犬山市ともお別れして再びJR高山本線に乗り 出発! 進行!
今夜の泊りは下呂温泉だけど、どっかで途中下車をしまひょ。
(JR高山本線 車窓からの木曽川)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
右手に見えるのは木曽川で日本ラインと呼ばれる景勝地。
2011年までは日本ライン下りで凄く賑わったんでっせ。
2011年・天竜川の川下りで死者5名の事故が有ったんで
ここの日本ライン下りもコースの変更で今は見れまへんわ。
昔はJRの列車と川下りの船がお互いに手を振りながら
すれ違う風景が見られたんやけど、それも昔話でっしゃろな。
(JR高山本線 車窓からの風景)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
横を走る国道21号線は鉄ちゃん爺やと滋賀県の米原市から
離れたり近づいたりしながらの道中でしたが、まもなくお別れ。
坂祝町(さかほぎちょう)から次の美濃加茂市に入ったら
木曽川の本流と共に右手にカーブして離れて行きますんや。
(JR美濃太田駅舎)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(美濃加茂市 マンホールの蓋)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
美濃加茂市は人口5万5千人の小さい町ですが江戸時代には
中山道は太田宿と呼ばれる町で賑わったんやそうでっせ。
ここの名物は平安時代から伝わる「堂上蜂屋柿」と呼ばれる
干し柿の王様なんだって。
売店で尋ねたら12月以降しか買えないとのことでしたわ。
丁度、お昼になったのでキヨスクでサンドイッチと缶コーヒー
美濃太田駅が始発の列車なので車内で食べることにしました。
(キハ48系 国鉄色に塗装されてます) (美濃太田駅にて撮影)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
国鉄時代の塗装に塗り替えたディゼルカーだっせ 懐かしい~♪
この同じ車両に二日後の高山駅からも乗ることになりまんねん。
それじゃ、12時40分になりましたで 出発! 進行!
(JR高山本線 車窓から)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
国道41号線が名古屋市からやって来て、美濃加茂市で
国道21号線と交代して、富山まで鉄ちゃん爺やのお供をしまっせ。
鉄ちゃん爺やは昔から、渓谷を走る鉄道の旅が大好きなんですわ。
鉄橋を渡りトンネルを抜け峠を越えて行くそんな風景でっかな。
今回も3日間を掛けて太平洋側から日本海側へ抜ける旅でおます。
(最近じゃ 扇風機の付いた珍しい列車)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
JR東海さんの為に補足しときまひょ。
クーラーもJRに成ってから取り付けられてますんや
でも、少しだけ暑いぐらいの時は今でも扇風機が動きますんや。
何せ能力が一杯一杯のキハ48系のディゼルカーでっしゃろ。
少しでも登り坂でのエンジンの助けになれば、ちゅう感じでっかな。
(JR下麻生駅)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この辺りまでは、のどかな美濃の国の農村風景でおます。
この駅を過ぎて次の上麻生駅に近づくと飛騨川が右手の
車窓に見えてきますんや、JR高山本線も登り勾配に入り
キハ48系のエンジンは唸り声を上げ、もがいている感じ。
飛騨川ちゅうのは現在では源流の乗鞍岳南西斜面から
木曽川に合流するまでを称する木曽川の一番大きな支流。
でも鉄ちゃん爺やが学生時代には飛騨の金山で馬瀬川と
合流してから先、木曽川までを飛騨川と教えられましたで。
現在の下呂温泉の在る辺りは益田川(ましたがわ)と呼び
地名も益田郡下呂町だったと記憶しますんや。
(飛騨川の渓谷 飛水峡)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
飛騨川の主役登場でおます、一帯は飛騨木曽川国定公園だっせ。
特にこれから先の白川口駅までは「飛水峡=ひすいきょう」と云い
特急のワイドビュー飛騨に乗れば車掌さんの説明がおます。
深く険しく切り立ったV字谷の美しい渓谷なんでっせ。
狭い処では走り幅跳びの選手なら飛び越えられるぐらいの
川幅の箇所も有りJR高山本線の人気スポットの一つでっかな。
国道41号線は画像の右手に見える集落を通ってますんや。
(飛騨川の渓谷 飛水峡)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
