農産物の先物取引については、一般的には‘天候等による価格変動のリスクをヘッジする’として、その必要性が説明されています。収入が安定するので、農家のためにこそ存在するとする説です。しかしながら、本ブログの2月7日付けの記事でも述べましたように、農家にとりましては極めて不利な制度です。
そこで、昨年2024年8月から大阪堂島商品取引所での米先物取引再開の経緯を見ますと、やはり疑問ばかりが沸いてきます。先ずもって、取引復活に際しては、SBIホールディングスの強い要請があったことは疑いようもありません。同社は、大阪堂島商品取引所の株式公開時に凡そ3分の1を取得しており、市場の運営者がプレーヤーを兼ねる状態となります。中立・公平であるべき取引所が自社企業に有利になるように運営する懸念が高まるのですが、実際に、米先物取引の再開と同時に、SBI証券が米の先物取引市場に参入し、主要プレーヤーとなっています。SBI証券のビジネスとその利益のために米先物取引を再開させたことは、誰の目にも明らかと言えましょう。しかも、農林中金の巨額損失が明らかとなった、まさにその時期に。
加えて日本国政府にも、民間の一企業、あるいは、投機筋への利益誘導政策として米の先物取引を再開に許可を与えた疑いが生じます。内外に市場を開放した形での先物取引は今般の米価高騰の一因とも推測されますので、これは、大問題となりましょう。第一に、先物市場の開設は、農家からの要望ではないのですから。冒頭の説明のように、仮に農家には農産物価格の変動リスクをヘッジする必要があるならば、農家の側から開設を求める強い要請があったはずです。しかしながら、農協は一貫して先物取引反対の立場にありましたし、一般の農家の人々が先物市場の開設を政府に求めた形跡もありません。農家としては、先物取引によって自らが生産した農産物を‘得体の知れない事業者’に売り渡すことには二の足を踏むことでしょう(因みに、堂島商品取引所のホームページでは、投資家に対して受渡しの必要はないとしつつ、契約が成立した際の農家、あるいは、集荷事業者や卸売り事業者の‘受渡し先’に関する説明がない・・・)。
となりますと、先物市場農家必要説は崩れ、そこに現れるのは、投機マネーを集めて賭け事をするマネーゲームの場としての先物市場です。そして、この現実は、農産物の先物市場の実態はカジノと同じであり、一刻千金を夢見る者や富裕層の遊びの場でしかないことを示しています。しかも、一般の国民にとりましては、カジノより遥かに有害であり、実害も発生します。カジノでは、賭に負けても勝っても、それは、賭けた人の自己責任であり、その資産をもって決済されますが、先物市場では、市中の農産物価格にも影響を与えます(現物取引よりも時間的な余裕があるので、価格操作という‘魔’が入り込む余地もある)。言い換えますと、一般の消費者も、マネーゲームの巻き添えにされかねないのです(なお、農産物市場に限らず、一般の人々は、バブルとその崩壊など、常に、金融筋の投機的な行動の犠牲者となる・・・)。今日に至るまで、日本国にあって米先物取引市場が設けられてこなかった理由も、この点にあると言えましょう。マネー・パワーに迎合、あるいは屈して、先物取引のリスクを国民に負わせた政府の責任も重いということになります。
そして、この問題をさらに突き詰めてゆきますと、農産物の生産者でもなく、また、集荷業者でも卸売業者でもない無関係な個人や事業者が、自らの私的利益のために農産物の売買を行なう正当なる自由や権利があるのか、という疑問に行き着きます。もちろん、証券会社は、農産物の売買を手がけているわけではありません。農家にリスクヘッジの機会を提供していると抗弁するのでしょうが、その必要性が乏しいことは先に述べたとおりです。否、農家に対するリスクヘッジの手段の提供と見せかけながら、その実、全体から見れば、先物市場は、一部の投機家たちの私的欲望のために一般の人々にその数万倍ものリスクをもたらすという、リスク増幅装置として作用しているように思えます。国民の生活を危険に晒すこのような装置こそ、誰も‘ヘッジ’できない最大のリスクなのではないでしょうか。
真偽の程は分かりませんが、大阪堂島商品取引所では、政府による備蓄米放出の方針の発表にも拘わらず、米価下落の効果を願う国民の期待をあざ笑うかのように、先物の価格は今なお上がり続けているようです。岸田文雄前首相が提唱した‘新しい資本主義’とは、マネーゲームのさらなる解禁なのでしょうか。米価対策は備蓄米の放出が全てではなく、日本国政府は、米先物取引に許可を与えた責任をとり、速やかに同取引の許可を取り消し、合わせて「買い占め等防止法」のお米に対する適用を表明すべきではないかと思うのです。