9日目は久しぶりでっけどJR上野駅に下車しまひょ。
JR上野駅は当時とは様変わりをしてまっけど。
お化粧直しをした上野駅舎だけはそのままでんな。
(JR上野駅舎) (昭和7年完成)
あゝ 上野駅 ♪ 井沢八郎 唄
どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ
上野は 俺らの心の駅だ くじけちゃならない人生が
あの日 ここから始まった ♫
昭和39年(1964年)のヒット曲
飲み友達のK君が マイクを持つと必ず歌った名曲。
彼は~ 越後の新潟から夜行列車で上京したんだって。
(常磐線 特急ひたち E657系)(上野駅16番ホーム)
平成10年代前半のJR上野駅のお話でっけど。
鉄ちゃん爺やが単身赴任中は、色んな特急列車や
ブルートレインがまだ発着してましたんや。
寝台特急の「カシオペア」が千葉から戻る際に
上野駅を発車して行く姿などは絵になりましたで。
その「カシオペア」も昨年で引退したそうですわ。
そんな訳で、現在は常磐線の「ひたち」と「ときわ」
高崎線・上越線の「草津」と「あかぎ」のみでっかな?
上野駅から出発する長距離列車は全て無くなった感じ。
(常磐線 快速電車 E531系)
東北・上越新幹線が走るまでは、ここ上野駅が東北地方や
北陸・新潟方面からの終着駅であり出発駅でしたんや。
井沢八郎さんの「あゝ 上野駅」が鉄ちゃん爺やと同じ
年代の方には、大きな支えと励ましになったそうですわ。
鉄ちゃん爺やは関西なので上野駅を天王寺駅に替え歌にし
歌いまっけど、やはり雰囲気は上野駅でないと合いまへん。
上野駅は地上を「低いホーム」と呼び高架のホームを
「高いホーム」と上野駅に到着する、高崎線や宇都宮線の
普通電車や快速電車では、到着前の車内放送がおました。
当時はここが山手線や京浜東北線を除く全ての電車が
JR上野駅が終点になってましたんや。
(JR高崎線の 快速電車)
鉄ちゃん爺やも当時は赤羽駅から上野駅まで乗車したら
一列車前を走る京浜東北線に乗り換えが出来ましたんや。
「高いホーム」に到着するのがミソでしたけど(笑い)
「低いホーム」に到着したら最悪の状態になりまぁ。
(JR京浜東北線の 普通電車)
京浜東北の普通電車に飛び乗って秋葉原駅で乗り換え
次いで錦糸町駅で千葉行きの快速電車に乗り継ぎでした。
30秒も遅れたら千葉駅到着が30分の遅れになりまぁ。
別に遅刻しても文句を言われることおまへんでしたけど。
昨年から高崎線や宇都宮線の電車は半分ぐらいでっかな?
東京・上野ラインと呼ばれるようになり上野駅を通過して
東京駅から先の小田原駅や熱海駅まで直行してまんねん。
便利ではおますけど、上野駅が通過駅になってますんや。
(JR上野駅 駅ナカの風景)
(JR上野駅 駅ナカで自撮り)
この駅ナカが出来た直後に戸田市から千葉市に住居を移転し
その1年後には、鉄ちゃん爺やは大阪へ戻りましたかな。
だから駅ナカをゆっくり散策するのは今回が初めて。
それでは上野公園でも歩くことにしまひょかな。
(JR上野駅前 パンダの置物)
(JR上野駅 パンダ橋口)
(JR上野駅 パンダ橋から浅草方向を撮影)
この辺りから東京スカイツリーも遠くに見えまっせ。
少し遠いので手前のビルが邪魔をしてまんな。
(JR上野駅から 東京スカイツリーを望む)
(パンダ橋 石碑)
こんなパンダ橋なんて陸橋が15年前に有ったかしら?
ここ記憶がないのか、それとも歩かなかったのかは不明。
(パンダ橋から アメ横方向を望む)
この坂道は昔から在ったので記憶にも残ってまっけど。
上野公園を歩くのは15年ぶりになりまっしゃろな。
(JR上野駅 公園口駅舎)
(東京文化会館)
(国立 西洋美術館)
有名な絵画のようだけど、鉄ちゃん爺やには無理かな。
「猫に小判」だ、と言われそうだからパスしまっさ。
(深海 開催ポスター 国立・科学博物館)
こちらは興味があるんだけど、入場料が1600円だって!
それに行列ができてるので諦めて先へ進みまひょ。
(上野動物園 入場門を望む)
パンダの赤ちゃんが生まれたんだね、お目見えは確か
12月中旬だったかな、子供連れの入場者が多いようだね。
そうそう~ この日は夏休み最後の日曜日だったんだ。
(国立 東京博物館を望む)
ここは、展示品の交代で本日は休館日のようだね。
おや、こんな大道芸の方がおられまっせ。
(大道芸を披露する 男性)
水と刷毛のみで路面にアートを描いてるようですわ。
芸術の才能が有るんだろうね、わかりやすくて見事!
