鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や    大和の飛鳥を訪ねて パート2

2014-06-07 15:11:56 | 日記
今回は飛鳥川の右岸にある史跡を紹介しまひょ。

6世紀の頃に飛鳥と呼ばれる所は狭かったようで
飛鳥川の右岸地区を言うんだって。

(飛鳥川の流れ)  (左岸から撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

甘樫丘の麓から写したのが上の画像でおます。

名前は綺麗でっけど、まあ~普通の小川でんな。

それでは飛鳥大仏で有名な飛鳥寺へ向いまひょ。

(飛鳥寺 山門) (奈良県高市郡明日香村飛鳥)


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左手の石碑に「飛鳥大仏」って書かれてまっしゃろ。

江戸時代の1792年(寛政4年)の銘がおますから
その頃には飛鳥大仏という名前で通っていたんでんな。


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(飛鳥寺の本堂)


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西暦596年に時の権力者である蘇我馬子が創建した
蘇我氏の氏寺だったようで日本最古の本格的寺院だとか。

鎌倉時代に落雷で焼失する迄は五重塔に金堂が三つ
東西200m 南北300m の大きなお寺でしたそうな。

現在は小ぢんまりと江戸時代に再建されたお寺でおます。

蘇我氏が滅んでからもこの飛鳥寺は朝廷から保護され
「法興寺=仏法を興す寺」と呼ばれていたそうでっせ。

奈良に都が移された時にはここから一部の建物が
奈良市内に移設され「元興寺」となったんだそうな。

現在も「元興寺」は国宝として奈良市内の名所である
奈良町の中に残ってまんねんで。

だからここを「本元興寺」とも呼ぶことがあったとか。

現在は正式名「安居院」(あんごいん)と言いますんや
だから真言宗は豊山派の末寺になってまんな。

(飛鳥寺の ご朱印)


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ご朱印だけ貰って境内やお堂をデジカメで写そう
そう勝手に考えていたんですわ。

ご朱印の受付の女性から声を掛けられましたんや。

「大仏さまは観られないんですか?」

「どうせ写真撮影は禁止でっしゃろ」

「いえいえ~ 撮影も出来まっせ」 との事。

「ほな~ 拝観させて貰いますわ」

(飛鳥寺 拝観用のパンフレット)


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ここの住職さまは写真撮影も大いに結構とのこと。

しっかり写して自宅でお祀りしてくださいだって。

最近は撮影禁止の寺社仏閣が多いので珍しいでっしゃろ。

わてはこんな住職さんなら大歓迎でおます。

(本尊 飛鳥大仏) (重要文化財に指定)


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住職様の説明では左から観るお姿は厳しいお顔で
右から観るお顔は慈悲の眼差しだとのこと。

不信心のわてらには良く分かりまへんけど。


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この大仏様は鎌倉時代の1196年(建久7年)の
落雷でお堂と共に焼けてしまったんだって。

それを補修して台座は凝灰岩の石で出来ているので
元の位置に戻したそうで亀裂も入っているとか
だから墨で黒く塗ってあるようにも見えますんや。

古いんだけど国宝には成らないのはその補修が
どこか素人ぽい手法で復元されているからだとか。

でも専門家が調査した結果はお顔や左手の指など
当時のままの部分も多く残っているんだって。

(飛鳥寺 拝観用パンフレット)


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正式には銅造り釈迦如来坐像とお呼びするんだとか。

歴史にも登場する鞍作鳥(止利)の作なんだって。

(鞍作鳥=くらつくりのとり)


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中国にも6世紀の大仏は石造りの石仏としては
残っていますが銅造りの物は見られないんだとか。

高さは丈六の仏さまで約3.8mあるそうです。

150年後の東大寺の大仏様とは比較できないけど
当時としては最高の技術だったんでしょうな。

(飛鳥寺形石燈籠)  (南北朝時代作)


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「日本の燈籠」に選ばれている極めて清楚で
完全な形で残っている名作なんだって。

(飛鳥寺境内 沙羅双樹の木)


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日本では夏ツバキを沙羅双樹の木と呼びますが
インドでお釈迦さまが入寂されたとき出てくる
沙羅双樹の木とは別だとの説があるようでんな。

インドの沙羅双樹の木は日本では温室でないと
育たないと言われてますが詳しくは不明ですわ。

飛鳥寺の西門から100mぐらいの処へ行きまひょ。

(伝 蘇我入鹿の首塚) (元は飛鳥寺の境内?)


