皆さんが太秦映画村はご存知でしたが廣隆寺は
知らないと言う方が多かったんで画像を1枚だけ。
(太秦・廣隆寺の門前から撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
画像の右手の道を奥の方へ行き初めての信号を
左折すると東映・太秦映画村になりまんねんで。
廣隆寺の霊宝殿の外側が映画村の南の端かな?
お寺の五筋塀が続いているので直接は行けないけど。
それじゃ御室(おむろ)の方へ向かいまっせ。
(嵐電 帷子ノ辻 駅名標)
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駅名を読めまっか? 檀林皇后の棺を運んでいる際に
風に煽られて帷子が飛んでしまったんだって。
この帷子の辻にご遺体を置いて風葬にしたとの説も。
埋葬はしないようにと遺言をされたそうです。
流石は古都の京都でんな1165年も昔の平安時代の
出来事が地名になって残っているのには驚き!
嵐電は一駅だけ乗ったら、ここで北野線に乗り換えでっせ。
(嵐電 御室仁和寺駅舎)
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駅舎には昔のままの駅名が残っているようでんな。
御室(おむろ)と言えば仁和寺(にんなじ)でっかな。
これから紹介する仁和寺(にんなじ)は明治維新までは
天皇の皇子か皇孫が法親王となり門主を務める故に
門跡寺院でも最高の格式を誇ったお寺なんだって。
まずは門前で腹ごしらえをすることにしまひょ。
(湯葉入り 茶蕎麦)
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そんなに美味しいとは言いまへんが京都では名物でっかな。
この日は、まだ暑つかんたので冷やし茶蕎麦にしましたで。
店を出たらそこは仁和寺(にんなじ)の二王門でおます。
(御室・仁和寺の 二王門)
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なんでも~ 京都の知恩院と南禅寺の山門を合わせて
京都の三大山門と書かれた本がおましたけど。
前回紹介した廣隆寺の楼門と比べたら倍ぐらいはおまっせ。
(二王門から 中門を望む)
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まだ先に中門が控えているようで伽藍は見えまへんわ。
仁和寺(にんなじ)は第58代・光孝天皇が
西山御願寺として着工されましたが崩御されてしまわれました。
第59代・宇多天皇が先帝の遺志を継ぎ仁和4年(西暦888年)
完成されましたので元号を取って仁和寺と名付けられたとか。
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宇多天皇は退位し法皇として初代の仁和寺の門主になられました。
天皇に即位した方が寺院の門主になるのは宇多法皇が初めて。
初代・宇多法皇さまから30代を数える歴代の門主さまは
五摂家の藤原道家公、及び足利義満公のご子息の例外を除き
全てが天皇陛下の皇子か皇孫が就任されていますね。
明治以降は民間の方が門主さまになられていますけど。
(仁和寺 中門)
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(仁和寺 由来を記した説明板)
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(仁和寺 全景の絵図)
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絵図の左側下半分は御室御所(おむろごしょ)と呼びます。
仁和寺御所とも呼ぶことがありますけど。
中央に中門があってその先が仁和寺の伽藍となりまんねん。
応仁の乱で堂塔が全て焼かれてしまい現在の建物は
江戸時代の寛永年間に再建されたものが殆どですわ。
第21世・覚深法親王という方が徳川3代将軍の家光公に
直訴して今に残る堂塔が完成したと書かれてますな。
(国宝 仁和寺 金堂)
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元は京都御所に在った紫宸殿を移設して檜皮葺から
仏堂なので瓦葺きに改修した立派な建物でっせ。
現存する日本最古の紫宸殿だと考えられるそうで
平安時代の宮殿建築の姿を今に残しているとか。
おそらくは慶長年間に造られた建物だとのこと。
本尊が阿弥陀三尊とは意外な感じを受けましたんや。
