琴平を後にしてJRの鈍行で高松へ向かいましたんや。
途中の車中より絵になる風景といえばやはり讃岐富士でっしゃろな。
(讃岐富士 正式名 飯野山 標高421m)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
けして高い山ではおまへんけど讃岐路を通れば写真に撮りたくなる風景ですわ。
この山は坂出市と丸亀市との境界になるんだって。
この写真は坂出市に入った処の画像だったと思いま。
(高松市内 JR予讃線 JR鬼無駅のモニュメント)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
何せお隣りの岡山県とここ讃岐地方には桃太郎伝説があちこちにおますんや。
ここ鬼無(きなし)にも桃太郎伝説がありゲームソフトのハドソンという会社が
桃太郎電鉄なんて名前で石像を寄贈したそうですわ。
ここまで来たら讃岐の旅も高松市内に入ったようでんな。
(JR高松駅舎)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
わてが~ 高松駅にやってきたのは平成の4年か5年以来でっかな。
その当時はまだ宇高連絡船の船着場や国鉄の貨物駅が残ってましたんや。
それがベイエリアの再開発とかで見違えるような駅前に変わってしまいましたがな。
(シンボルタワー サンポート高松)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
このシンボルタワーは四国では一番高い高層ビルなんだって。
右側の丸い屋根が見える辺りが昔の宇高連絡船の船着場だったそうでんな。
わてが~ 学生時代には大阪からも関西汽船や加藤汽船が運航されていて
四国への玄関口と言えばここ高松港しか考えられまへんでした。
国鉄の宇高連絡船もここで本土の岡山県の宇野港と繋がってましたんや。
(JR高松駅構内 連絡船うどん)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この立ち喰いうどんの店は昭和の時代から国鉄・高松駅構内の名物でしたんや。
宇高連絡船待ちや国鉄の列車待ちで「讃岐うどん」を食べながら
四国の想い出を味わった方も多いでっしゃろな。
現在は宇高連絡船のイカリがモニュメントで残るだけで
この連絡船うどんが昭和の雰囲気を感ずる唯一の場所になってしまいましたで。
ただ~ 場所は駅舎の改築で少しだけ北の方へ移動してまつけど。
(高松市の マンホールの蓋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
やはり~ 源平の屋島の戦い、那須与一が扇の的を狙う姿は有名な逸話でっしゃろ。
実は雨が降らなければ、このまま屋島へ向かうつもりでしたんや。
処が天気予報が当たり、このマンホールの写真を写した頃から雨になりましたがな。
何せ台風26号とやらが四国沖から東へ向きを変えたとか。
あの~ 伊豆大島に大きな被害を与えた台風でっけど
そんなこととは知らない一人旅の鉄ちゃん爺やでしたんや。
この辺りは一人旅の気楽さでコース変更なんて、自由自在になりまっせ。
予定を変更して荷物をホテルに預けて高松城へでも行きまひょかな。
(旧 高松城址 玉藻公園)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
60歳以上は無料で入場できるんだって。
証明書を忘れたと言ったら、生年月日をどうぞだって~
昭和1X年1月XX日 です~♪
どうぞ~ お入りくださいだって~
なんだか~ おおらかな高松市の係員さんでしたね。
(高松城址 天守台改修工事中)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここ高松城は三方から海の水を引き込んでお濠にした水城だったとか。
万葉の時代から玉藻の浦と呼ばれたので、別名を玉藻城とも呼んだそうだっせ。
生駒親正が豊臣秀吉から領地を与えられたそうで、後に徳川家光の時代
徳川光圀の兄君である松平頼重が12万石で入り明治維新まで続いたそうでんな。
だから讃岐・松平家は水戸・徳川家の分家として格式のある大名だったんでっせ。
(旧高松城 月見櫓)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
天守閣は残念ながら明治維新後に解体されて残ってないんだって。
「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」
こんな歌が当時は謡われたようでんな。
この月見櫓は当時の物らしく国の重要文化財に指定されてますわ。
(旧 高松城 水手御門 & 渡櫓)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(月見櫓 & 水手御門を 外側から撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
水手御門を出ると江戸時代には、瀬戸内海になっていたようでんな。
天守台の石垣が工事中の為か、お濠の水が抜かれているようでっせ。
お濠の外は埋め立てられて海岸道路と駐車場になってまんな。
雨も降ってきましたんで高松の港の方へ行ってみまひょ。
