鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

東下り(あずまくだり)2日目 寒川神社を訪ねる~🎵

2017-09-23 15:51:56 | 神社
東下り(あずまくだり)も2日目の午後
相模の国に入りましたんや。

神奈川県高座郡寒川町(さむかわまち)

人口が約4万8千人で面積が約13平方キロ
神奈川県内でも小さな町になりまんねん。

因みに鉄ちゃん爺やが住んでいる街は
人口が約11万人で面積が約26平方キロ。

それなのに町会議員さんの定員が18名
我が町の市会議員さんの定員が18名なんで
ここは財政に裕福な町なんでしようかな?

(神奈川県寒川町 マンホールの蓋)


寒川町の花である「水仙」が描かれてまぁ。

湘南市の名称でお隣の平塚市や茅ヶ崎市
藤沢市などと協議したこともあったとか。

なんでも旗振り役だった平塚市長さんが
落選してしまい、破談に成ったようでんな。

でも湘南市という名称はJR東海道本線より
海側なら納得しまっけど、内陸の寒川町では?

そんな声もあったようですが、合併もせず
寒川町(さむかわまち)で頑張ってるのは
立派と言うべきか、それともプライドが高く
孤立しているのか、定かではおまへんけど。

(JR相模線 寒川駅舎)


茅ヶ崎駅と橋本駅を結ぶローカル線でおます。

寒川駅前は、よくある地方都市という風景で
スーパーやパチンコ店なども見当たりまへん。

これから訪ねる寒川神社の門前町らしき
雰囲気も感じられないのが正直な気持ち。

(寒川神社 三の鳥居)


一の鳥居はJR相模線の踏切の辺りだとか。

でも参道とは名ばかりで普通の道路ですわ。

タクシーで通過したので画像は省略でっけど。

この三の鳥居を潜った処からが参道らしく
神社にやってきたという気分になりましたで。

(相模の国一之宮 寒川神社の石碑)


(寒川神社の 神苑)


この神社は平安時代の相模の国における式内社
十三社の中で、唯一の大社を名乗る古い神社で
当然ながら相模の国一之宮と伝えられてまぁ。

相模の国にはもう一つ、一之宮が在ってそれは
鎌倉市の鶴岡八幡宮なんですが、中世になって
関東の武士団が勝手に名乗ったと考えますんや。

だから寒川神社が平安時代から続く相模の国の
一之宮としては本家なんだと記して置きまひょ。

(寒川神社の 参道)




(寒川神社の 由緒書き)


寒川町(さむかわまち)がこの一之宮の名前を
町名にして合併もせず、相模の国では由緒ある
周りの市とは違うんだのプライドかもしれまへん。

大企業はおまへんけど企業や工場は新幹線の走る
寒川町の北部には、多く存在してまんねん。

(寒川神社の 神門)


(寒川神社の 神門を背景に自撮り)


(寒川神社の 拝殿)




ご祭神は、寒川比古命(さむかわひこのみこと)と
もうお一方寒川比女命(さむかわひめのみこと)

合わせて「寒川大明神」と申しあげるんだとか。

(寒川神社の ご朱印)


ここは「八方除」と言われるお詣りが有名で
関東では広く知られた風習なんだそうですわ。

日本人には「八」は好まれる数字なんだって。

「八方美人」や「四方八方」に「八方塞がり」など
良い事にも、悪い事にも多く使われてますかな。

悪い方角を避けるのじゃなく、良い方に変えたり
何事も起こらないよう願う信仰なんでしょうな。

(寒川神社 拝殿の内部)


「八方除」は関西では「方違い神社」と呼ぶ
同じような風習が、堺市内にもおまっせ。

悪い方角へ向ったり、悪い方向へ建物を新築する
そんな際には、同じように「方違い神社」へ
お詣りすると、災いが福に転じるとされてまぁ。

こうすれば災いが防げると、昔の人が考えた
生活の知恵でっしゃろな。

(寒川神社の 拝殿を背景に自撮り)


(寒川神社の ご神木)


(寒川神社の ご神紋)




「左三つ巴」と言う、ご神紋のようでんな。

八幡宮さんでよく使われる、ご神紋と同じ。

(寒川神社の 提灯)


「16弁八重菊紋」ですが、各地の一之宮で
良く見かける、意識的に掲げているのかしら?

戦前までは天皇家や皇室の紋とされていたはず。

現在は神社やお寺でも良く見かける紋ですよね。

それではJR寒川駅に戻ることにしまひょ。

(JR東海道本線 快速電車)(茅ヶ崎駅にて撮影)


この日は相模の国から、武蔵の国を素通りして
下総の国(現在の千葉県)へ向かいましたんや。

JR千葉駅へは、どこかでJR横須賀・総武線に
乗り換える必要があるんですわ。

鉄道フアンの常識としてJR戸塚駅が最適でんな。

ここは1番線と2番線で交互に東海道本線と
横須賀・総武線が到着する仕組みになってまぁ。

待ち時間も殆ど無く、隣同士なので楽に乗れまぁ。

東京駅や新橋駅で乗り換えるには地下ホームだし
品川駅では階段でホームを上下する事にもなりまぁ。

(JR横須賀・総武線 快速 E217系)






鉄ちゃん爺やが関東へ単身赴任してた平成の13年から
14年の頃から、同じ車両で懐かしい気分でしたがな。

首都圏では、どんどん新車が投入されるので15年前の
同じ電車が走ってるのは、珍しい風景かもしれまへん。

夕方の早めにJR千葉駅に到着しましたんや。

(JR千葉駅 新しい橋上駅の構内)




鉄ちゃん爺やは、千葉を最後に平成14年の暮れに
62歳で大阪へ戻ることに成りましたんや。

当時のJR千葉駅のホームは高架に成ってましたが
駅舎は階段を下りて、ごく普通のダサイ駅でした。

それが駅ナカも出来て、素晴らしい駅に変わっているので
これには鉄ちゃん爺やも、びっくりでしたわ。

(千葉市の マンホールの蓋)


これで東下り(あずまくだり)2日目は終了でおます。

JR千葉駅前で2泊し、3日目は鹿島神宮と
香取神宮を、紹介することにしまひょ。

ほんなら~ 今日はこれで、さいなら~🎵