真言宗の御室派の大本山なので大日如来さんが本尊だと
想像しましたが宇多法皇の信仰が篤い阿弥陀如来さんですわ。
(仁和寺の ご朱印)
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境内をしばらく散策してデジカメの撮影をしましたんや。
美しい五重塔が見えるので近づいてみまひょ。
(仁和寺 五重塔)
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なるほど~ 京都・東寺さんの五重塔もこんな感じ。
真言宗だから、こちらに大日如来さんが祀られてるんだ。
(仁和寺の 境内で自撮り)
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(重要文化財 経蔵)
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京都の方は御室と言えば「御室桜」を想いうかべるとか。
遅咲きの桜で江戸時代から有名な桜の名所でっしゃろな。
当時は吉野の山桜より勝るとも書かれた書がおまっせ。
(仁和寺 御室桜)
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御室は土壌の浅いところに岩盤が有り、桜も根を深く張れずに
横に広がって伸びるんで背が低い、花も根元に近い枝から
湧き上がるように咲くそうでっせ。
「私やお多福 御室の桜 花(鼻)が低ても 人が好く」
お多福は(鼻)が低いけど 花の低い御室の桜も
どちらも好かれる人気者と、京都に伝わる俗曲でっせ。
「御室の桜」を始めて植えたのも宇多法皇だとの説。
それまでは御所にも梅が植えられていたそうでっけど
宇多法皇が右近の桜として初めて桜を植えさせたとのこと。
宇多法皇は桜の花を、すごく好まれたそうでっせ。
(史蹟 仁和寺御所跡の 石碑)
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(世界遺産 仁和寺 説明書)
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仁和寺境内の西南側に御室御所(おむろごしょ)とも
呼ばれる宇多法皇が住まれた場所がおますんや。
御室(おむろ)とは貴人が居られる僧坊のことで
この名前が後に地名となったようでっせ。
代々の門主さまがここに住まれることに成った訳でんな。
(仁和寺御所への 勅使門)
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(勅使門の 透かし彫り)
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(仁和寺御所 拝観 受付所)
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「御室桜」の咲いていない時期には仁和寺の伽藍への拝観は
無料で、ここ仁和寺御所の拝観は大人500円となりますんや。
時間がまだ早いので拝観して行きまひょかな。
(仁和寺御所の 中庭)
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(仁和寺御所 大玄関&皇族門)
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御室御所(仁和寺御所)の内部は次回のブログに
回しますので悪しからず。
ほんなら~ 今日はこれで、さいなら~♪
知らないと言う方が多かったんで画像を1枚だけ。
(太秦・廣隆寺の門前から撮影)
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画像の右手の道を奥の方へ行き初めての信号を
左折すると東映・太秦映画村になりまんねんで。
廣隆寺の霊宝殿の外側が映画村の南の端かな?
お寺の五筋塀が続いているので直接は行けないけど。
それじゃ御室(おむろ)の方へ向かいまっせ。
(嵐電 帷子ノ辻 駅名標)
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駅名を読めまっか? 檀林皇后の棺を運んでいる際に
風に煽られて帷子が飛んでしまったんだって。
この帷子の辻にご遺体を置いて風葬にしたとの説も。
埋葬はしないようにと遺言をされたそうです。
流石は古都の京都でんな1165年も昔の平安時代の
出来事が地名になって残っているのには驚き!