(上野恩賜公園 案内図)
(上野公園 オリエンタル系の催し会場)
久しぶりに上野の東照宮に向かうことにしまひょ。
ここは20年ぐらい前に一度だけ訪れて以来かも。
(上野 東照宮)
(上野 東照宮の山門)
昔は寛永寺の管轄だったから門もお寺の趣だね。
江戸時代は、この辺り庶民は近づけなかったのかも。
(東照宮に奉納された 燈籠)
(上野公園 五重塔)
元は寛永寺の管轄だったけど、明治初期の廃仏毀釈で
取り壊しを逃れて、東照宮の横に残ったようだね。
そうそう JR上野駅の敷地も江戸時代には寛永寺の
塔頭が所有していたんだと聞いたように思う。
だから現在の寛永寺はこじんまりした本堂のみで
江戸時代の栄華を知る人もいなくなったようだね。
(上野 東照宮の本殿)
(上野 東照宮 本殿前で自撮り)
(上野公園の 桜並木)
(上野公園内 お化け燈籠)
(上野公園 不忍の池)
この時期は蓮の葉っぱが茂ってるので池が見えまへんわ。
秋になると葉っぱを刈り取って池が蘇るそうだとの話。
名所の不忍池だけど、これは訪れて失敗だったかも。
(不忍池を背景に 自撮り)
(不忍池の 側にある弁財天)
(上野公園の 桜並木)
それでは西郷隆盛さんの銅像でも写すことにしまひょ。
上野公園の入り口近くにある有名な銅像ですよね。
(上野公園 西郷隆盛さんの銅像)
この銅像を見て西郷隆盛の奥さんは似ていないと言ったとか。
でも西郷隆盛さんはこのスタイルで知られてますよね。
実際の写真が残ってないそうで、お姿は永久に不明ですわ。
(上野公園 彰義隊の供養塔)
来年の2018年は明治維新で彰義隊が上野のお山で
官軍と戦った150周年になるそうでんな。
来年のNHK大河ドラマも西郷隆盛さんでしたかな。
長くなりますので、本日はこれでお仕舞にしまひょ。
次回は東京スカイツリーと東京都庁を紹介しまっせ。
ほんなら~ これで、さいなら~🎵
JR上野駅は当時とは様変わりをしてまっけど。
お化粧直しをした上野駅舎だけはそのままでんな。
(JR上野駅舎) (昭和7年完成)
あゝ 上野駅 ♪ 井沢八郎 唄
どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ
上野は 俺らの心の駅だ くじけちゃならない人生が
あの日 ここから始まった ♫
昭和39年(1964年)のヒット曲
飲み友達のK君が マイクを持つと必ず歌った名曲。
彼は~ 越後の新潟から夜行列車で上京したんだって。
(常磐線 特急ひたち E657系)(上野駅16番ホーム)
平成10年代前半のJR上野駅のお話でっけど。
鉄ちゃん爺やが単身赴任中は、色んな特急列車や
ブルートレインがまだ発着してましたんや。
寝台特急の「カシオペア」が千葉から戻る際に
上野駅を発車して行く姿などは絵になりましたで。
その「カシオペア」も昨年で引退したそうですわ。
そんな訳で、現在は常磐線の「ひたち」と「ときわ」
高崎線・上越線の「草津」と「あかぎ」のみでっかな?
上野駅から出発する長距離列車は全て無くなった感じ。
(常磐線 快速電車 E531系)
東北・上越新幹線が走るまでは、ここ上野駅が東北地方や
北陸・新潟方面からの終着駅であり出発駅でしたんや。
井沢八郎さんの「あゝ 上野駅」が鉄ちゃん爺やと同じ
年代の方には、大きな支えと励ましになったそうですわ。
鉄ちゃん爺やは関西なので上野駅を天王寺駅に替え歌にし
歌いまっけど、やはり雰囲気は上野駅でないと合いまへん。
上野駅は地上を「低いホーム」と呼び高架のホームを
「高いホーム」と上野駅に到着する、高崎線や宇都宮線の
普通電車や快速電車では、到着前の車内放送がおました。
当時はここが山手線や京浜東北線を除く全ての電車が
JR上野駅が終点になってましたんや。
(JR高崎線の 快速電車)
鉄ちゃん爺やも当時は赤羽駅から上野駅まで乗車したら
一列車前を走る京浜東北線に乗り換えが出来ましたんや。
「高いホーム」に到着するのがミソでしたけど(笑い)
「低いホーム」に到着したら最悪の状態になりまぁ。
(JR京浜東北線の 普通電車)
京浜東北の普通電車に飛び乗って秋葉原駅で乗り換え
次いで錦糸町駅で千葉行きの快速電車に乗り継ぎでした。
30秒も遅れたら千葉駅到着が30分の遅れになりまぁ。
別に遅刻しても文句を言われることおまへんでしたけど。
昨年から高崎線や宇都宮線の電車は半分ぐらいでっかな?
