以前は、パソコンソフトを使って確定申告をしていたが
昨年から申告しても還付金も出ないので、確定申告はやめて
市・県民税の申告だけをしている。
書類をそろえて市役所の二階の相談窓口に行った。
20数人の市職員が机を並べて、一人ずつ順番で相談に応じていた。
それでも9万世帯を超し、22万人の人口を抱えるつくば市である。
かれこれ1時間ほど待たされて、やっと私の番号が呼ばれた。
私のような年金生活者は、書類さえそろっていれば、後は確認のみで
あっという間に申告は終わる。
最初は、県の植物園にザゼンソウでも見に行くか考えたが
今にも降りそうな天気だったので、午後から一人森ボラに行った。
昨日も1時間ほど森ボラをして、近くの古い塚を見に行ったら
周りに篠竹が生えて、祠や石像がよく見えない。
そこで心で篠竹を刈る約束したのだった。
ということで、最初に塚の石像の周りの篠竹を植木ハサミで刈った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/f9/477755bc68475f297d5459d5ced7a73a.jpg)
塚の上の祠と石像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/4d/4fb11e547a46e5a3d38ec4a51e537e37.jpg)
くずれかかった石室のような石組みの前に、柔和なお顔の
石像がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/5e/670bf4489f4d5da0f97b464929d280bf.jpg)
石像のアップ、右に「寛政十一 己羊(つちのとひつじ)と掘られている。
左は 三ヶ村念仏講と読める文字が掘ってある。間違っていたらごめん。
寛政11年だとすれば、年表に寄ると 西暦1799年と言うから
今から216年前である。
明治になったのが1868年だから、明治より69年前である。
徳川時代の後半と言っても良いだろう。
水戸藩の徳川斉昭が生まれる前の年である。
塚がいつ造られたものかは知らないが、少なくても200年以上前に
造られたことは間違いない。
Nさんの話によると、ここより東に古い街道が有ったと土地の古老が
言っていたとか。
そんな古い時代から、人々の希望や祈りを受け止めてきた塚である
幸い周りは大規模森林公園として開発中だが、この塚は残される
もようである。
塚の前の桜の巨木も、じっと見守り続けている。
昨年から申告しても還付金も出ないので、確定申告はやめて
市・県民税の申告だけをしている。
書類をそろえて市役所の二階の相談窓口に行った。
20数人の市職員が机を並べて、一人ずつ順番で相談に応じていた。
それでも9万世帯を超し、22万人の人口を抱えるつくば市である。
かれこれ1時間ほど待たされて、やっと私の番号が呼ばれた。
私のような年金生活者は、書類さえそろっていれば、後は確認のみで
あっという間に申告は終わる。
最初は、県の植物園にザゼンソウでも見に行くか考えたが
今にも降りそうな天気だったので、午後から一人森ボラに行った。
昨日も1時間ほど森ボラをして、近くの古い塚を見に行ったら
周りに篠竹が生えて、祠や石像がよく見えない。
そこで心で篠竹を刈る約束したのだった。
ということで、最初に塚の石像の周りの篠竹を植木ハサミで刈った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/f9/477755bc68475f297d5459d5ced7a73a.jpg)
塚の上の祠と石像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/4d/4fb11e547a46e5a3d38ec4a51e537e37.jpg)
くずれかかった石室のような石組みの前に、柔和なお顔の
石像がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/5e/670bf4489f4d5da0f97b464929d280bf.jpg)
石像のアップ、右に「寛政十一 己羊(つちのとひつじ)と掘られている。
左は 三ヶ村念仏講と読める文字が掘ってある。間違っていたらごめん。
寛政11年だとすれば、年表に寄ると 西暦1799年と言うから
今から216年前である。
明治になったのが1868年だから、明治より69年前である。
徳川時代の後半と言っても良いだろう。
水戸藩の徳川斉昭が生まれる前の年である。
塚がいつ造られたものかは知らないが、少なくても200年以上前に
造られたことは間違いない。
Nさんの話によると、ここより東に古い街道が有ったと土地の古老が
言っていたとか。
そんな古い時代から、人々の希望や祈りを受け止めてきた塚である
幸い周りは大規模森林公園として開発中だが、この塚は残される
もようである。
塚の前の桜の巨木も、じっと見守り続けている。