実はこの美しい「飛水峡=ひすいきょう」には悲しい出来事がおました。
1968年(昭和43年)8月18日 飛騨川バス転落事故 死者104名
日本バス史上最悪の事故で愛知県の観光バス2台が土砂崩れに巻き込まれ
大雨で増水した飛騨川に転落し生存者はたったの3名でしたかな。
奥様ジャーナルと云う名古屋市の団地の主婦向け無料新聞社が主催した
「海抜3000m乗鞍雲上大パーティ」今でも人気のコースでっけど。
756名もの参加希望でバス15台を連ねる車中1泊のツアーでしたんや。
8月17日に台風7号が通過し翌日は天候も回復するとの気象台の発表。
夕方の17時15分には大雨雷雨注意報も解除された状況だったとの事。
奥様ジャーナルと運営する名鉄観光も計画通りツアー実施と決めたそうな。
15台の観光バスが犬山市の成田別院駐車場に21時30分集合。
皮肉なことに乗鞍岳を目指して観光バス15台がスタートした直後の
22時30分に岐阜地方気象台が大雨警報を発令。
まさか解除された大雨注意報が再びこんどは大雨警報で発令になるとは
関係者は予想も出来なかったのでスタート後は確認をしなかったとの事。
現在ならおそらく携帯などで情報を得て事故は防げたでしょうね。
白川町でこの時間1時間に100mmを超える雨量を記録したそうですわ。
現在のような携帯電話や無線などがまだ無い不幸な出来事でした。
(飛騨川バス転落事故 当日Uターンした金山町)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
大雨の中を8月17日の23時過ぎ頃に飛騨の金山町でトイレ休憩。
そこで進路の中山七里と呼ばれる飛騨川沿いの景勝地で土砂崩れの一報。
安全を期して奥様ジャーナルと名鉄観光は旅行の中止を決めたそうです。
結果的には、ここからなら3時間弱で安全な犬山市まで戻れるとの判断。
23時30分にツアー中止となり国道41号線を戻ることに成ったとか。
この際に1号車から7号車(4号車欠番)までの岡崎観光自動車6台が
第一グループとして先頭を走っていたようでんな。
(白川町の 飛泉橋 国道41号線)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
鉄ちゃん爺やが今回のJR高山本線から写した画像です。
6台の第一グループの観光バスがこの橋を通過中に5号車のドライバーに
白川町の消防団員が土砂崩れの恐れが有るので引き返すべきとの呼びかけ。
だけど既に1号車から3号車までは通過したし交通規制が掛かる前に
「飛水峡=ひすいきょう」の難所を抜けようと考えたんだって。
交通規制は出ていないので走行することは違反じゃなかったようでんな。
後続の8号車から16号車までは消防団の説明に様子を見る為にストップ。
(JR高山本線 白川口駅舎)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
鉄ちゃん爺やが今回に車内から駅舎を撮影した画像でっせ。
第二グループの観光バス9台はこの駅前広場で朝まで待機したとか
からくも事故には遭遇せず難を逃れることになったようですわ。
前進を続けた第一グループ6台は上麻生ダムを通過して約1km
小さい土砂崩れで進行不能になり7号車から順番に方向転換をして
白川町の方向へ戻ろうとした処が大規模な土砂崩れが再び発生。
ダンプカー250台分とも称される土砂が7号車・6号車・5号車を
直撃し7号車だけはガードレールで転落を免れたようですが。
5号車と6号車は赤いテールランプを見せながら15m下の
飛騨川に転落し折からの増水で車体は水没したとのことですわ。
5号車のドライバーと名鉄観光の添乗員1名それに中学生の乗客1名
107名の内で3名だけが転落の途中に車外に投げ出されて生存。
日付が変わって8月18日AM2時11分で亡くなられた方の
腕時計が停まっていたとのことでしたね。
(上麻生ダム 事故現場の上流)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この画像も鉄ちゃん爺やが今回のJR高山本線から写した物です。
翌日から自衛隊約9千100名それに警察や消防に名鉄グループ
延べ約3万6千名以上の関係者で救出作戦が実施されました。
険しい地形と流れの激しい飛騨川で遺体の収容は難航しましたんや。
記録によれば損傷したバスの車内で発見されたのは幼児1名のみ。
他は凄い飛騨川の濁流に下流まで流されてしまったんだそうな。
そこで上麻生ダムの放水を止めて「飛騨川の水位ゼロ作戦」と称し
川底が見えるまで水量を落として救出が行われたと聞いてますんや。
でも上麻生ダムは大正15年完成の水力発電用のダムなので最大
24万トンしか貯水出来ないので、そのたびに放水したり止めたり
それも2~3時間しか止められない状況だったとのこと。
