万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国民国家体系の再構築こそ人類の重要課題

2022年10月27日 12時45分52秒 | 国際政治
 かつて、国民国家体系は、国家が戦争の行動主体とみなされていたために、人類の未来において消滅すべき、忌まわしき国際秩序として見なされる向きがありました。特にますクス主義の強い影響下にあった左派の人々は、国家の破壊に正義があると信じてきたのです。国民国家体系の克服こそが人類に平和をもたらすと・・・。

しかしながら、国家の存在そのものが戦争の主たる要因とは言えないように思えます。特に大規模な国際戦争が頻発した近代以降の戦争は、領土や国境線と言った純粋に国家の地理的支配領域をめぐる争いはそれほどには多くはなく、多くは、別の要因に基づくからです。ヨーロッパでは宗教改革を機として宗教戦争の嵐が吹き荒れた末に陣営対立となった三十年戦争に発展しましたし、ナポレオン戦争は、フランス革命への近隣諸国の武力介入を発端としています。また、二度の世界大戦も、世界大での権益をめぐる勢力圏争いが主たる戦争要因となったのです。近代以降の戦争も、表面的には国家という単位が戦争の行動主体ではあるのですが、その要因は、国家の存在そのものにあるわけではないのです。‘国家=戦争主体⇒平和のための消滅’という国家否定論は乱暴な極論であり、善良な人々がいるにもかかわらず、「人間とは悪事を働く存在であるから、全人類は滅亡すべき」と唱えるようなものなのです。

 国家の基本機能、否、存在意義は内外の脅威から国民を保護することにありますので、国家の存在否定は、即、人類を危険に満ちた野獣の世界に放り込むことを意味します。国家に代わって統治機能を全ての人類に提供する組織は、存在していません。相互破壊と夥しい数の人命の犠牲を意味する戦争をこの世からなくそうとするならば、国家の存在を消し去るのではなく、紛争の要因を取り除く、あるいは、平和的な解決手段を見出す方が理にかなっているのです。この側面からしますと、今日の国際社会は、極めて奇妙、かつ、危険な状況にあることが理解されましょう。

 何故、奇妙で危険な状態にあるのかと申しますと、本来、小規模で収まるはずの国家間の領域争い、即ち、地域紛争が世界戦争へと発展するメカニズムを内蔵しているからです。第二次世界大戦後にあっては、宗教や宗派を原因とする戦争や経済的利益をめぐる勢力圏争いとしての戦争は、少なくとも表面からは凡そ姿を消しています(国際法の整備も進み、もはや、自国の領土拡張や勢力圏拡大を理由とした侵略戦争は起こせない・・・)。民族自決の原則に基づいてアジア・アフリカの植民地もその多くが独立を果たしましたので、むしろ、ヨーロッパに限定されていた国民国家体系が、全世界を包摂するに至ったのです。本来であれば、この時点で、国際秩序は主権平等の原則に基づく並列的でフラットな構造へと転換され、全ての諸国は国際法の下、即ち、法の支配の下に置かれたはずです(国連も、この状況下にあってこそ、‘世界の警察官’の役割を果たしたかもしれない・・・)。そして、たとえ二国間の小規模な地域紛争を全てなくすことはできないにせよ、第三次世界大戦へと連鎖する可能性は著しく低下したはずなのです。

ところが、第二次世界大戦の終結を待たずして、超大国間の対立を背景に登場した冷戦構造は、ようやく成立した現代国民国家体系を台無しにしてしまいます。言い換えますと、米ソ間の対立が、国家間対立を越えて左右のイデオロギーを対立軸とする陣営対立を世界規模で形成し、双方の陣営には、帝国ならぬ超大国が盟主として君臨することとなるからです。超大国を中心とする陣営形成にあって諸国結合の役割を果たすのは、集団的自衛権を伴う二国間あるいは多国間の軍事同盟であることは言うまでもありません。

ここに、国民国家体系の下にありながら、超大国と一般諸国との間の歴然とした軍事力の差により、地域紛争が世界大戦へと発展してしまうメカニズムが準備されます。すなわち、超大国から軍事的脅威を受けている諸国は、もはや一国の兵力で闘うことができず、陣営に属さなければならなくなるからです。その一方で、NPTは、超大国を含む核保有国に絶対的な軍事的優位性のみならず、同盟国に対する‘核の傘’を提供する役割をも与えたため、陣営対立の構図が固定化されてしまうのです。第三次世界大戦が核戦争を導く可能性が高い理由は、こうした構造的な問題にありましょう。なお、国連については、米ソ超大国を含む安保理常任理事国に事実上の拒否権を与えたのですから、発足当初から機能不全が運命付けられていたのかもしれません。

主権平等を原則とする国民国家体系は、17世紀に三十年戦争の講和条約であったウェストファリア条約によって成立し、19世紀に民族自決が国際社会の原則と化したことから、オーストリア・ハンガリー帝国やトルコ帝国からの中東欧諸国の独立によって拡大された国際体系です。即ち、民族を枠組みとした自決の権利並びに帝国の崩壊があってこそ誕生し得たとも言えましょう。たとえその背後に列強や経済勢力の思惑があったとしても、人類に民族自決と主権平等をもたらした国民国家体系には歴史的な意義があるのです。

この点を考慮すれば、今日の国際社会にあって変えるべきは、超大国による覇権主義的あるいは拡張主義的な思考であり、そして、グローバル化と共に表舞台に姿を現わしてきた、裏からこれらの超大国をも操る世界権力が抱く人類支配への飽くなき野望なのかもしれません。21世紀にあっても、‘現代の帝国’あるいは世界権力の崩壊なくして、真の国民国家の独立も、法の支配を基礎とした国民国家体系の再構築もあり得ないのです。かくも危険な構造をどのようにしたらより平和なものに転換できるのか、これこそ、今日の人類が抱える大問題であると思うのです。

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