高松港は現在でも岡山県の宇野港とを結ぶ宇高国土フェリーや
小豆島や女木島・男木島などの離島を往復する定期船のターミナルでっせ。
(高松港を出航したフェリー) (めおん2 264トン)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
可愛らしいフェリーですが桃太郎の鬼退治で有名な女木島とお隣の男木島を
1日6往復している雌雄島海運(しゆうじまかいうん)の定期フェリーなんだって。
地元では女木島と男木島を合わせて雌雄島(しゆうじま)と呼ぼそうでっせ。
遠くに見える半島が源平の古戦場である屋島で
本日に鉄ちゃん爺やが行きたかった所でっけど、この雨では諦めましたんや。
(高松港に到着した フェリー)(内海フェリー ブルーライン号 999トン)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
小豆島の草壁港とここ高松港を約1時間で結んでいる定期船だそうです。
高松沖にはこの他にも離島が多く点在するので、
色んなフェリーが発着するようでんな。
「めおん2」の停泊している画像の向こうの方にクレーンが写ってますやろ
関西の神戸港から来る直行便がこの高松東港に着くそうですわ。
この高松東港は交通の便がやや悪いんでっけど、片道2000円ぐらいで
神戸港から高松港まで来れる割安料金設定があるそうでっせ。
これならJRよりも時間はかかるけど、お得なんと違いまっしゃろか。
(JR高松駅ビル2階 讃岐うどん 艶 艶)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(梅おろし うどん)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
やはり讃岐うどんを食べてから、午後のコースを決めまひょ。
本当は釜揚げうどんを食べたかったんですがこの日はまだ暑かったんですわ。
讃岐うどんは、ぶっかけと、釜揚げが本流のようでんな。
結局、午後からは雨の栗林公園を巡ることにして、屋島は明日に回しましたんや。
(JR高松駅構内の PR立て看板)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(JR高松駅にて 1500形 気動車)
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(JR四国 高徳線 栗林公園北口)
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栗林公園はJR高松駅から約4kmぐらい南におますんや。
普通はバスで来ることが多いので、わても北口から入場すろのは初めて。
(特別名勝 栗林公園 北門)
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(栗林公園 入場券) (大人 400円)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
入場した頃から雨が本降りになってきましたで。
雨男だから諦めて傘でもさしてゆっくり見物でもしまひょ。
負け惜しみやないけど雨の庭園巡りもよろしおまっせ。
(栗林公園 鶴亀松)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
栗林公園には1000本を超える松の木が植え込まれてますんやけど
この「鶴亀松」が一番美しいとパンフレットにも書かれてましたわ。
下に見える岩石を亀に見立てて松の木で鶴をイメージしているんやそうな。
(掬月亭 = きくげつてい)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この掬月亭(きくげつてい)は四方正面が数寄屋造りで回遊式大名庭園である
栗林公園の中でも代表的な建物でっしゃろな。
歴代藩主がここを大茶屋と呼び南湖を望む景観を、こよなく愛したそうでっせ。
この横で、わてらが中学校の修学旅行で来た時に集合写真を撮った場所ですわ。
(鉄ちゃん爺やが 集合写真を撮った池)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
もう少し右へよって背景の紫雲山が写るような位置だったような気もするけど
池や松の木などの姿かたちは当時の面影が残ってますな。
では南湖の周りを歩いて代表的な景色の築山へ向かいまひょ。
(栗林公園 南湖から掬月亭を望む)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(栗林公園 南湖&偃月橋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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(飛来峰 = ひらいほう)
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(飛来峰から 掬月亭方向を撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
栗林公園を訪れたことの無い方でもこの画像は
見た覚えがあるんと違いまっしゃろか?
