ドナルド・トランプ米大統領が近日中の解除を約したケネディ大統領暗殺事件に関する機密文書については、おそらくウォーレン委員会の最終報告とは違った内容を含むのでしょう。仮に同報告書と何らの矛盾も齟齬もない文書であれば、かくも厳重に機密扱いする必要がないからです。かくして人々の関心も自ずと高まるのですが、今般の一件は、‘政府の嘘’の問題をも提起しています。
今日、メディアでは、‘陰謀論’を見出しに含む記事が定期的に流されています。何れも、‘陰謀論’に嵌まってしまった家族や知人、あるいは、陰謀論が流布する現状を嘆くものであり、これらの記事からは、暗に‘陰謀を信じる人々を一般社会から排除しよう’あるいは‘まともに取り合ってはならない’とするメッセージが伝わってきます。執拗なまでの頻繁な記事に、これこそ世論誘導のための陰謀なのではないか、と疑うレベルなのですが、これらの筆者の何れも、我こそは常識的な国民の代表’とばかりに懐疑論者の異常性をアピールしているのです。もっとも、極端な主張を繰り返すQアノンあたりになりますと、‘偽旗作戦’の可能性も高くなるのですが・・・。
かくして、陰謀の可能性の指摘を‘同調圧力’によって封じようとする動きが見られるのですが、これらの封印‘活動’には、一つの共通点があるように思えます。それは、何れも国家や政府が情報の発信者として関わっている点です。国民を思考停止に追い込むための陰謀論作戦の発端がケネディ大統領暗殺事件にあったとする指摘がありますように、政府の情報に対して国民から嫌疑がかけられる場合、陰謀論攻勢が激化するのです。
アメリカ国民の大多数がオズワルド単独犯行説に疑いを抱いているように、日本国でも、政府の説明をそのまま信じることができないような事件は多々あります。今日、コロナワクチンに対する様々な陰謀説が飛び交っているのも、そもそもは、当時の河野太郎新型コロナワクチン接種推進担当を筆頭に、政府が、同型のワクチンの安全性を宣言したところにあります。ところが、実際には、国民の間で多数の健康被害が生じており、死亡者数も認定を受けた数だけで1000人に迫っています。超過死亡数も増加が指摘されており、政府の‘宣伝’に騙されたと感じる国民も少なくありません。そして、陰謀論論争の主戦場の一つが同ワクチンにあることは、誰もが知るところです。
もう一つ、分かりやすい事例を挙げるとすれば、それは、安部元首相暗殺事件です。ケネディ大統領暗殺事件について調べますと、銃器による暗殺が如何に凄惨であったかを知ることが出来ます。文字にすることも憚れるのですが、銃弾の身体に対する破壊力には誰もが慄きます。ところが、安部元首相は、沿道のビルの一室から射撃されたとされるケネディ大統領よりも遥かに至近距離で被弾したにも拘わらず、著しい身体的な損傷を受けてはいません。銃社会であるアメリカにおいて倒れた元首相の様子や現場が放映されれば、政府が厳正なる調査の結果として公表したとしても、誰もが、山上容疑者による単独犯行とは信じないことでしょう。
「陰謀論」が政府関連の事件に集中しているとしますと、‘政府は嘘を吐いており、何らかの情報を国民に隠している’と考える人が出現してもそれはおかしいことではありません。そして、悪意のないホワイトライというものがあることはあるものの、人が嘘を吐く場合とは、得てして自らに都合が悪い場合が圧倒的に多数を占めます。陰謀説が流れることは、国民からしますといたく自然の現象であり、レッテル張りに躍起になる「陰謀論」の方が余程不自然なのです。
政府の嘘が、国民に対して何かやましいことがあり、巨額の利権をも絡む謀略や犯罪をも強く示唆しているとしますと、国民は、‘騙されたふり’をしてはならないように思えます。政府が国民を騙し仰せたと確信しますと、何度でも、事実を隠すためのカバーストーリーの作成や虚偽の説明を繰り返すからです。そして、国民は、政府は何を隠そうとしているのかを冷静に洞察し、正真正銘の陰謀や政治家の汚職が絡んでいる可能性を追求してみるべきなのではないでしょうか。近い将来、政府の発表や報道に疑問を呈する国民を「異常者」として排斥するような陰謀論作戦が発動した時こそ、国民が、陰謀の実在を確信する時となるのかもしれません。