鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や    高松塚古墳を訪ねて

2014-06-15 13:10:19 | 日記
前回の石舞台古墳で巨大な石をどのようにして
運んだのか皆さんが疑問だったようなんで
石舞台古墳の説明板を貼り付けておきまひょ。

(石舞台古墳 説明板)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

小さくて読めないかもしれまへんが穴を掘って
そこへ一旦は落としてから綱を掛けて大勢で
引っ張ったような説明でんな。

でも丸太のコロが描かれているけど本当にそんな知恵が
有ったのかしら、それと修羅も使われてない感じ。

一番大きな石は70トンと言われているので
こんな感じで作業が行われたのかは、大いに疑問でんな。

それじゃ有名な高松塚古墳へ向かいまひょ。

(飛鳥歴史公園 記念撮影用の花人形)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

高松塚古墳は昭和の35年前後に明日香村の村民が
古墳の裾に生姜や芋を貯蔵する穴を掘ったんやそうな。

そしたら大きな切石にカチン!と当たったんだって。

穴を掘るのを諦めたそうでっけど村役場の人が
橿原考古学研究所に発掘調査の相談をしたとか。

なにせこの古墳は江戸時代までは文武天皇の御陵とされ
明治になってからは宮内省管轄から外れて
発掘が可能な古墳だとされてましたんや。

おそらく盗掘はされているだろうが明日香村15周年の
遺跡調査の一環として発掘してみようと決まったんだって。

(現在の 高松塚古墳)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

1972年(昭和47年)3月1日から明日香村が
橿原考古学研究所に依頼し末永所長から実際の作業を
所員の網干善教さん他が担当する事に決まりましたんや。

吹田市の関西大学文学部の網干善教先生が学生24名と
網干先生の教え子や地元の歴史研究家が中心となって
発掘を初めた処、盗掘の穴も見つかり当時はあまり
期待もできない古墳だと考えていたんだって。

3月21日の正午に学生たちを昼食に出した後に
網干善教先生が盗掘の穴を清掃しつつ単独で内部を
覗いたところ緑色の壁画が見えたんだって。

直ぐに学生を呼び戻し一番体格の小さい女子大生を
盗掘穴から上半身を入れて口頭で情景を確認させ
外では男子学生が口頭で聞いた通り絵をスケッチ。

網干善教先生は直ぐに東京に出張中の末永所長と
明日香村の村長に歴史的発見を知らせたとのこと。

箝口令が引かれマスコミには内部の調査や出土品の
搬出が完了してから3月26日になって初めて発表。

日本全国に戦後最大の発見として放映されましたんや。

(高松塚古墳 墳丘の上部から撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

わても野次馬根性で発表から一週間後ぐらいに
一人で訪れたのが高松塚古墳との出会いでしたな。

現在は埋め戻されて芝生も植えられて周りが
遊歩道で一周できるようになってますんや。

当時は古墳の周りは竹林で南側の裾野からシートが
張られて発掘調査がまだ続いていたようですわ。

実際は内部の清掃や粘土で埋め戻す作業中でしたけど。

当然内部の壁画などは見れまへんし現地の説明会も
簡単な説明のみで、人間だけが大勢押しかけた
そんな感じの作業現場の風景でおました。

当時は田んぼの畦道を通って高松塚古墳へ向かう
そんな風景に明日香村の村民の方が驚いたはず。

読売新聞が発行した書籍「高松塚古墳」の資料を
一部だけ交えながら高松塚古墳のお話をしまひょ。

(高松塚古墳 西側女性群像の壁画)(読売新聞の 書籍より)


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この壁画が発表された直後から、鮮やかな色彩で
出現した飛鳥美人たちに全国民の目を奪った。

何故か高松塚古墳と言えばこの壁画が出てくる
他にも色んな壁画がおますんやけどな~

一寸 視点を変えて四神図の壁画を紹介しまひょ。

(高松塚古墳 東壁 青龍の復元図)(読売新聞の 書籍より)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

中国から伝わった四つの方角から東を守るのが「青龍」

東は季節の「春」を意味し色は「青」と決まってま。

(高松塚古墳 西壁 白虎の復元図)(読売新聞の 書籍より)


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同じく西の方角を守るのは「白虎=びゃっこ」 

西は季節では「秋」を意味し色は「白」と決まってま。

これを描いたのを近鉄飛鳥駅前の高取川で発見。

(飛鳥駅前 橋に取付けられた 飾り金具)


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(高松塚古墳 北壁 玄武の復元図)(読売新聞の 書籍より)


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同じく北の方角を守るのは「玄武=げんぶ」

北は季節では「冬」を意味し色は「黒」と決まってま。

同じく近鉄飛鳥駅前の高取川で発見。

(飛鳥駅前 橋に取付けられた 飾り金具)


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同じく南の方角を守るのが「朱雀=すじゃく」

南は季節では「夏」を意味し色は「赤」と決まってま。

おそらく高松塚古墳の南壁には「朱雀」が描かれていた?

残念ながら盗掘に侵入した悪人により潰されてしまったか
四神図で「朱雀」だけが欠けてしまってますんや。

(飛鳥駅前 橋に取付けられた 飾り金具)


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欠けている「朱雀」が何故に飛鳥駅前に有るのか?

実は同じ明日香村の南外れに「キトラ古墳」が有り
そこでは四神図が全て揃っているんだって。

だから明日香村の駅前に「朱雀」が有っても正解!

大相撲の土俵に天井から房がぶら下がってまっしゃろ。

あれも四神の青・赤・白・黒と方角も同じですな。

青房が東に赤房が南に白房が西に黒房が北と
全てが四神のルールに従ってるんでっせ。

(高松塚古墳より出土した 海獣葡萄鏡)


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盗掘者が何故か運び出すのを忘れたようで中国から伝わった
海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)と呼ぶ鏡だそうです。

大きい出土品はこれのみで、後は刀の鞘の破片とか
ガラス玉や柩の金具などが見つかったそうですわ。

昔から被葬者が話題になってますんやけど
墓誌がないので不明として書かれてまんな。

男子群像壁画に高貴な方に差し掛ける蓋=キヌガサに
「深緑色」が使われているので一位の位を持つ権力者か
皇族の男子ではなかろうかと当時から囁かれてまんな。

皇太子なら「紫」を使用するので皇太子以外の
皇族だろうとの説が有力なようですわ。

中臣鎌足では古過ぎるし藤原不比等では奈良時代初期
皇族以外では該当者が見当たらないようでんな。

(高松塚古墳 壁画館)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

壁画は保存の為に見学ができないので模写したものが
1977年(昭和52年)に開館してますんや。

写真の撮影は禁止だし模写なので入館はヤメにしまひょ。

高松塚古墳は密閉されて永久保存になっはずなのに
カビが発生して現在それを修復作業中だと言われてまんな。

(高松塚古墳 周辺の公園にて)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


次回は最終編で聖徳太子の生誕の地と
天武天皇・持統天皇の合葬陵などを紹介しまひょ。

ほな、 今日はこれで さいなら~