昨今、日本国政府は、コロナ禍への対応が不十分であったとして、危機管理体制の構築に邁進しています。4月21日には「内閣感染症危機管理統括庁を内閣官房に新設する改正内閣法」を成立させると共に、昨日5月31日には、日本版CDCとも称される国立健康危機管理研究機構を設立する法案が参議院において可決されました。政府の言い分は、‘過去にあって迅速かつ効果的な措置を執ることができなかった’という‘反省’に尽きるのですが、この説明、説得力があるのでしょうか。
新型コロナパンデミックに対する諸外国の対応を見ますと、ロックダウンを実施したり、ワクチン接種の義務化を容認するなど、政府が強権を発動した事例が見られます。一党独裁国家として知られる中国のみならず、自由主義国でも強硬な措置が執られました。例えばフランスでは、憲法に基づいてマクロン大統領が緊急事態宣言を発令し、三度に亘ってロックダウンを実施しました。アメリカでも、医療従事者及び連邦政府や州政府等の職員に対してワクチン接種を義務づけるといった、踏み込んだ対応を行なっています。日本国政府からすれば、こうした諸国は見習うべき‘危機管理先進国’であり、日本は‘後進国’という認識があるのでしょう。否、欧米諸国の先例を国民を納得させることができる格好の説得材料’とみているのかもしれません。
諸外国が疫病の蔓延を有事の一種とみなしたことから、日本国内では、コロナ禍は、憲法改正問題ともリンケージすることともなりました。憲法改正の論点とされてきた緊急事態条項については、当初は防衛上の有事が主たる発動の対象として想定されていたのですが、今日では、むしろ公衆衛生危機に主軸が移っています。戦争に帰因する国家的な危機と同様に、国民の命と健康が危機に直面する場合にも、首相に権限を集中し、迅速かつ強制的な措置をも行えるようにすべき、という主張です。
感染力が強く致死率の高い感染症を放置しますと、かつてのペストのように人口の3分の1程が失われるほどの大災害となりますので、多くの国民は、政府の説明に納得してしまうかもしれません。しかしながら、今般のコロナ禍は、政府の説明とは真逆の教訓を残したように思えます。事実が、ロックダウンやワクチン接種の効果を否定するどころか、むしろ、拙速で浅慮な政府の判断が、国民の命も経済も損ないかねないことを証明しているからです。
新型コロナウイルス感染症について、WHOはグローバルな危機としてパンデミックを宣言しましたが、厳格なロックダウンを実施した国のみが感染者数、重症者数、並びに、死亡者数を低いレベルに抑えたわけではありません。多くの諸国がロックダウンを実施した中、同措置を選択しなかったスウェーデンあっては、突出して死者数が激増したわけではありませんでした(一時的な死者数の増加は介護施設による高齢者の感染防止が不十分であったと札瞑されている・・・)。そもそもロックダウンの効果は短期的ですし、ロックダウンのレベルと感染状況との間に明確な相関関係が確認されているわけでもありません(むしろ、経済的な損失の方が深刻となる・・・)。
ましてやmRNAワクチンの接種促進ともなりますと、政府による当時の判断は誤りであったとしか言いようがありません。‘有事’を根拠として最先端の遺伝子技術を用いた新型のワクチンを緊急承認し、国民に半ば強制的に接種させたものの、今では、ワクチンによる健康被害が深刻化しているのですから。しかも、ワクチンのメリット面のみを強調し、マスメディアをも総動員してマイナス情報を封印したのですから、政府が意図して国民を騙したに等しくなります。
mRNAワクチンについては、たとえ体内における抗体の産生により一時的にコロナの感染や重症化を防いだとしても、長期的には不可逆的に免疫システムに害を与えるリスクが既に指摘されておりました。こうしたリスクに満ちたワクチンを、詳細に成分を分析することも、十分に安全性を確かめることも怠り(政府は、易々と製薬会社との契約条件を飲んでしまった・・・)、国民に接種させたのですから、トップによる‘即断’が望ましいとは限らないことを示す事例となります。仮に、コロナ禍がなければ、mRNAワクチンの承認には数十年の年月を要したことでしょう(あるいは、治験の段階で、その危険性の高さから実用化が断念された可能性も・・・)。
防衛や安全保障上の危機に際して、仮に政府が国民に対して護身用の装備を配布したとしても、それが国民の命を奪うことはまずありません。一方、凡そ全ての薬がそうあるように、ワクチンといった医薬品には、身体に対して‘毒’となるリスクがあります。言い換えますと、国民を護るどころか、政府が国民の命や健康を奪いかねないのです(早まって自国民に‘生物化学兵器’を使うようなもの・・・)。しかも、グローバルなワクチン利権が絡んでいるとしますと、‘有事’を人為的に造り出した世界権力による謀略であったとする説も信憑性を帯びてくるのです。
そもそも政治家は専門家でも科学者でもありませんので、政府主導の感染症対策が適切、かつ、科学的にも正しいとは限りません。コロナ禍を教訓とし、国民の命を護ると共に、政治的支配や利益追求の手段となるリスクを回避しようとすれば、首相の一存で強硬な措置が即座に実施し得る体制への転換を図るよりも、医科学的な見地を含め多方面から検証し、安全性を確認し得る体制の方が望ましいはずです。このように考えますと、公衆衛生危機あるいは健康危機の分野では、権力を政治家に集中させるのではなく、より客観的かつ賢明な政策形成、並びに、手法の選択が可能となるような、制御装置等を組み込んだ分権的な制度改革こそ急ぐべきではないかと思うのです。