事故翌日には伊勢湾の知多半島に遺体が流れつき救出作戦は
飛騨川から木曽川を経て伊勢湾まで広げることになったんだって。
DNA検査もまだ無い時代でご遺体の確認にも混乱があったとか。
それほど、ご遺体の損傷が激しかったとの記録が残ってますんや。
最終的に104名の内で9名のご遺体は収容できなかったそうです。
生存した中学生も孤独感から数年後に自殺されたとの悲劇も。
一家が全滅したケースが4家族も有ったとの事でっせ。
現在は雨量が一定の数値に達したら国道や県道は通行止めになります
このルールも104名もの事故被害者を出したこの事故を契機に
厳しく定められたと聞き及んでますんや。
当時はゲリラ豪雨の予報も困難で土砂崩れの責任も問う事が出来ず
関係者は事故責任では不起訴となる判決に成っているようですね。
一時は事故は無過失で自賠責保険も出せないとの状況でした。
せめてもと国が4億円と自賠責保険約9千万円を特例として認め
当時の佐藤首相と中曽根運輸大臣の元で閣議決定がされたそうです。
当時の方々は鉄ちゃん爺やより少し年長者の方が多かったのかな。
今回もJR高山本線の車内から黙祷をして現場を通過しましたよ。
若い方はこんな大きな事故があったことはご存知ないかもしれませんね。
(JR高山本線 車窓から)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
「飛水峡」を通過して白川口駅を出ると風景は落ち着いた山村ですな。
白い建物は中部電力の名倉水力発電所で飛騨川バス転落事故の後で
「水位ゼロ作戦」を実施した際に、この水力発電所と名倉ダムも
協力して上麻生ダムへの放流を遅らせるのに活躍したそうでっせ。
手前の道は国道41号線でこんな場所なら、あんな大事故も起きない
不幸な事故と思えるだけに交通規制は今後も重要でおますな。
実はあの事故の約2ヶ月前に鉄ちゃん爺やは会社の慰安旅行で現場を
観光バスで通過して下呂温泉へ行った記憶がおますんや。
「飛水峡」の美濃レストランで休憩して渓谷を眺めたんですが
あの大事故から会社の慰安旅行も長距離バス旅行はダメと成りました。
(JR高山本線 車窓から)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
飛騨川は昔から水量が豊富で発電用のダムと水力発電所が
JR高山本線の車窓からも眺められるんですわ。
ダムと貯水湖が見えてると思ったらトンネルを潜ると、こんどは
渓谷や大きな川原に変わるとか、風景の変化も楽しいもんでっせ。
ここは岐阜県の加茂郡だから昔で云えばまだ美濃の国でおます。
(JR高山本線 車窓から)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
飛騨川の向こう側に国道41号線と砂防用のトンネルが見えてまぁ。
国道41号線はほとんどがJR高山本線の川と反対側を通ってますんや。
ここから飛騨金山駅ぐらいまではこんな風景が続いてまっけど
その先では中山七里と呼ばれる飛騨川の景勝地に又も変わりまっせ。
(JR高山本線 キハ48系 車内風景)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
美濃太田駅を発車した時はそこそこの乗客が座っていたけど
白川口駅を出たら、ガラガラで地元の方が数名ぐらいかな。
眺めた感じでは旅行客は鉄ちゃん爺やのみかもしれまへんで。
普通は特急ワイドビュー飛騨で下呂温泉か高山市へ行きはりまぁ。
のんびりした普通電車の旅はそろそろ飛騨路に入ってきそうですわ。
(JR高山本線 車窓から)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(JR飛騨金山駅 構内)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(JR飛騨金山駅にて 自分撮り)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここ飛騨金山駅は昔で云う美濃の国と飛騨の国を分ける境界の駅でっせ。
なにせ飛騨川を挟んで江戸時代には飛騨の国は高山の代官が
統治する幕府の天領で飛騨の材木を独占するのが目的でおます。
一方で飛騨川の対岸は尾張徳川藩に郡上藩やら幕府旗本領がおました。
こちらは美濃の国で当時は大船渡の渡しが昭和まで残って居たとか
現在のJR飛騨金山駅の在る地域を大船渡地区と今でも呼ぶそうな。
本来の金山町は美濃の国で江戸時代には金山宿があったそうで
平成の合併でこの辺りが岐阜県下呂市に統一された関係で
飛騨金山町と現在は呼ばれるようになったんだって。
長く成りましたんで飛騨金山町は次回にさせてもらいまひょ。