嵐電は一駅だけ乗ったら、ここで北野線に乗り換えでっせ。
(嵐電 御室仁和寺駅舎)
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駅舎には昔のままの駅名が残っているようでんな。
御室(おむろ)と言えば仁和寺(にんなじ)でっかな。
これから紹介する仁和寺(にんなじ)は明治維新までは
天皇の皇子か皇孫が法親王となり門主を務める故に
門跡寺院でも最高の格式を誇ったお寺なんだって。
まずは門前で腹ごしらえをすることにしまひょ。
(湯葉入り 茶蕎麦)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
そんなに美味しいとは言いまへんが京都では名物でっかな。
この日は、まだ暑つかんたので冷やし茶蕎麦にしましたで。
店を出たらそこは仁和寺(にんなじ)の二王門でおます。
(御室・仁和寺の 二王門)
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なんでも~ 京都の知恩院と南禅寺の山門を合わせて
京都の三大山門と書かれた本がおましたけど。
前回紹介した廣隆寺の楼門と比べたら倍ぐらいはおまっせ。
(二王門から 中門を望む)
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まだ先に中門が控えているようで伽藍は見えまへんわ。
仁和寺(にんなじ)は第58代・光孝天皇が
西山御願寺として着工されましたが崩御されてしまわれました。
第59代・宇多天皇が先帝の遺志を継ぎ仁和4年(西暦888年)
完成されましたので元号を取って仁和寺と名付けられたとか。
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宇多天皇は退位し法皇として初代の仁和寺の門主になられました。
天皇に即位した方が寺院の門主になるのは宇多法皇が初めて。
初代・宇多法皇さまから30代を数える歴代の門主さまは
五摂家の藤原道家公、及び足利義満公のご子息の例外を除き
全てが天皇陛下の皇子か皇孫が就任されていますね。
明治以降は民間の方が門主さまになられていますけど。
(仁和寺 中門)
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(仁和寺 由来を記した説明板)
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(仁和寺 全景の絵図)
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絵図の左側下半分は御室御所(おむろごしょ)と呼びます。
仁和寺御所とも呼ぶことがありますけど。
中央に中門があってその先が仁和寺の伽藍となりまんねん。
応仁の乱で堂塔が全て焼かれてしまい現在の建物は
江戸時代の寛永年間に再建されたものが殆どですわ。
第21世・覚深法親王という方が徳川3代将軍の家光公に
直訴して今に残る堂塔が完成したと書かれてますな。
(国宝 仁和寺 金堂)
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元は京都御所に在った紫宸殿を移設して檜皮葺から
仏堂なので瓦葺きに改修した立派な建物でっせ。
現存する日本最古の紫宸殿だと考えられるそうで
平安時代の宮殿建築の姿を今に残しているとか。
おそらくは慶長年間に造られた建物だとのこと。
本尊が阿弥陀三尊とは意外な感じを受けましたんや。
真言宗の御室派の大本山なので大日如来さんが本尊だと
想像しましたが宇多法皇の信仰が篤い阿弥陀如来さんですわ。
(仁和寺の ご朱印)
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境内をしばらく散策してデジカメの撮影をしましたんや。
美しい五重塔が見えるので近づいてみまひょ。
(仁和寺 五重塔)
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なるほど~ 京都・東寺さんの五重塔もこんな感じ。
真言宗だから、こちらに大日如来さんが祀られてるんだ。
(仁和寺の 境内で自撮り)
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(重要文化財 経蔵)
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京都の方は御室と言えば「御室桜」を想いうかべるとか。
遅咲きの桜で江戸時代から有名な桜の名所でっしゃろな。
当時は吉野の山桜より勝るとも書かれた書がおまっせ。
(仁和寺 御室桜)
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御室は土壌の浅いところに岩盤が有り、桜も根を深く張れずに
横に広がって伸びるんで背が低い、花も根元に近い枝から
湧き上がるように咲くそうでっせ。
「私やお多福 御室の桜 花(鼻)が低ても 人が好く」
お多福は(鼻)が低いけど 花の低い御室の桜も
どちらも好かれる人気者と、京都に伝わる俗曲でっせ。
「御室の桜」を始めて植えたのも宇多法皇だとの説。
それまでは御所にも梅が植えられていたそうでっけど
宇多法皇が右近の桜として初めて桜を植えさせたとのこと。
宇多法皇は桜の花を、すごく好まれたそうでっせ。
(史蹟 仁和寺御所跡の 石碑)
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(世界遺産 仁和寺 説明書)
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仁和寺境内の西南側に御室御所(おむろごしょ)とも
呼ばれる宇多法皇が住まれた場所がおますんや。
御室(おむろ)とは貴人が居られる僧坊のことで
この名前が後に地名となったようでっせ。
代々の門主さまがここに住まれることに成った訳でんな。
(仁和寺御所への 勅使門)
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(勅使門の 透かし彫り)
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(仁和寺御所 拝観 受付所)
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「御室桜」の咲いていない時期には仁和寺の伽藍への拝観は
無料で、ここ仁和寺御所の拝観は大人500円となりますんや。
時間がまだ早いので拝観して行きまひょかな。
(仁和寺御所の 中庭)
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(仁和寺御所 大玄関&皇族門)
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御室御所(仁和寺御所)の内部は次回のブログに
回しますので悪しからず。
ほんなら~ 今日はこれで、さいなら~♪