鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や  狭山池を訪ねて

2016-04-23 15:15:25 | デジカメ散歩
日本最古のダム式ため池である「狭山池」を紹介しまひょ。

大阪狭山市は人口約5万8千人で大阪府に在る33の市制で
下から3番目の面積と人口を保つ小さい地方都市でっせ。

(南海高野線の 駅名標)



昔は狭山遊園前という駅名でしたけど、遊園地が閉館
市役所も近いので「大阪狭山市」に名前を変更したとか。

堺市との合併に反対する動きの一つだつたかも?

(南海高野線 大阪狭山市駅舎)



鉄ちゃん爺やが関東に単身赴任してた2000年ごろに
政令指定都市を目指す堺市と合併の話がおましたんや。

だけど、大阪狭山市議会の反対で、単独の市制を維持。

堺市はこんどは、お隣の美原町を合併して政令指定都市に。

(大阪狭山市の地図)



大阪府は全国でも2番目に面積の小さい都府県でっけど
33市制9町1村に別れてますんや。

鉄ちゃん爺やが単身赴任していた埼玉県が40市制で
次が北海道の35市制、大阪府はなんと三番目でっせ。

昔からの地名を残したい住民感情かもしれまへんな。

(大阪狭山市の マンホールの蓋)





大阪狭山市は1987年(昭和62年)10月1日付で市制に
移行に際し、住民の公募では「河内狭山市」「さやま市」
「大阪狭山市」この順番だったそうですわ。

狭山市でスタートしたが、埼玉県に同じ狭山市が存在するので
即日、大阪狭山市と名称を変更したと言われてますんや。

TOPの河内狭山市を避けたのは「ガラの悪い河内」を嫌い
町役場の独断で「大阪狭山市」と名乗ったとの噂でんな。

大阪やで~ と名乗っても、南河内に違いはおまへんけど。

それでは桜並木を散策しながら「狭山池」へ向かいまひょ。

(大阪狭山市の 八重桜)









大阪狭山市の木は「桜」で特に「コシノヒガン」と呼ばれる
早咲きの桜が狭山池を中心に植えられてるそうですわ。

コシノヒガンは葉桜になってましたが、八重桜はまだ満開
小さな町やけど、街の街路樹にも桜が植わってまんな。

(狭山池の説明板)



狭山池は「日本書紀」や「古事記」にも記されている古い
ため池で、おそらく四世紀~六世紀ごろに造られたとの説。

奈良時代の行基・鎌倉時代の重源・慶長時代の片桐且元
歴史上で有名な方が、この狭山池を改修したんだって。

狭山池の四方をデジカメで写してみましたで。

(狭山池の南側を撮影)



遠くに見えるのは和泉山脈でここから流れ出す天野川や
西除川(にしよけがわ)の水を堤防で囲って出来たのが
狭山池で当時は現在の半分以下の大きさだつたとのこと。

(狭山池の東側を撮影)





マンションが見えている辺りに平成12年4月まで
狭山遊園地がおました、鉄ちゃん爺やも遠足だったかな
この遊園地と狭山池を眺めて以来の訪問になりますんや。

約65年ぐらい昔のことで記憶がほとんどおまへんけど。

狭山池は1周すると2850mで平成の大改修が終わり
散策したりジョギングする方には安全なコースだっせ。

満水になると280万立方メートルの貯水池ですわ。

(狭山池の西側を撮影)



池の中に石造りで狭山池神社が見えてまっせ。

小高い丘の向こうは泉北ニュータウンで堺市と和泉市。

あの丘は陶器山と呼ばれ、大昔の素焼きの埴輪などを
作成した集団が焼き物に適した粘土を見つけた処とか。

日本の陶磁器のルーツはこの辺りになりますかな?

(同じく狭山池から 西側の陶器山方向を撮影)





狭山池から流れ出す川は二つで西除川(にしひょけがわ)
と東除川(ひがしよけがわ)で現在は大和川に流入し
堺市と大阪市の境界から大阪湾へ注いでますんや。

江戸時代の宝永年間に大和川が付け替えられるまでは
西除川(にしよけがわ)も東除川(ひがしよけがわ)も
大坂城の東側で大和川や淀川に合流してたそうでんな。

現在も新大和川より北側には、駒川や今川と呼ばれる
細い河川が残っているようにも見えますんや。

(狭山池から東除川への水門)





この東除川(ひがしよけがわ)は北へ流れて行く途中で
鉄ちゃん爺やの住む羽曳野市の西側を通りますんや。

画像では洪水調整の様子が写ってまっけど、満水になると
溢れて大量に流れ出し、普段は少しだけしか流失しない
そんな巧みな構造で造られてまっしゃろ。

(狭山池に登場した ラバー・ダック)





オランダの芸術家「ホフマン氏」が2007年(平成19年)
制作した巨大なアヒルのアート作品なんだって。

2009年(平成21年)から大阪の千島土地という企業が
大阪の中之島に毎年ながら展示している、人気物なんでっせ。

これまで世界中を広く回り、海や川に展示されたのは多いが
池に展示されるのは、今回が初めてなんだそうですわ。

(ラバー・ダックと自分撮り)



日本では大阪市の中之島に毎年ながら登場しまっけど、他は
広島県の尾道市に一度だけで、今回が三箇所めでっせ。

世界ではロンドン・ニューヨーク・パリ・シドニー・香港
シンガポール・上海・北京・台湾他 多数の国に登場。

狭山池の北堤から大阪市内の方向をデジカメで写してみまひょ。

(狭山池の北堤から 大阪市内の方向を撮影)



大阪府の南部は標高20m~50mの丘陵地帯で狭山池で
標高が40mぐらいで、北へ緩やかに下がっていきますんや。

中央に薄っすらと「あべのハルカス」が見えてまんな。

肉眼では大阪市内のビル群もはっきりと見えてまっせ。

(羽曳野丘陵方面を撮影)



中央の遠くに白く見えているのが前々回に紹介しました
「呼吸器・アレルギー医療センター」の病棟ですが
此処から眺めると、ほぼ同じ高さのような感じ。

鉄ちゃん爺やのデジカメのズーム機能が故障して
ズームインができまへんので、ご容赦のほど。

GWには新しいコンパクトデジカメを買いまっさ。

(東樋=ひがしひ 出土跡の説明碑)



狭山池では平成の大改修が1986年(昭和61年)から
2001年(平成13年)まで実施されましたんや。

その際に、狭山池の北堤から「東樋=ひがしひ」と呼ばれる
大昔の農業用水を川に供給する設備が発見されたんだって。

その高野槇らしき古い材木が西暦616年に伐採されたと
判定され、狭山池の完成した確実な証拠とされたとか。

だから今年が1400年周年に当たるちゅう訳でんな。

(狭山池築造 1400年の幟)





この東樋(ひがしひ)や北堤を剥ぎ取った実物などを
大阪府が建築家の安藤忠雄さんに依頼して、凄く立派な
「狭山池博物館」を2002年(平成14年)に完成。

大阪府の税金無駄使いの中でも最たるものだとの噂。

未確認でっけど建築費は200億円ぐらいで、尚且つ
毎年の維持費だけでも2億円ぐらいとの説がおます。

次回はこの「大阪府立・狭山池博物館」を紹介しまっさ。

ほんなら、今日はこれでさいなら~♪