東京・上野ラインと呼ばれるようになり上野駅を通過して
東京駅から先の小田原駅や熱海駅まで直行してまんねん。
便利ではおますけど、上野駅が通過駅になってますんや。
(JR上野駅 駅ナカの風景)
(JR上野駅 駅ナカで自撮り)
この駅ナカが出来た直後に戸田市から千葉市に住居を移転し
その1年後には、鉄ちゃん爺やは大阪へ戻りましたかな。
だから駅ナカをゆっくり散策するのは今回が初めて。
それでは上野公園でも歩くことにしまひょかな。
(JR上野駅前 パンダの置物)
(JR上野駅 パンダ橋口)
(JR上野駅 パンダ橋から浅草方向を撮影)
この辺りから東京スカイツリーも遠くに見えまっせ。
少し遠いので手前のビルが邪魔をしてまんな。
(JR上野駅から 東京スカイツリーを望む)
(パンダ橋 石碑)
こんなパンダ橋なんて陸橋が15年前に有ったかしら?
ここ記憶がないのか、それとも歩かなかったのかは不明。
(パンダ橋から アメ横方向を望む)
この坂道は昔から在ったので記憶にも残ってまっけど。
上野公園を歩くのは15年ぶりになりまっしゃろな。
(JR上野駅 公園口駅舎)
(東京文化会館)
(国立 西洋美術館)
有名な絵画のようだけど、鉄ちゃん爺やには無理かな。
「猫に小判」だ、と言われそうだからパスしまっさ。
(深海 開催ポスター 国立・科学博物館)
こちらは興味があるんだけど、入場料が1600円だって!
それに行列ができてるので諦めて先へ進みまひょ。
(上野動物園 入場門を望む)
パンダの赤ちゃんが生まれたんだね、お目見えは確か
12月中旬だったかな、子供連れの入場者が多いようだね。
そうそう~ この日は夏休み最後の日曜日だったんだ。
(国立 東京博物館を望む)
ここは、展示品の交代で本日は休館日のようだね。
おや、こんな大道芸の方がおられまっせ。
(大道芸を披露する 男性)
水と刷毛のみで路面にアートを描いてるようですわ。
芸術の才能が有るんだろうね、わかりやすくて見事!
(上野恩賜公園 案内図)
(上野公園 オリエンタル系の催し会場)
久しぶりに上野の東照宮に向かうことにしまひょ。
ここは20年ぐらい前に一度だけ訪れて以来かも。
(上野 東照宮)
(上野 東照宮の山門)
昔は寛永寺の管轄だったから門もお寺の趣だね。
江戸時代は、この辺り庶民は近づけなかったのかも。
(東照宮に奉納された 燈籠)
(上野公園 五重塔)
元は寛永寺の管轄だったけど、明治初期の廃仏毀釈で
取り壊しを逃れて、東照宮の横に残ったようだね。
そうそう JR上野駅の敷地も江戸時代には寛永寺の
塔頭が所有していたんだと聞いたように思う。
だから現在の寛永寺はこじんまりした本堂のみで
江戸時代の栄華を知る人もいなくなったようだね。
(上野 東照宮の本殿)
(上野 東照宮 本殿前で自撮り)
(上野公園の 桜並木)
(上野公園内 お化け燈籠)
(上野公園 不忍の池)
この時期は蓮の葉っぱが茂ってるので池が見えまへんわ。
秋になると葉っぱを刈り取って池が蘇るそうだとの話。
名所の不忍池だけど、これは訪れて失敗だったかも。
(不忍池を背景に 自撮り)
(不忍池の 側にある弁財天)
(上野公園の 桜並木)
それでは西郷隆盛さんの銅像でも写すことにしまひょ。
上野公園の入り口近くにある有名な銅像ですよね。
(上野公園 西郷隆盛さんの銅像)
この銅像を見て西郷隆盛の奥さんは似ていないと言ったとか。
でも西郷隆盛さんはこのスタイルで知られてますよね。
実際の写真が残ってないそうで、お姿は永久に不明ですわ。
(上野公園 彰義隊の供養塔)
来年の2018年は明治維新で彰義隊が上野のお山で
官軍と戦った150周年になるそうでんな。
来年のNHK大河ドラマも西郷隆盛さんでしたかな。
長くなりますので、本日はこれでお仕舞にしまひょ。
次回は東京スカイツリーと東京都庁を紹介しまっせ。
ほんなら~ これで、さいなら~🎵