ほんなら、今日はこれで、さいなら~♪
今夜の泊りは下呂温泉だけど、どっかで途中下車をしまひょ。
(JR高山本線 車窓からの木曽川)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
右手に見えるのは木曽川で日本ラインと呼ばれる景勝地。
2011年までは日本ライン下りで凄く賑わったんでっせ。
2011年・天竜川の川下りで死者5名の事故が有ったんで
ここの日本ライン下りもコースの変更で今は見れまへんわ。
昔はJRの列車と川下りの船がお互いに手を振りながら
すれ違う風景が見られたんやけど、それも昔話でっしゃろな。
(JR高山本線 車窓からの風景)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
横を走る国道21号線は鉄ちゃん爺やと滋賀県の米原市から
離れたり近づいたりしながらの道中でしたが、まもなくお別れ。
坂祝町(さかほぎちょう)から次の美濃加茂市に入ったら
木曽川の本流と共に右手にカーブして離れて行きますんや。
(JR美濃太田駅舎)
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(美濃加茂市 マンホールの蓋)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
美濃加茂市は人口5万5千人の小さい町ですが江戸時代には
中山道は太田宿と呼ばれる町で賑わったんやそうでっせ。
ここの名物は平安時代から伝わる「堂上蜂屋柿」と呼ばれる
干し柿の王様なんだって。
売店で尋ねたら12月以降しか買えないとのことでしたわ。
丁度、お昼になったのでキヨスクでサンドイッチと缶コーヒー
美濃太田駅が始発の列車なので車内で食べることにしました。
(キハ48系 国鉄色に塗装されてます) (美濃太田駅にて撮影)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
国鉄時代の塗装に塗り替えたディゼルカーだっせ 懐かしい~♪
この同じ車両に二日後の高山駅からも乗ることになりまんねん。
それじゃ、12時40分になりましたで 出発! 進行!
(JR高山本線 車窓から)
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国道41号線が名古屋市からやって来て、美濃加茂市で
国道21号線と交代して、富山まで鉄ちゃん爺やのお供をしまっせ。
鉄ちゃん爺やは昔から、渓谷を走る鉄道の旅が大好きなんですわ。
鉄橋を渡りトンネルを抜け峠を越えて行くそんな風景でっかな。
今回も3日間を掛けて太平洋側から日本海側へ抜ける旅でおます。
(最近じゃ 扇風機の付いた珍しい列車)
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JR東海さんの為に補足しときまひょ。
クーラーもJRに成ってから取り付けられてますんや
でも、少しだけ暑いぐらいの時は今でも扇風機が動きますんや。
何せ能力が一杯一杯のキハ48系のディゼルカーでっしゃろ。
少しでも登り坂でのエンジンの助けになれば、ちゅう感じでっかな。
(JR下麻生駅)
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この辺りまでは、のどかな美濃の国の農村風景でおます。
この駅を過ぎて次の上麻生駅に近づくと飛騨川が右手の
車窓に見えてきますんや、JR高山本線も登り勾配に入り
キハ48系のエンジンは唸り声を上げ、もがいている感じ。
飛騨川ちゅうのは現在では源流の乗鞍岳南西斜面から
木曽川に合流するまでを称する木曽川の一番大きな支流。
でも鉄ちゃん爺やが学生時代には飛騨の金山で馬瀬川と
合流してから先、木曽川までを飛騨川と教えられましたで。
現在の下呂温泉の在る辺りは益田川(ましたがわ)と呼び
地名も益田郡下呂町だったと記憶しますんや。
(飛騨川の渓谷 飛水峡)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
飛騨川の主役登場でおます、一帯は飛騨木曽川国定公園だっせ。
特にこれから先の白川口駅までは「飛水峡=ひすいきょう」と云い
特急のワイドビュー飛騨に乗れば車掌さんの説明がおます。
深く険しく切り立ったV字谷の美しい渓谷なんでっせ。
狭い処では走り幅跳びの選手なら飛び越えられるぐらいの
川幅の箇所も有りJR高山本線の人気スポットの一つでっかな。
国道41号線は画像の右手に見える集落を通ってますんや。
(飛騨川の渓谷 飛水峡)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
実はこの美しい「飛水峡=ひすいきょう」には悲しい出来事がおました。