栗林公園の入場券や観光パンフレットにも採用されている風景でっせ。
栗林公園は寛永年間(1625年~)に生駒高俊公によってこの南湖辺りの
造園が行われ現在の公園の原型が形作られたそうです。
生駒氏が出羽の国へ転封に伴い1642年(寛永19年)新しく入封した
松平頼重公(水戸光圀公の兄君)が造園を引き継いだんだって。
5代藩主・松平頼恭(よりたか)公の時代に完成したようで
1745年(延亨2年)園内六十景 命名で完成したとされてますんや。
明治維新まで歴代藩主はこの庭園を下屋敷として使用したんだって。
1875年(明治8年)から県立公園として一般に公開。
1953年(昭和28年)文化財保護法により「特別名勝」に指定され
今日まで四国の高松市を訪れるほとんどの観光客が入場する公園でしょうかな。
(飛来峰から 偃月橋を見下ろす)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
偃月橋(えんげつきょう)は栗林公園内では一番大きい橋で
弓張り月(半月)が湖面に影を映す姿から名付けられたんだって。
(栗林公園の 背景を司る 紫雲山)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
わてが~ 中学校の修学旅行で訪れる前の年だったと記憶してますんや。
紫雲山の名前を採用した宇高連絡船「紫雲丸」が高松港を出港した直後に
「第三宇高丸」と衝突して修学旅行生が109名も亡くなったんですわ。
紫雲丸=死運丸だなんて呼ばれたこの船は2回も沈没しそのたびに引き上げられ
「瀬戸丸」の名前で1971年(昭和41年)まで航行してましたんや。
この大事故の前年には青函連絡船の「洞爺丸」の事故もあってか
関西では四国への修学旅行がほとんど無くなってしまったそうですわ。
だから中学校の修学旅行で四国を訪れる最後の年が、わてらの学年だったとか。
(栗林公園 北湖の景観)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(商工奨励館) (明治時代に作られた博物館)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
現在は香川県の特産品の展示発売や製作の実演が行われていますね。
所で~ 松ばかりの栗林公園なのに、栗の木がないのがガテンいきまへんがな。
そこで栗饅頭を売っている店の添え書きを発見しましたで。
なんでも第10代藩主・松平頼胤(よりたね)公が鴨狩りに邪魔だと
栗の木を3本だけ残して伐採してしまったんだそうな。
だから江戸時代には沢山の栗の木が植わっていたのが正解やそうですわ。
こんなバカ殿さんも、幕末には出てきたんでっしゃろな。
だから今では栗林公園というより松林公園のような感がするのも
わてばっかりじゃないと、思いまんねんけど。
(栗林のくり 湊屋さんの栗饅頭)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
だから~ 栗林公園で栗を思い出させるのは、この和菓子だけですな。
内の奥さんの好物なので1個だけ買ってしまいました。
(商工奨励館前から 撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
もっとゆっくり栗林公園を見たかったんだけど何せ台風26号の
雨と風が強くなって来ましたので退散することにしましたがな。
(栗林公園の正門 通称は東門)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
夜は雨も強いのでホテルから近いJR高松駅の横にある居酒屋へ入りましたんや。
(骨付き鳥)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
これは~ 鉄ちゃん爺やの大失敗の夕食になりましたわ。
本来は讃岐うどんに匹敵する人気商品の「骨付き鳥」を注文したんでっせ
出たきたのは大阪でも食べられる普通のチキンでんがな。
本来はスパイスを利かしてもっと焦げ目が付くほど焼くもんなんですわ。
やはり~ 雨でも専門店を探して行くべきだったと反省。
仕方がないのでキヨスクで缶ビールと乾き物を買って引き揚げることにしましたわ。
(香川県 限定ビール)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
次回は源平の古戦場である屋島をしょうかいしまひょ。
ほんなら~ 今日はこれでお仕舞いでっせ、さいなら~
途中の車中より絵になる風景といえばやはり讃岐富士でっしゃろな。
(讃岐富士 正式名 飯野山 標高421m)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
けして高い山ではおまへんけど讃岐路を通れば写真に撮りたくなる風景ですわ。
この山は坂出市と丸亀市との境界になるんだって。
この写真は坂出市に入った処の画像だったと思いま。
