花の詩山の詩

花の詩(うた)山の詩(うた)へようこそ
このブログは「花と山とを友として」の続編です

新生なでしこ韓国に辛勝

2017年12月09日 18時49分24秒 | スポーツ・トレッキング
雨の中で行われた「東アジアE-1選手権」、開始間もなく先制点を決めるも
すぐに追いつかれるという、まずい試合運びで後半に。

後半に投入された中島が期待通り得点を決めたのに、またもやDFの裏にロング
パスを入れられて、ノーマークでゴールを決められた。

初戦の難しさなのか、定かではないが、自分たちのミスでたびたび攻め込まれる
場面が有った。

目だったのはミスパス、ひどいのは相手にパスする始末。
それと相変わらず横パスをして相手にボールを奪われていた。

スピードの無い横パスはやめるべきだ。
日本のクセを見抜いた相手に狙われやすい。

横パスするならスピードのある正確なパスをするべき

とりあえず勝てたからよかったが、私は喜べない


今朝の筑波山は、うっすらと雪化粧


雪は上の方だけに降ったようです


富士山もきれいに見えていた




つくば市の処刑場跡を訪ねて

2017年12月07日 21時19分31秒 | スポーツ・トレッキング
私の家からそれほど遠くない場所に、昔の処刑場の跡があると知り合いの人に
聞いていた
その人が案内するというので、処刑場の跡を訪ねることになった。

今日は比較的日差しも暖かく、農道をのんびりと話をしながら歩いて行った
北に筑波山が林の上から顔を見せている。

その処刑場は、田んぼと芝畑のような空き地の間に、草ぼうぼうの場所にあった


処刑場跡地に建てられている石柱、表に経文のような文字が掘ってあり
裏に回っても何の記載も無い

知り合いの人が最初に見たころは、立派な石碑が立っていて、裏面には
由来も記載されていたという。

しかし、不名誉な歴史の跡地は、近くの人には歓迎され無くて、その石碑は
いつの間にか無くなって、このような石柱になったのだろうと知り合いが言う

江戸の昔には、処刑場に関係するサムライの屋敷も有ったらしいが、時代の
変化とともに、四散し今は近くに誰も住んでいない。
知り合いが古老から聞いた話として、最後まで残っていた家に一人娘がいたが
誰にも嫁ぐことが出来なかったという。

また小貝川の河原に建つ雷神様の近くに、昔遊郭があり、そこへ遊びに行った
処刑場の侍が、バレで処刑場で打ち首になったという話も聞いたという。

そんな事で、最初に処刑場に来た頃は、さむけを感じたという。

近所の人たちには、有難迷惑で不名誉な歴史は消したい思いであろう。
しかし完全に消し去ることはできず、処刑された人たちへの、祈りの言葉を
刻んだ石柱として残したのだろう

さんさんと降り注ぐ光の中で、雑草に覆われた石柱は何も語らず
脇の草むらに、無数の空き缶とビンが転がっていた。





宝篋山山頂に忍性菩薩像ができていた

2017年12月06日 20時05分29秒 | スポーツ・トレッキング

宝篋山の山頂に、忍性菩薩像が造立されていた。
僧忍性の生誕800年を記念して立てられたものらしい。

忍性は、長年、貧者とハンセン病などの救済にあたり、その徳を讃えて
後醍醐天皇より「菩薩」の号を送られたという。

立像は土浦市の彫刻家「小張隆男」さんが制作したもので、ハンセン病の
子供を背負い、のちに招かれて救済に奔走した鎌倉の方向に向けて建て
られているという。

この像の設立は、地元のボランティア団体「宝篋山整備隊」が中心に
なって昨年から準備を進めてきて、11月4日に除幕式を行ったと言います


立像の脇に建てられている「忍性菩薩像造立記」に詳しい経緯が記されている
文は井坂先生の名前で書かれている



早朝の霞ケ浦で、釣りをする少年像を入れて朝焼けのシーン


これも古い話で恐縮だが、東京の御岳山に、女性登山家としてエベレストに登った
田部井淳子さんの顕彰碑が立てられたという。

顕彰プレートは、山頂近くのケーブルカー御岳山駅の入口脇に建てられていて
自筆で「山へ行こう」と書かれているらしい

亡くなられる直前まで、福島の高校生を富士登山に案内した話はあまりにも有名
なので、皆さんもご存じだと思う

「山に行こう」は、いかにも田部井さんらしくていいですね。



佐藤姓のルーツを訪ねて佐野市の唐沢山城跡へ2

2017年12月05日 23時32分54秒 | スポーツ・トレッキング
前回、写真を載せた城跡に入る入口の広場で、ボランティアガイドの人たちが
城跡のカラーマップを配っていますので、これをもらって行きました。

