしれません。

しかも、今日のグローバリズムには、精神面での偽善的な戦略も潜んでいるように思えます。自由主義国のIT大手が自由、民主主義、法の支配等の普遍的諸価値を掲げつつ、その実、中国IT大手と同様に全体主義体制や権威主義体制との間に高い親和性を示している現状は、本来は善なる宗教であったキリスト教を悪用し、植民地支配の道具としたイエズス会の手法をも彷彿させるのです(もっとも、イエズス会士にはユダヤ人が多く、また、創始者であるイグナティウス・ロヨラもユダヤ人であって、密かに黒マリアを信仰していたとも…)。IT大手は言論空間において事実上の検閲権を行使していますし、その先進的な技術力は、全人類を完全監視下に置く勢いです。あたかも、イエズス会と東インド会社が合体したキメラのような様相を呈しているのです。これまで、日本国内ではグローバリズム礼賛一辺倒の傾向にありましたが、過去の歴史から学ぶことは多いように思えるのです。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中国の脅迫体質―今なら間に合... | トップ | 深刻な二階幹事長問題-二階... »
最新の画像もっと見る

国際政治」カテゴリの最新記事