(高松市内 JR予讃線 JR鬼無駅のモニュメント)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
何せお隣りの岡山県とここ讃岐地方には桃太郎伝説があちこちにおますんや。
ここ鬼無(きなし)にも桃太郎伝説がありゲームソフトのハドソンという会社が
桃太郎電鉄なんて名前で石像を寄贈したそうですわ。
ここまで来たら讃岐の旅も高松市内に入ったようでんな。
(JR高松駅舎)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
わてが~ 高松駅にやってきたのは平成の4年か5年以来でっかな。
その当時はまだ宇高連絡船の船着場や国鉄の貨物駅が残ってましたんや。
それがベイエリアの再開発とかで見違えるような駅前に変わってしまいましたがな。
(シンボルタワー サンポート高松)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
このシンボルタワーは四国では一番高い高層ビルなんだって。
右側の丸い屋根が見える辺りが昔の宇高連絡船の船着場だったそうでんな。
わてが~ 学生時代には大阪からも関西汽船や加藤汽船が運航されていて
四国への玄関口と言えばここ高松港しか考えられまへんでした。
国鉄の宇高連絡船もここで本土の岡山県の宇野港と繋がってましたんや。
(JR高松駅構内 連絡船うどん)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この立ち喰いうどんの店は昭和の時代から国鉄・高松駅構内の名物でしたんや。
宇高連絡船待ちや国鉄の列車待ちで「讃岐うどん」を食べながら
四国の想い出を味わった方も多いでっしゃろな。
現在は宇高連絡船のイカリがモニュメントで残るだけで
この連絡船うどんが昭和の雰囲気を感ずる唯一の場所になってしまいましたで。
ただ~ 場所は駅舎の改築で少しだけ北の方へ移動してまつけど。
(高松市の マンホールの蓋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
やはり~ 源平の屋島の戦い、那須与一が扇の的を狙う姿は有名な逸話でっしゃろ。
実は雨が降らなければ、このまま屋島へ向かうつもりでしたんや。
処が天気予報が当たり、このマンホールの写真を写した頃から雨になりましたがな。
何せ台風26号とやらが四国沖から東へ向きを変えたとか。
あの~ 伊豆大島に大きな被害を与えた台風でっけど
そんなこととは知らない一人旅の鉄ちゃん爺やでしたんや。
この辺りは一人旅の気楽さでコース変更なんて、自由自在になりまっせ。
予定を変更して荷物をホテルに預けて高松城へでも行きまひょかな。
(旧 高松城址 玉藻公園)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
60歳以上は無料で入場できるんだって。
証明書を忘れたと言ったら、生年月日をどうぞだって~
昭和1X年1月XX日 です~♪
どうぞ~ お入りくださいだって~
なんだか~ おおらかな高松市の係員さんでしたね。
(高松城址 天守台改修工事中)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここ高松城は三方から海の水を引き込んでお濠にした水城だったとか。
万葉の時代から玉藻の浦と呼ばれたので、別名を玉藻城とも呼んだそうだっせ。
生駒親正が豊臣秀吉から領地を与えられたそうで、後に徳川家光の時代
徳川光圀の兄君である松平頼重が12万石で入り明治維新まで続いたそうでんな。
だから讃岐・松平家は水戸・徳川家の分家として格式のある大名だったんでっせ。
(旧高松城 月見櫓)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
天守閣は残念ながら明治維新後に解体されて残ってないんだって。
「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」
こんな歌が当時は謡われたようでんな。
この月見櫓は当時の物らしく国の重要文化財に指定されてますわ。
(旧 高松城 水手御門 & 渡櫓)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(月見櫓 & 水手御門を 外側から撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
水手御門を出ると江戸時代には、瀬戸内海になっていたようでんな。
天守台の石垣が工事中の為か、お濠の水が抜かれているようでっせ。
お濠の外は埋め立てられて海岸道路と駐車場になってまんな。
雨も降ってきましたんで高松の港の方へ行ってみまひょ。
高松港は現在でも岡山県の宇野港とを結ぶ宇高国土フェリーや
小豆島や女木島・男木島などの離島を往復する定期船のターミナルでっせ。
(高松港を出航したフェリー) (めおん2 264トン)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
