万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

岸田首相の’新しい資本主義’とは一億総株主なのか?

2022年06月03日 09時52分27秒 | 日本政治
 これまで首相交代のたびに氏名を英語化した’○○ミクス’と命名されてきたのですが、岸田首相の場合、珍しく’キシダノミクス’という言葉は聞かれません。その代わりなのか、’新しい資本主義’という言葉が打ち出されています。

 ところが、この’新しい資本主義’、一体、何を意味するのか解釈はまちまちです。’新資本主義’を言い換えた言葉に過ぎないとする見解がある一方で、’新しい社会主義’であるとする見方もあります。国民に対して岸田首相の口からその詳細が語られることはなかったのですが、「成長と分配の好循環」を掲げた所信表明演説などから、労働分配率を上げることによる所得の向上を期待した国民も少なくないかもしれません。高度成長期の再現、即ち、一億総中流政策こそ、’新しい資本主義’なのではないかと。

 何れにしましても、’新しい資本主義’の具体的な内容については曖昧模糊としていたのですが、先日、新しい資本主義を実現する政策として’一億総株主’という目標が公表されたことから、ネット上では、岸田内閣に対して落胆と批判の声が上がるようになりました。同政策は、自民党サイドによる提言なのですが、一億総株主政策は、あまりにも多くの問題を抱えているように思えます。

 第1に、岸田内閣が掲げてきた国民の所得向上という目標は、労働分配率の比重を上げるのではなく、株主分配率を厚くすることによって実現しようとしているとも解されます。近年、格差是正の観点から労働分配率を高めるべきとする声が高まっていましたが、新しい資本主義とは、勤労よりも投資を重んじる経済なのかもしれません。’一億総株主’の標語は、’貯蓄から投資へ’のキャッチフレーズと共に登場しつつも、その実態は、’労働から投資へ’なのかもしれません。

 第2に、政府の狙いとしては、NISAやIDeCoの利用者を増やそうというものなのでしょうが、国民全員を株主化しようとする政策は、株式に投資をしたくない国民、並びに、投資する余裕を持たない国民を政策の恩恵から実質的に排除することとなります。このため、同政策のメリット面での説明として、勤労所得の他にも株の配当等による収入を得ることができる、とするものもありますが、株式の非保有者である国民にとりましては、勤労所得の減少のみを意味するかもしれません。その一方で、投資促進を目的として株式投資に税制面でのさらなる優遇措置を実施するならば、同政策は、全国民を対象としたものではなく、少数の富裕層に対象を絞った優遇政策となりましょう。なお、’一億総億万長者’という目標が非現実的なように、’一億総○○’という表現には注意が必要です。


 第3に、’貯蓄から投資へ’という方向性にも疑問があります。何故ならば、必ずしも貯蓄よりも投資の方が経済成長にとりましてプラスであるのかどうか、不明であるからです。仮に投資への移行にプラス効果があるとすれば、その前提として、直接金融を担う銀行融資の失敗や非効率性を想定しなければなりません。低金利時代のため、預金者からしますと銀行預金は所得を増やす手段とはなりませんが、企業からしますと、低利で安定的な融資を受けることができます。一方、株式発行による資金調達となりますと、株主配当の義務、公開時の額面割れ、市場での自社株の下落、株主の経営介入、敵対的買収(海外企業もあり得る…)…といったリスクも伴います。箪笥預金とは違い、貯蓄であれ、投資であれ、両者とも経済において生かされているのですから、優劣はつけ難いのです(社債発行という資金調達手段も無視されている…)。また、起業であれ、設備投資であれ、投資家となった多くの国民が、これらの事業失敗時のリスクを負うことは言うまでもありません。

 国民が従順であれば、多くの国民は、政府の政策に従って積極的に株式に投資しようとすることでしょう。仮に、株式市場に国民の保有資金が殺到するとなりますと、マネーゲームが加熱したり、投資が投機に転じ、バブルが発生する可能性もあります。第4の問題点は、証券市場におけるバブル発生リスクです。バブルはやがて潰れるのが常ですので、大多数の国民が損失を被ることとなりましょう。しかも、バブル崩壊を機に恐慌が発生でもすれば、目も当てられない大惨事となります。

 さらに第5番目に挙げられるのは、日本国民の株式投資が必ずしも日本経済にプラスに働くとは限らない点です。経済成長率からしますと、途上国企業の方が投資先としては有力ですし、起業数も圧倒的に米欧が優ります。グローバル化、並びに、ネット化が進んだ今日、日本の証券会社も海外企業の株式を扱っていますし(中国株も取引き…)、海外金融機関も日本の金融市場に参入しています。日本国民の主たる投資先は海外企業となり、これらの海外企業の国際競争力を高めてしまう事態もあり得るのです(日本国の金融収支はプラスになっても、日本経済は衰退…)。もっとも、2014年には、中国の証券会社である海通国際証券集団が、東京証券取引所に上場する日本株の調査会社であるジャパンインベスト・グループを買収していますので、日本株に日本国民が投資し得る仕組みであれば、海外資本に対する日本経済の防御策とはなりましょう。

 以上に‘一億総株主’の主要な問題点についてみてきましたが、経済成長を促す好循環のモデルを未来図として描くばかりで、現実に起こり得るマイナス作用については殆ど考慮されてはいません。新しい資本主義が‘一億総株主’であるとしますと、それは、国民感情も現実をも無視したあまりにも短絡的な発想のように思えるのです。

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