鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

司馬遼太郎記念館を訪ねて~🎵

2016-11-12 16:36:34 | デジカメ散歩
司遼太郎が亡くなったのは1996年2月12日

早いもので、20年が過ぎてしまいましたね。

私が好きな歴史小説家の一人が司馬遼太郎なんですよ。

私が関東へ単身赴任の内示を受ける直前のことでした。

阪神淡路大震災の復興が軌道に乗った頃でしたかな。

(東大阪市 小阪本通り アーケード)


2001年(平成13年)に個人や団体から8400件の募金を
元に、自宅に隣接して造られたのが司馬遼太郎記念館なんですよ。

ここを訪れるのには近鉄の小阪駅かもしくは八戸ノ里駅でんな。

東大阪市内に在るのは知ってましたが、鉄ちゃん爺やが訪れるのは
今回が初めてのことでしたんや。

司馬遼太郎は大好きだが、設計者の安藤忠雄が嫌いなのが要因かな?

(道路に 司馬遼太郎記念館への カラーパネル)


実際に歩いて見ましたが、方向感覚には自信のある私でも
パネルが無かったら、たどり着けないような感じでしたわ。

三叉路があったり、右や左へ曲がったり複雑なコース。

(司馬遼太郎記念館への 表示板)




下小阪地区はアメリカ軍の空襲から免れました関係で、現在でも
昭和初期の住宅が、あちこちに残ってますんや。

近鉄・小阪駅前は大阪大空襲で焼失したんですけどね。

(下小阪地区の 古い家屋)




(1階だけ喫茶店に改修した 古い家屋)


(下小阪 3丁目 住居表示)


近くまでやってきたようで、目的地は3丁目の11番地です。

距離は近鉄・八戸ノ里駅からの方が近いように書いてますな。

(司馬遼太郎記念館 入口)




(司馬遼太郎さん 自宅の書斎)






未完の著書である「街道をゆく 濃尾参州記」の原稿が置かれた
机が見えてるけど、ガラス窓が邪魔して写りが悪くてご免なさい。

司馬遼太郎は雑木林を、こよなく愛したと言われています。

だから色んな木々が庭に植えられてますな、執筆の合間に彼は
書斎の長椅子にもたれて、庭を眺めていたんでしょうな。

(司馬遼太郎記念館の 側面)




安藤忠雄の設計する建物は、大半が「コンクリート打ち放なし」の
無味乾燥な巨大な建物で、しかもバカほど費用がかかる構造物でんな。

私にはこれが芸術的なセンスの建物だとは信じられまへんけど。

箱モノを大きくして、建設費を高く釣り上げる最悪の設計者かも。

司馬遼太郎記念館は幸いにも、南側に全面ガラスで明るくして
「コンクリート打ち放なし」を隠しているのが救いですかな。

入場料は大人500円で館内は全てが写真撮影禁止なんだって。

車でやってくる方は、駐車料金が要らないので満足でも
鉄ちゃん爺やのように電車でくる人には高いように思うかも。

(司馬遼太郎記念館 案内パンフレット)


(司馬遼太郎記念館 内部の写真) 


「コンクリート打ち放なし」の約11mもの壁面に書庫を作り
司馬遼太郎の著書や研究書や参考資料など、約2万冊ぐらいが
並べられています、この画像はパンフレットより転写しました。

隣の屋敷にある書斎や書庫を合わせると約6万冊の蔵書だとか。

別にフラッシュさせ使わななければ、写真撮影をさせても
書物が傷むとは思えないので、残念なことでしたわ。

鉄ちゃん爺やの蔵書から少しだけ、貼り付けてみまひょ。

(司馬遼太郎著  鉄ちゃん爺やの 愛読書)






司馬遼太郎という作家は戦国時代から豊臣家の滅亡まで。

それと、幕末のペリー来航から乃木大将の殉死まで。

不思議と江戸時代の歴史には沈黙を守っているように見え
大阪人として徳川時代はあまり好きではなかったのかしら?

来訪した記念に鉄ちゃん爺やも文庫本を一冊だけ購入。

この本は記者と対話形式で司馬遼太郎が歴史の話した
彼の生涯では後半に当たる作品なんですよ。

(来訪記念に購入した 手掘り日本史)


(司馬遼太郎の冊子 & ブックカバー)




最後に外から司馬遼太郎記念館を写してみましたで。

こちらから見たら、安藤忠雄の設計には見えないかもね。

(司馬遼太郎記念館を 南側から撮影)




私の好きな歴史小家は司馬遼太郎と海音寺潮五郎の二人。

どちらかといえば海音寺潮五郎のは表現が難しいですかな。

司馬遼太郎は歴史を素人でも読めるように柔らかくした感じ。

でも歴史に忠実なのは海音寺潮五郎の方かもしれませんよ。

司馬遼太郎の作品は彼の主観が多分に含まれている感じ。

(東大阪市の マンホールの蓋)


本日はこれにて終了にしまひょ。

次回は同じ東大阪市の枚岡神社を紹介しまっさ。

ほんなら、これで、さいなら~🎵