可愛らしいフェリーですが桃太郎の鬼退治で有名な女木島とお隣の男木島を
1日6往復している雌雄島海運(しゆうじまかいうん)の定期フェリーなんだって。
地元では女木島と男木島を合わせて雌雄島(しゆうじま)と呼ぼそうでっせ。
遠くに見える半島が源平の古戦場である屋島で
本日に鉄ちゃん爺やが行きたかった所でっけど、この雨では諦めましたんや。
(高松港に到着した フェリー)(内海フェリー ブルーライン号 999トン)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
小豆島の草壁港とここ高松港を約1時間で結んでいる定期船だそうです。
高松沖にはこの他にも離島が多く点在するので、
色んなフェリーが発着するようでんな。
「めおん2」の停泊している画像の向こうの方にクレーンが写ってますやろ
関西の神戸港から来る直行便がこの高松東港に着くそうですわ。
この高松東港は交通の便がやや悪いんでっけど、片道2000円ぐらいで
神戸港から高松港まで来れる割安料金設定があるそうでっせ。
これならJRよりも時間はかかるけど、お得なんと違いまっしゃろか。
(JR高松駅ビル2階 讃岐うどん 艶 艶)
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(梅おろし うどん)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
やはり讃岐うどんを食べてから、午後のコースを決めまひょ。
本当は釜揚げうどんを食べたかったんですがこの日はまだ暑かったんですわ。
讃岐うどんは、ぶっかけと、釜揚げが本流のようでんな。
結局、午後からは雨の栗林公園を巡ることにして、屋島は明日に回しましたんや。
(JR高松駅構内の PR立て看板)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(JR高松駅にて 1500形 気動車)
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(JR四国 高徳線 栗林公園北口)
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栗林公園はJR高松駅から約4kmぐらい南におますんや。
普通はバスで来ることが多いので、わても北口から入場すろのは初めて。
(特別名勝 栗林公園 北門)
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(栗林公園 入場券) (大人 400円)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
入場した頃から雨が本降りになってきましたで。
雨男だから諦めて傘でもさしてゆっくり見物でもしまひょ。
負け惜しみやないけど雨の庭園巡りもよろしおまっせ。
(栗林公園 鶴亀松)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
栗林公園には1000本を超える松の木が植え込まれてますんやけど
この「鶴亀松」が一番美しいとパンフレットにも書かれてましたわ。
下に見える岩石を亀に見立てて松の木で鶴をイメージしているんやそうな。
(掬月亭 = きくげつてい)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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この掬月亭(きくげつてい)は四方正面が数寄屋造りで回遊式大名庭園である
栗林公園の中でも代表的な建物でっしゃろな。
歴代藩主がここを大茶屋と呼び南湖を望む景観を、こよなく愛したそうでっせ。
この横で、わてらが中学校の修学旅行で来た時に集合写真を撮った場所ですわ。
(鉄ちゃん爺やが 集合写真を撮った池)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
もう少し右へよって背景の紫雲山が写るような位置だったような気もするけど
池や松の木などの姿かたちは当時の面影が残ってますな。
では南湖の周りを歩いて代表的な景色の築山へ向かいまひょ。
(栗林公園 南湖から掬月亭を望む)
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(栗林公園 南湖&偃月橋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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(飛来峰 = ひらいほう)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(飛来峰から 掬月亭方向を撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
栗林公園を訪れたことの無い方でもこの画像は
見た覚えがあるんと違いまっしゃろか?
