ウクライナ戦争を誘発した遠因として、しばしば「ブダペスト覚書」に基づくウクライナの核放棄が指摘されています。同覚書によって、ウクライナは同時に核の抑止力をも失ったからです。事実を直視しますと、「ブダペスト覚書」とは、NPTの縮図にも見えてきます。核兵器を手放したウクライナと核放棄の見返りに同国の安全を保障したアメリカ、イギリス並びにロシア等との関係は、NPTにおける非核保有国と核保有国との間の関係との相似形であるからです。ウクライナは、結局、約束を反故にされて騙される形となったのですが、核保有国による核兵器使用の可能性が高まる今日、核攻撃のリスクに晒されている非核保有国の多くでは、核保有国、否、NPT体制の背後で蠢いてきた世界権力によって‘騙された’とする感情が湧いていることでしょう。
もっとも、ウクライナでは既に戦渦に見舞われていますが、他の非核保有国には、戦争を未然に防止する手段が残されています。その方法とは、速やかに核の抑止力を備えることです。つまり、一般国際法としてのNPTの終了、もしくは、各締約国によるNPTからの脱退ということになりましょう。軍事大国による核使用の現実性に加え、インドとパキスタンとの間の核の均衡については別に置くとしても、イスラエル、北朝鮮、イラン等が核を開発・保有した時点で、NPT体制の仕組みは既に破綻しているのですから。NPTの理想論にしがみついていても戦争を回避することはできない段階に、今や至っていると言えましょう。今日とは、物理的な対応をもってしか剥き出しの暴力を止めることができない時代にあるのかもしれないのです。
「ブダペスト覚書」の事例が人類に教訓を与えているとすれば、それは、核の抑止力の重要性です。同教訓に学ぶならば、中国による台湾侵攻を防ぐためには、先ずもって台湾の核武装を急ぐ必要があるとの結論に至ります。同核武装につきましては、台湾が独自に開発・保有する方法と準軍事同盟国であるアメリカ等の核保有国から提供を受けるという二つの道がありましょう。台湾は、NPTの正式な締約国ではありませんので(条約遵守国の地位)、前者については、NPTによる法的な縛りは格段に弱くなります。台湾の核武装が実現すれば、核の抑止力の効果により台湾有事の可能性が著しく低下しますので、同時に台湾有事が日米同盟により日本国に連鎖的に波及するリスクも下がります。
もっとも、日本国の場合には、中国との間に尖閣諸島問題も抱えていますので、中国による台湾有事が断念された場合、中国あるいはその背後の世界権力が、日本国に狙いを定めるリスクは逆に高まります(真の目的は第三次世界大戦の誘発にある・・・)。対日侵略のリスク、さらには共に核保有国であるロシア並びに北朝鮮の脅威を考慮すれば、日本国も同時に核武装を急ぐべきこととなります。そして核武装の必要性は、南シナ海問題で中国との間で紛争が生じているフィリピンについても言えましょう。
なお、シリアにあってアサド独裁体制崩壊の混乱状態の中、イスラエルがシリア領に侵攻したとの報道もあります。イランに対しては抑制的な対応をとる一方で、シリアに対しては‘火事場泥棒’の如きに傍若無人に振る舞うイスラエルの態度には、あるいは、前者が核保有国であり、後者が非核保有国であるとする認識の違いがあるのかも知れません(おそらく、イランは既に核兵器を保有している可能性は相当に高いのでは・・・)。
仮に、近い将来において中国が台湾に侵攻した場合、後世の歴史家は、何故、時間があるにも拘わらず、台湾、並びに、日本国やフィリピンが核武装をしなかったのか、その非合理的かつ非現実的な無防備さを訝しがることでしょう。否、今日にあっても、「ブダペスト覚書」の教訓に学ぼうとせず、戦争回避のために手段を尽くそうとしない政治家の責任が問われるべきですし、仮に、故意に回避手段をとらないのであるならば、第三次世界大戦を欲する世界権力の傀儡であることを自ら認めたに等しいのではないでしょうか。ノーベル平和賞の授賞式が行なわれている中、核武装の議論は不謹慎として眉を顰める方もおられましょうが、時間は待ってはくれないと思うのです。