健診名目の出国計画か=ムバラク大統領―独誌(時事通信) - goo ニュース
チュニジアで発生した「ジャスミン革命」は、エジプトで大規模な反独裁デモを引き起こし、ムバラク大統領も、ついに国民の民主化要求を飲む方向に動きつつあるようです。ところで、中東諸国の国民が民主主義に目覚めた発端は、もしかしますと、イラク戦争であったのかもしれないと思うのです。
イラク戦争は、マスコミや左派からの評判はすこぶる悪く、今でも”間違った戦争論”が闊歩しています。しかしながら、歴史の大きな流れから見ますと、中東における独裁の打倒の出発点は、この時にあったと言えるのではないかと思うのです。イラクの場合には、戦争という形態をとり、フセイン独裁を倒したのは米軍を始めとした多国籍軍でした。しかしながら、広場に設置されていたフセインの銅像を引き倒したのは、まぎれもなく、イラクの国民であったのです。そうして今日、反政府デモの広がりを受けて、イラクでは、マリク首相が、早々に自らの再選を否定し、給与の半額を申し出たそうです。もし、フセイン独裁体制が続いていたとしたら、国民からの抵抗に対しては、生物化学兵器を用いてでも残酷に弾圧していたかもしれません。国民あっての国家への変化は、民主主義の実現でもあるのです。
歴史の評価は後から来るものです。民主化されたイラクでも、未だに反米感情も強く、エジプトもまた、将来的には、親米国に留まるか否かは不透明です。たとえ、アメリカが、西部劇のシェーンのように去りゆく者であったとしても、国民の側に立って中東諸国の民主化をサポートすれば、何時の日か、カムバックの声が聞こえてくるのではないでしょうか。
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チュニジアで発生した「ジャスミン革命」は、エジプトで大規模な反独裁デモを引き起こし、ムバラク大統領も、ついに国民の民主化要求を飲む方向に動きつつあるようです。ところで、中東諸国の国民が民主主義に目覚めた発端は、もしかしますと、イラク戦争であったのかもしれないと思うのです。
イラク戦争は、マスコミや左派からの評判はすこぶる悪く、今でも”間違った戦争論”が闊歩しています。しかしながら、歴史の大きな流れから見ますと、中東における独裁の打倒の出発点は、この時にあったと言えるのではないかと思うのです。イラクの場合には、戦争という形態をとり、フセイン独裁を倒したのは米軍を始めとした多国籍軍でした。しかしながら、広場に設置されていたフセインの銅像を引き倒したのは、まぎれもなく、イラクの国民であったのです。そうして今日、反政府デモの広がりを受けて、イラクでは、マリク首相が、早々に自らの再選を否定し、給与の半額を申し出たそうです。もし、フセイン独裁体制が続いていたとしたら、国民からの抵抗に対しては、生物化学兵器を用いてでも残酷に弾圧していたかもしれません。国民あっての国家への変化は、民主主義の実現でもあるのです。
歴史の評価は後から来るものです。民主化されたイラクでも、未だに反米感情も強く、エジプトもまた、将来的には、親米国に留まるか否かは不透明です。たとえ、アメリカが、西部劇のシェーンのように去りゆく者であったとしても、国民の側に立って中東諸国の民主化をサポートすれば、何時の日か、カムバックの声が聞こえてくるのではないでしょうか。
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