栗林公園の入場券や観光パンフレットにも採用されている風景でっせ。
栗林公園は寛永年間(1625年~)に生駒高俊公によってこの南湖辺りの
造園が行われ現在の公園の原型が形作られたそうです。
生駒氏が出羽の国へ転封に伴い1642年(寛永19年)新しく入封した
松平頼重公(水戸光圀公の兄君)が造園を引き継いだんだって。
5代藩主・松平頼恭(よりたか)公の時代に完成したようで
1745年(延亨2年)園内六十景 命名で完成したとされてますんや。
明治維新まで歴代藩主はこの庭園を下屋敷として使用したんだって。
1875年(明治8年)から県立公園として一般に公開。
1953年(昭和28年)文化財保護法により「特別名勝」に指定され
今日まで四国の高松市を訪れるほとんどの観光客が入場する公園でしょうかな。
(飛来峰から 偃月橋を見下ろす)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
偃月橋(えんげつきょう)は栗林公園内では一番大きい橋で
弓張り月(半月)が湖面に影を映す姿から名付けられたんだって。
(栗林公園の 背景を司る 紫雲山)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
わてが~ 中学校の修学旅行で訪れる前の年だったと記憶してますんや。
紫雲山の名前を採用した宇高連絡船「紫雲丸」が高松港を出港した直後に
「第三宇高丸」と衝突して修学旅行生が109名も亡くなったんですわ。
紫雲丸=死運丸だなんて呼ばれたこの船は2回も沈没しそのたびに引き上げられ
「瀬戸丸」の名前で1971年(昭和41年)まで航行してましたんや。
この大事故の前年には青函連絡船の「洞爺丸」の事故もあってか
関西では四国への修学旅行がほとんど無くなってしまったそうですわ。
だから中学校の修学旅行で四国を訪れる最後の年が、わてらの学年だったとか。
(栗林公園 北湖の景観)
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(商工奨励館) (明治時代に作られた博物館)
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現在は香川県の特産品の展示発売や製作の実演が行われていますね。
所で~ 松ばかりの栗林公園なのに、栗の木がないのがガテンいきまへんがな。
そこで栗饅頭を売っている店の添え書きを発見しましたで。
なんでも第10代藩主・松平頼胤(よりたね)公が鴨狩りに邪魔だと
栗の木を3本だけ残して伐採してしまったんだそうな。
だから江戸時代には沢山の栗の木が植わっていたのが正解やそうですわ。
こんなバカ殿さんも、幕末には出てきたんでっしゃろな。
だから今では栗林公園というより松林公園のような感がするのも
わてばっかりじゃないと、思いまんねんけど。
(栗林のくり 湊屋さんの栗饅頭)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
だから~ 栗林公園で栗を思い出させるのは、この和菓子だけですな。
内の奥さんの好物なので1個だけ買ってしまいました。
(商工奨励館前から 撮影)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
もっとゆっくり栗林公園を見たかったんだけど何せ台風26号の
雨と風が強くなって来ましたので退散することにしましたがな。
(栗林公園の正門 通称は東門)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
夜は雨も強いのでホテルから近いJR高松駅の横にある居酒屋へ入りましたんや。
(骨付き鳥)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
これは~ 鉄ちゃん爺やの大失敗の夕食になりましたわ。
本来は讃岐うどんに匹敵する人気商品の「骨付き鳥」を注文したんでっせ
出たきたのは大阪でも食べられる普通のチキンでんがな。
本来はスパイスを利かしてもっと焦げ目が付くほど焼くもんなんですわ。
やはり~ 雨でも専門店を探して行くべきだったと反省。
仕方がないのでキヨスクで缶ビールと乾き物を買って引き揚げることにしましたわ。
(香川県 限定ビール)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
次回は源平の古戦場である屋島をしょうかいしまひょ。
ほんなら~ 今日はこれでお仕舞いでっせ、さいなら~