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(乙巳の変 絵巻) (桜井市 談山神社蔵)


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西暦645年に乙巳の変(いっしのへん)で
中大兄皇子と中臣鎌足らによって討たれた
蘇我入鹿の首塚だと言われているようですわ。

入鹿の生首が空中に飛んでいるのが
描かれているとはリアルな絵巻でっしゃろ。

観光用の本には何時も花とお線香がたむけられ
飛鳥では今も大事にされていると書かれてま。

歴史上では極悪人のように日本書紀などに
記されていますが、庶民はそうとは考えず
今もこの飛鳥では特別なお方なんでしょうな。

真実はそんな悪人じゃなかったのかもしれまへん。

昔は田んぼのあぜ道に置かれてましたんや
綺麗に整地されて石畳が敷かれてましたわ。

(飛鳥寺の付近から 甘樫丘を撮影)


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(反対側から 飛鳥寺を撮影)


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この風景は観光用のパンフレットで良く見かけま。

レンターサイクルで次の史跡へ向かいまひょ。

(酒船石遺跡 説明書き)


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次は飛鳥の奇岩「酒船石」を紹介しまひょかな。

竹やぶの丘の頂きに何故こんな大きな石が?

どうみても50トンぐらいはおますやろ。

(酒船石=さかふねいし)


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説明書きが見当たりまへんので図書館の本で
調べたら「殯=もがり」に使用したとかの説。

「殯=もがり」とは古代に高貴な方が亡くなったら
古墳ができるまで1~2年間ぐらい仮に祀ることで
その柩をこの石に乗せたとの説が有力なんだって。

酒船石の丘から下りて竹林を眺めたらこんな感じ。


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次は飛鳥時代の7世紀の宮殿跡を見てみまひょ。

飛鳥板蓋宮跡=あすかいたぶきのみやあと 

蓋と書いて、葺きと読むとは変わってますやろ。

(伝 飛鳥板蓋宮跡=でん あすかいたぶきのみやあと)


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先程、談山神社の絵巻物で紹介しました乙巳の変。

ここが、その現場になった飛鳥板蓋宮跡ではとの説。

あの画像で左上に皇極天皇が立ち去ると同時に
蘇我入鹿が討たれる様子が描かれてましたな。

世に言う「大化の改新」はここでスタートした
そうゆう事になりますんやろか。

でも、確かな証拠は発掘されてないとの話。

この時代は天皇が代わるごとに宮殿が移転したそうで
建築技術がまだ未熟で長期に渡る建造物が造れなかった
そのような考え方をしている学者さんも多いですかな。

それじゃ、今回のメインテーマ石舞台古墳へ行きまひょ。

(特別史跡 石舞台古墳 拝観券) (大人250円)


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昔は無料で観れた石舞台古墳なのに250円でんがな。

観光用に保全する意味で拝観料を徴収しますんやろな。

まあ~ 写真が撮影できるので良しとしまひょ。

(石舞台古墳で撮影)


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飛鳥寺を創建した当時の実力者で蘇我馬子の墓。

そのような伝説がある横穴式石室が露出した状態で
残っているのが「石舞台古墳」と呼ばれてますんや。

私が初めて見たのは中学生の遠足だったような記憶。

だから約60年も経ちますが、ここは同じ姿でっせ。

石は30個で総重量が約2300トンもあるんだとか。

昔の古墳が上部の封土が取り除かれてこんな石だけが
露出したのは何時なのかは不明なんだって。


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(石舞台古墳 石室内部)


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これだけで拝観料250円とは高いと思いまんねんけど。

車で来たら別に駐車料も1台500円も取られまっせ。

昭和の時代は確か無料で自由に見物が出来たはず。

ここの横でお弁当を広げたこともおましたで。


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

私らが学生時代は飛鳥と言えばこの石舞台古墳で
お弁当を食べて聖徳太子の生誕の地である橘寺
それに亀石や鬼の雪隠などを見て大阪へ帰る。

こんなパターンでしたが昭和47年に高松塚古墳で
極彩色の壁画が発見されて一躍有名になりましたんや。

現在はこの石舞台古墳と高松塚古墳を見学して終わり
こんなツアーが多いのんと違いまっしゃろか。

次回はその高松塚古墳他を紹介しまひょ。

ほな、今日はこれでさいなら~♪