ここは城跡なので、戦に備えて入口から直線的に侵入されないように、直角に
曲がった構造の道になっています


入口に立つ「くいちがい虎口」の説明版

入口から右に曲がって入ると、目の前に「天狗岩」という岩山があり、もみじの
落ち葉が重なる階段を上ります


天狗岩のもみじ、この右側に登る階段がある


もみじが散っている石の階段


天狗岩の展望所


天狗岩の説明版


展望図が有ったが、風化と日陰でほとんど読めず


松の生えた岩の上に登ると、右奥に日光白根山の雪山が見えた
男体山なども見えたが、立木が邪魔で写真は撮らなかった


天狗岩から戻った広場は、武者詰め跡の広場で、入口のもみじがきれい


武者詰めの奥に建っている唐沢山城跡の案内図、3次元測量で書かれている
ので、地形が立体的に見えるようになっている
これと同じものが、A3の大きさのパンフレットで、ボランティアガイドの人たちが
配っている


武者詰めの奥に建っている説明版

虎口から中に入ると、左側に「大炊の井」と呼ばれる井戸がある


大炊の井の井戸には、つるべのような跡も残っていた


井戸は浅くて、水面にはモミジを浮かべているし、紅葉も映り込んでいた


大炊の井付近の紅葉


大炊の井から見えた紅葉、これは後でその付近に行ってまた撮影した


大炊の井の前の建物の屋根の上が見事な紅葉


本丸に通じる大手道には、四ツ目掘という堀が築かれ、引き橋と呼ばれる
橋があり、いざというときは、その橋を引き払って敵の侵入を防ぐ役割
だったらしい。
現在、架設されている橋は、昭和天皇が皇太子のころの大正15年に、御成婚
を記念して、地元の高齢者により寄与されたものだという。


四ツ目堀の案内板


四ツ目堀の跡、見た目はかなり浅い、昔は深かったのか

引き橋を渡って、緩い坂道が続く大手道は、前回のブログで紹介したように
もみじの多い紅葉に彩られた道だった


紅葉の大手道を登る


大手道の左上の紅葉


大手道の左上の紅葉、小道が有った


唐沢山神社の由来を記した看板が有った


看板の先にも唐沢山神社の説明版が有った


大手道の曲がり角の先にお札などを売っている授与所があり
その前を先に進むと展望の良いベンチが有ったが、混んでいたので
引き返した。


授与所の前にある「標高八百尺」の石柱が有った
一尺が33センチとして800倍すると、うーん264メートルかな?


授与所の斜め向かいに手水場が有る


大手道は手水場から左の二の丸跡に続いている


だが私は直接本丸に登る階段道を登って行った


登った先には山門があり、山門の前の柵には南局跡の表示が有った


南局跡の表示


山門をくぐると唐沢山神社の拝殿が有った


拝殿脇の柵には、本丸跡の表示が出ている


拝殿の左わきに休憩所があり、その前から拝殿の後ろの本殿(たぶん)を撮影


休憩所の前から左下に降りる階段道があり、降りたところが二の丸跡
この写真は、二の丸から見上げて撮った


二の丸から見上げる本丸の説明がある


二の丸跡の表示


二の丸から見る本丸の遠景、二の丸はパンフに武者詰めと記載されている


二の丸から見上げる本丸跡のもみじ

この後も歩いたのだが、長くなったので、とりあえずこれで終了
今回私が歩いたコース図を掲載します


左上の赤い丸印で囲ったところが駐車場です

ところで肝心の佐藤の姓の事ですが、昭和62年4月20日に発行された
「姓氏」という丹羽基二著、樋口清之監修の本によれば、「尊卑文脈」には
藤原秀郷の家系図が書かれていて、次のように書かれているという

秀郷ー千常(鎮守府将軍、左衛門尉)-文脩(鎮守府将軍)-文行(左衛門尉、母は
利仁の娘、左藤、後藤、近藤、武藤などの祖)-公行(上総介)-公清(左衛門尉
佐藤の祖) 以下略 と書かれているという

またウイキペデイアで調べると、藤原氏の後裔氏族として、国別の姓名として
常陸国を見ると、次のような名前が出ている
那珂氏、安島氏、小野崎氏、小貫氏、内桶氏、茅野氏、根本氏、助川氏、川野辺氏
佐藤氏、水谷氏、江戸氏、綿引氏
等が書かれていた。

姓氏の本には、佐藤氏の有名人として、西行法師が取り上げられていた
藤原公清の子孫、佐藤義清が西行法師の本名である。

また佐藤栄作、岸信介の兄弟についても書かれている
栄作氏の母は、同じ町の岸家から養子をもらって結婚して、男3人、女7人を
もうけた。
長男はよくできた人であったが、病弱で海軍中将で退官したという
それで次男の信介が岸家の養子に入り、岸信介となり
三男の栄作が佐藤栄作を名乗ったという。
共に総理大臣を務めた兄弟である
ということで、阿部総理ともつながりがある。




















