新興宗教団体は、どのような目的において存在するのか、その根本的な存在意義について深く考えたことのある人は、それほど多くはないかもしれません。真面目に質問すれば、おそらく、この問いに対しては、‘悩める人々や絶望の淵にある人々の心を救うため’という、宗教一般にも通じる‘模範解答’が返ってくるのでしょう。しかしながら、今般の安倍元首相暗殺事件は、集金マシーンとしての新興宗教団体の‘いかがわしさ’に加え、政治家や政党との関係を浮き彫りにすることとなりました。この問題、以前より、創価学会と公明党との関係からも燻ぶってきたのですが、政治への影響を考慮しますと、全国民が考えるべき重大問題です。しかも、近代以降、‘世界史’の裏で進められてきた‘世界支配’の問題とも関連している可能性も否定はできないのです。
新興宗教団体には、幾つかの共通した特徴が見受けられます。(1)神ではなく、生きている教祖、あるいは、指導者が存在すること(教祖が信者に命令し得る…)、(2)教祖による国家、あるいは、世界支配を目標としていること、(3)組織としての指揮命令系統を備えていること、(4)自らのヴィジョンを実現するために政治活動を行うこと、(5)布教や教団の目的達成のために社会活動を行うこと(芸能界を含むメディアへの浸透等…)、(6)既存の‘権威ある宗教’を母体として分離・分派していること、(7)独自の教育機関や学習システムを設けること、(8)信者を洗脳や麻薬等で精神的に隷従させること、(9)信者間に強い結束力と秘密主義があること、(10)社会にあってマイノリティー集団を形成すること、(11)信者から献金やお布施を集金するシステムを持つこと、(12)宗教ビジネスに熱心であること、…などを挙げることができます。
これらの特徴は、新興宗教集団の本質を理解する上で重要です。新興宗教は、俗世において実現すべきヴィジョンを有していますので、必然的に政治的にならざるを得ないからです。ヴィジョンの実現には、人々を従わせるための権力を要しますし、それは、今日にあっては国家の統治権力を置いて他にありません。その過程にあっては、組織的、かつ、戦略的行動を要しますし、その行動を指揮する生身のリーダー(教祖)も必要です。新興宗教集団が得てして教祖独裁体制であるのも、信者たちによる組織的行動が目的達成の手段となるからです。そしてそれ故に、トップに君臨する教祖の意志が末端の信者まで伝わるよう、政治的活動団体としての指揮命令系統を備えているのです。
因みに、16世紀にバスク人にして軍人であったイグナティウス・ロヨラによって創設されたイエズス会の組織は、軍隊に類似していたとされます。新興宗教団体の多くは、上意下達が徹底している点では軍隊に優るとも劣りません。あるいは、新興宗教団体のモデルとは、カトリックから分派したイエズス会にあったとも推測されるのです。
なお、18世紀に至り、イエズス会は、ポルトガル、フランス、スペインをはじめ諸国から追放されます。追放の憂き目にあったのは、所属する、あるいは、居住する国家よりもイエズス会に忠誠を誓っていたことによります。もっとも、多くの修道会がある中で、イエズス会のみ、国家の為政者から強く警戒されたのは、同教団が、布教や説教といった純粋な宗教活動とは異なる、‘裏の活動’に従事していたからなのでしょう。イエズス会の修道士たちは、滞在国にあって情報収集、諜報活動、武器の密輸などを行っていた節があります(日本国の戦国時代にあっても、日本国の国内状況を報告したルイス・フロイスの書簡がある…)。
現代の新興宗教団体についても、国家よりも教団を優先する姿勢には変わりはありません。実際に、創価学会と中国との関係は、日本国の安全保障を脅かしていますし、統一教会も、日本国を支配したいという朝鮮半島二国の願望を露骨なまでに公言しています。新興宗教団体では、教団の世界観や‘教団益’が常に優先されますので、全てではないにせよ、必然的に国益との間に摩擦や軋轢が生じるのであり、それは、時にして国家の側から新興宗教団体が危険視される要因ともなるのです。
しかも、今般の安倍首相暗殺事件では、安部元首相のみならず自民党と統一教会との関係を国民の前に露呈することとなりました。同ケースは、自民党が日本国を代表する保守政党であっただけにより深刻です。否、唯一の保守政党であったと言っても過言ではありません。保守層こそ自民党の支持基盤であり、安定を重視する日本国民の国民性に合致していたからこそ、戦後にあって、長らく自民党政権が続いてきたとも言えましょう。この側面に鑑みますと、容疑者が統一教会によって家庭を壊された被害者であったことよりも、政治的には、同教団が日本国の保守政党と繋がっていたことの方が、余程、ショッキングで重大事件なのです。何故ならば、それは、自ずと偽旗作戦を意味してしまうからです。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』には、元寇後にあって、日本国が元軍の残兵達に‘偽旗作戦’を仕掛けられてしまったとする記述がありますが、味方を装った敵ほど危険な存在はありません。国民の多くは、安倍元首相を含む政治家及び自民党と統一教会との関係、並びに、統一教会のさらにその背後に垣間見える、同団体をも操る世界支配の野望にこそ関心を向けるべきと言えましょう。安倍元首相暗殺事件は、容疑者と教団との関係をめぐる私怨による事件として矮小化されて報じられていますが、新興宗教団体の存在が世界支配と関連している以上、最大の問題は、別にあると思うのです。(続く)。