今般、スイスで開催されたウクライナ復興会議における主要課題は、もちろん、ウクライナの戦後復興でした。ロシア軍の爆撃等により国土が破壊されたのですから、ウクライナの復興が議題となるのは当然のことなのですが、ウクライナ危機によって生じた被害や損害は、ウクライナ一国に留まるものではありません。実のところ、間接的ながら、日本国をはじめ全世界が甚大なる被害や損害を被っていると言えましょう。
ウクライナ危機によって、全世界の諸国はエネルギー資源並びに穀物価格の上昇に見舞われ、連鎖的な物価高や電力不足等に直面しています。政府による対策費の支出も、相当の額に上ります。また、ウクライナの要請に応え、いち早く米欧諸国と足並みを揃えて対ロ制裁に踏み切った日本国も、石油・天然ガスの国際開発プロジェクトであるサハリン2の権益がロシアによって一方的に接収される危機に直面しています(なお、補償なき一方的接収は国際法違反…)。こうした間接的、かつ、広範な被害や損害は膨大な額に上り、それば、ウクライナ復興に必要とされる100兆円を遥かに越えるものと予測されるのです。
それでは、全世界の諸国が受けた被害や損害は、一体、誰が賠償、あるいは、補償するのでしょうか。誰もが償わないとなりますと、被害や損害を受けた側は’泣き寝入り’ということになります。それでは、他国の行為によって損害や損失の賠償や補償の請求が可能かと申しますと、今日の国際社会を見ますと、司法制度は未熟な状態にあり、損害賠償訴訟の手続きを定める国際訴訟法も、国内法のレベルにはほど遠い状態にありますので、ウクライナ危機を原因とする賠償や補償については、明確に可能とも不可能とも断言できないのです。
その一方で、上述した復興会議では、ウクライナは、ロシアの凍結資産の没収を以って復興費に充てるとする案を提起しています。この案に従えば、ロシア制裁に参加して損害を被った諸国は、自国において生じた損害を同様の手段で回収することができることとなります。否、復興資金として当事国であるウクライナに提供するよりも、率先して自国の損害に充てようとする国の方が多いかもしれません。何れにしても、双方が制裁を強化すればするほど、あるいは、長期化すればするほど、賠償や補償の額も膨大となるのです。
もっとも、ウクライナによるロシア資産強制没収案も、国際法において根拠があるわけではなく、むしろ、一方的な実力行使の側面があります。となりますと、合法的にロシアに賠償を請求しようとするならば、先ずもって、今般のウクライナ危機について中立・公平な立場からの検証し、ロシア側の有罪を確定させる必要がありましょう。つまり、国際レベルにおける検察活動が行われ、かつ、裁判手続きを経なければ、ウクライナ側の強制没収には合法性が生じないのです。ロシアの罪状が確定しない状態での資産没収は、ロシア側からすれば‘略奪’と見なされかねないリスクさえあります。
しかも、ウクライナ側には、ネオ・ナチとして批判されてきたアゾフ連隊という‘脛の傷’があります。ウクライナ危機に先立って、既に内戦状態にあった東部地域で何が起きていたのか、その事実確認なくして今般の危機を論じることも、真相を解明することも困難です。内乱の最中で同連隊によるロシア系住民の迫害やロシアに対する挑発行為があったとすれば、ロシアのみに100%の責任があるとは言い切れなくなります。
戦勝国となろうが、敗戦国となろうが、ウクライナ並びにその支援国も、合法的にロシア資産を没収するためには、国際法廷にあって自らの無実を証明する必要がありましょう(たとえウクライナが敗戦国となったとしても、ロシア側に対する国際法上の損害賠償権を保持することはできる…)。国際司法機関の決定があれば、これを根拠として、ロシア資産を没収することもできます。もっとも。仮に、国際法廷においてアゾフ連隊等の行為が問題視されれば、あるいは、同法廷では‘和解勧告’が出されるかもしれません。ウクライナにも責任があるとの判断が下されれば、同国は、自国に協力して対ロ制裁を実施した結果、ロシアの逆制裁により損害を受けた諸国に対する賠償、あるいは、補償責任が生じるかもしれないのです(あるいは、法廷での審理の過程で‘黒幕’が明らかに…)。
国際社会において起きる出来事については、何事も、両当時国の歴史に遡り時系列的に順序だてて双方の行為について事実を確認し、複雑に絡み合う要素を整理し、そして、表に見える現象の裏側までをもよく調べて判断する必要がありましょう。ウクライナ危機における復興資金や賠償の問題も、厳正な事実確認をいたしませんと、事態をさらに混乱させる要因にもなりましょう。そして、’賠償や補償に関する問題が人々の意識の表面に上るほどに、紛争や戦争に伴うコスト、並びに、その責任や負担の重さに慄くことになるかもしれません。願わくば、天文学的な数字となるコストや負担が戦争の抑止力となりますように。