1968年(昭和43年)8月18日 飛騨川バス転落事故 死者104名
日本バス史上最悪の事故で愛知県の観光バス2台が土砂崩れに巻き込まれ
大雨で増水した飛騨川に転落し生存者はたったの3名でしたかな。
奥様ジャーナルと云う名古屋市の団地の主婦向け無料新聞社が主催した
「海抜3000m乗鞍雲上大パーティ」今でも人気のコースでっけど。
756名もの参加希望でバス15台を連ねる車中1泊のツアーでしたんや。
8月17日に台風7号が通過し翌日は天候も回復するとの気象台の発表。
夕方の17時15分には大雨雷雨注意報も解除された状況だったとの事。
奥様ジャーナルと運営する名鉄観光も計画通りツアー実施と決めたそうな。
15台の観光バスが犬山市の成田別院駐車場に21時30分集合。
皮肉なことに乗鞍岳を目指して観光バス15台がスタートした直後の
22時30分に岐阜地方気象台が大雨警報を発令。
まさか解除された大雨注意報が再びこんどは大雨警報で発令になるとは
関係者は予想も出来なかったのでスタート後は確認をしなかったとの事。
現在ならおそらく携帯などで情報を得て事故は防げたでしょうね。
白川町でこの時間1時間に100mmを超える雨量を記録したそうですわ。
現在のような携帯電話や無線などがまだ無い不幸な出来事でした。
(飛騨川バス転落事故 当日Uターンした金山町)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
大雨の中を8月17日の23時過ぎ頃に飛騨の金山町でトイレ休憩。
そこで進路の中山七里と呼ばれる飛騨川沿いの景勝地で土砂崩れの一報。
安全を期して奥様ジャーナルと名鉄観光は旅行の中止を決めたそうです。
結果的には、ここからなら3時間弱で安全な犬山市まで戻れるとの判断。
23時30分にツアー中止となり国道41号線を戻ることに成ったとか。
この際に1号車から7号車(4号車欠番)までの岡崎観光自動車6台が
第一グループとして先頭を走っていたようでんな。
(白川町の 飛泉橋 国道41号線)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
鉄ちゃん爺やが今回のJR高山本線から写した画像です。
6台の第一グループの観光バスがこの橋を通過中に5号車のドライバーに
白川町の消防団員が土砂崩れの恐れが有るので引き返すべきとの呼びかけ。
だけど既に1号車から3号車までは通過したし交通規制が掛かる前に
「飛水峡=ひすいきょう」の難所を抜けようと考えたんだって。
交通規制は出ていないので走行することは違反じゃなかったようでんな。
後続の8号車から16号車までは消防団の説明に様子を見る為にストップ。
(JR高山本線 白川口駅舎)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
鉄ちゃん爺やが今回に車内から駅舎を撮影した画像でっせ。
第二グループの観光バス9台はこの駅前広場で朝まで待機したとか
からくも事故には遭遇せず難を逃れることになったようですわ。
前進を続けた第一グループ6台は上麻生ダムを通過して約1km
小さい土砂崩れで進行不能になり7号車から順番に方向転換をして
白川町の方向へ戻ろうとした処が大規模な土砂崩れが再び発生。
ダンプカー250台分とも称される土砂が7号車・6号車・5号車を
直撃し7号車だけはガードレールで転落を免れたようですが。
5号車と6号車は赤いテールランプを見せながら15m下の
飛騨川に転落し折からの増水で車体は水没したとのことですわ。
5号車のドライバーと名鉄観光の添乗員1名それに中学生の乗客1名
107名の内で3名だけが転落の途中に車外に投げ出されて生存。
日付が変わって8月18日AM2時11分で亡くなられた方の
腕時計が停まっていたとのことでしたね。
(上麻生ダム 事故現場の上流)
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この画像も鉄ちゃん爺やが今回のJR高山本線から写した物です。
翌日から自衛隊約9千100名それに警察や消防に名鉄グループ
延べ約3万6千名以上の関係者で救出作戦が実施されました。
険しい地形と流れの激しい飛騨川で遺体の収容は難航しましたんや。
記録によれば損傷したバスの車内で発見されたのは幼児1名のみ。
他は凄い飛騨川の濁流に下流まで流されてしまったんだそうな。
そこで上麻生ダムの放水を止めて「飛騨川の水位ゼロ作戦」と称し
川底が見えるまで水量を落として救出が行われたと聞いてますんや。
でも上麻生ダムは大正15年完成の水力発電用のダムなので最大
24万トンしか貯水出来ないので、そのたびに放水したり止めたり
それも2~3時間しか止められない状況だったとのこと。