佐藤のルーツを訪ねて佐野市の唐沢山城跡へ

2017年12月03日 22時22分43秒 | スポーツ・トレッキング
日本で一番多いという姓名の「佐藤」のルーツの一つに、佐野市の藤原氏だという
説があります。
佐野の「佐」と藤原の「藤」をとって「佐藤」になったと説です。
もう一つは、藤原秀郷の五世の孫、公清が「左衛門尉」だったので「左衛門尉」の
「左」を付けて「左藤」としたのが始まりで、のちに縁起を担いで人偏をつけて
佐藤になったと言われています

ということで、家内が東京に出かけた後、10時過ぎに自宅を出て佐野市の
唐沢山城跡に佐藤のルーツを探すハイキングに行きました。

佐野市の唐沢山は、平将門と戦って勝った「藤原秀郷」が城を築いた場所で
徳川初期に山城禁止令が出されて廃城になるまで、山城のあった場所です。

現在は、明治期にその子孫や関係者が集まって、本丸跡に神社を建立して
「唐沢山神社」となり、県立自然公園や国指定の史跡になっています。

参考までに、唐沢山神社のHPはこちらです

また佐野市のホームページの観光・イベントのページに文化財の項目があり
そこに唐沢山城跡の資料が掲載されています


唐沢山城跡の入口に立っている案内板、沿革が説明されている


唐沢山城跡入口


入口内に建っている「国指定史跡 唐沢山城跡」の石碑

ところが、中に入って歩くと、そこは紅葉の絶景だったのである
という訳で、まずは紅葉の写真から紹介























この時期にこんな紅葉が見られるなんて、思っていなかったので、思わずウハウハで
撮って回った。





霞ケ浦の天王崎公園から筑波山

2017年12月02日 23時47分40秒 | スポーツ・トレッキング

霞ケ浦の展望の良さで名勝地に指定されている「天王崎公園」から
筑波山と加波山を撮影、中央の双耳峰が筑波山です

この写真を撮影していて気が付きました
筑波山と加波山の間に、日光の山が見えていたのです



同方面のカシミールで作った展望図


望遠で撮影した日光男体山の写真、カスミでうっすらとしか見えないので
オートではピントが合わず、マニュアル撮影しましたが、それでもこれがやっと

昨日に雨が降ったことと、風が吹いて比較的空気が澄んでいたことで見えた
ように思います。


日光男体山(左端)から右に続く部分、なんとなく山が見えているようにも
感じますが、かなり厳しい。










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農道から宝篋山(中央左)の紅葉は赤茶色が濃い


山頂付近をアップで


小町の里の水車
近くで焼き芋を売っていたので、焼き芋を買おうとおいくらと聞いたら
「今、入れたばかりで、まだ焼けてない」と言われた。
寒いから熱々を食べたかったのに、残念!!


サッカーW杯のロシア大会の組み合わせが決まった

日本はH組に入り、ポーランド(FIFAランク7位)、コロンビア(ランク13位)、セネガル(ランク23位)
と対戦することになった。
初戦は、来年の6月19日午後3時(日本時間午後9時)からコロンビアと対戦する。

今回の組み合わせは、参加32チームを今年10月のFIFAのランクをもとに、4つのポット
に階層分けし、各ポットに8つのチームが振り分けられた。

第一ポットはシードにあたる上位チームで、開催国のロシア(65位)、ドイツ(1位)、ブラジル(2位)
ポルトガル(3位)、アルゼンチン(4位)、ベルギー(5位)、ポーランド(7位)、フランス(9位)

第二ポットには、スペイン(6位)、ペルー(11位)、スイス(8位)、イングランド(15位)、
コロンピア(13位)、メキシコ(16位)、ウルグアイ(21位)、クロアチア(17位)

第三ポットには、デンマーク(12位)、アイスランド(22位)、コスタリカ(26位)、スウェーデン(18位)
チュニジア(27位)、エジプト(31位)、セネガル(23位)、イラン(32位)

第四ポットには、セルビア(37位)、オーストラリア(39位)、モロッコ(40位)、ナイジェリア(50位)
日本(55位)、パナマ(56位)、韓国(59位)、サウジアラビア(63位)

青字は、日本の入るH組

シードにあたる第一ポットの8チームがA~Hの8グループに抽選で分けられ、それに各ポットの
3チームが抽選で振り分けられて、4チームによる総当たりの一次リーグが行われる。

ということで日本は、第一ポットのポーランドのいるH組となったのである

もう一つ、国内のサッカーで、首位を走っていた鹿島が、最終戦で磐田に0対0で引き分け
2位の川崎が勝って、勝ち点72で並び、得失点差で川崎が逆転優勝するという展開には
驚いた。
川崎は実力がありながら優勝ができず、今回が初優勝である。
鹿島ファンの私としては残念だが、あの中村憲剛がいるので川崎の優勝にもおめでとうと
言いたい。
優勝して憲剛が泣いたそうだけれど、努力して報われたのだから本当によかったね