事故翌日には伊勢湾の知多半島に遺体が流れつき救出作戦は
飛騨川から木曽川を経て伊勢湾まで広げることになったんだって。
DNA検査もまだ無い時代でご遺体の確認にも混乱があったとか。
それほど、ご遺体の損傷が激しかったとの記録が残ってますんや。
最終的に104名の内で9名のご遺体は収容できなかったそうです。
生存した中学生も孤独感から数年後に自殺されたとの悲劇も。
一家が全滅したケースが4家族も有ったとの事でっせ。
現在は雨量が一定の数値に達したら国道や県道は通行止めになります
このルールも104名もの事故被害者を出したこの事故を契機に
厳しく定められたと聞き及んでますんや。
当時はゲリラ豪雨の予報も困難で土砂崩れの責任も問う事が出来ず
関係者は事故責任では不起訴となる判決に成っているようですね。
一時は事故は無過失で自賠責保険も出せないとの状況でした。
せめてもと国が4億円と自賠責保険約9千万円を特例として認め
当時の佐藤首相と中曽根運輸大臣の元で閣議決定がされたそうです。
当時の方々は鉄ちゃん爺やより少し年長者の方が多かったのかな。
今回もJR高山本線の車内から黙祷をして現場を通過しましたよ。
若い方はこんな大きな事故があったことはご存知ないかもしれませんね。
(JR高山本線 車窓から)
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「飛水峡」を通過して白川口駅を出ると風景は落ち着いた山村ですな。
白い建物は中部電力の名倉水力発電所で飛騨川バス転落事故の後で
「水位ゼロ作戦」を実施した際に、この水力発電所と名倉ダムも
協力して上麻生ダムへの放流を遅らせるのに活躍したそうでっせ。
手前の道は国道41号線でこんな場所なら、あんな大事故も起きない
不幸な事故と思えるだけに交通規制は今後も重要でおますな。
実はあの事故の約2ヶ月前に鉄ちゃん爺やは会社の慰安旅行で現場を
観光バスで通過して下呂温泉へ行った記憶がおますんや。
「飛水峡」の美濃レストランで休憩して渓谷を眺めたんですが
あの大事故から会社の慰安旅行も長距離バス旅行はダメと成りました。
(JR高山本線 車窓から)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
飛騨川は昔から水量が豊富で発電用のダムと水力発電所が
JR高山本線の車窓からも眺められるんですわ。
ダムと貯水湖が見えてると思ったらトンネルを潜ると、こんどは
渓谷や大きな川原に変わるとか、風景の変化も楽しいもんでっせ。
ここは岐阜県の加茂郡だから昔で云えばまだ美濃の国でおます。
(JR高山本線 車窓から)
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飛騨川の向こう側に国道41号線と砂防用のトンネルが見えてまぁ。
国道41号線はほとんどがJR高山本線の川と反対側を通ってますんや。
ここから飛騨金山駅ぐらいまではこんな風景が続いてまっけど
その先では中山七里と呼ばれる飛騨川の景勝地に又も変わりまっせ。
(JR高山本線 キハ48系 車内風景)
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美濃太田駅を発車した時はそこそこの乗客が座っていたけど
白川口駅を出たら、ガラガラで地元の方が数名ぐらいかな。
眺めた感じでは旅行客は鉄ちゃん爺やのみかもしれまへんで。
普通は特急ワイドビュー飛騨で下呂温泉か高山市へ行きはりまぁ。
のんびりした普通電車の旅はそろそろ飛騨路に入ってきそうですわ。
(JR高山本線 車窓から)
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(JR飛騨金山駅 構内)
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(JR飛騨金山駅にて 自分撮り)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここ飛騨金山駅は昔で云う美濃の国と飛騨の国を分ける境界の駅でっせ。
なにせ飛騨川を挟んで江戸時代には飛騨の国は高山の代官が
統治する幕府の天領で飛騨の材木を独占するのが目的でおます。
一方で飛騨川の対岸は尾張徳川藩に郡上藩やら幕府旗本領がおました。
こちらは美濃の国で当時は大船渡の渡しが昭和まで残って居たとか
現在のJR飛騨金山駅の在る地域を大船渡地区と今でも呼ぶそうな。
本来の金山町は美濃の国で江戸時代には金山宿があったそうで
平成の合併でこの辺りが岐阜県下呂市に統一された関係で
飛騨金山町と現在は呼ばれるようになったんだって。
長く成りましたんで飛騨金山町は次回にさせてもらいまひょ。
ほんなら、今日はこれで、さいなら~♪