東京ドーム球場の西隣りと言う方が分かりやすいかも。
江戸時代には水戸・徳川家の上屋敷の庭園だったそうで
現在の東京ドーム球場も水戸・徳川家の上屋敷の領域なんだって。
今回に紹介する小石川後楽園だけでも7万㎡(約2.1万坪以上)
鉄ちゃん爺やも、お隣の場外馬券売り場は何度か訪れましたが
小石川後楽園を散策するのは初めてでおます。
(小石川後楽園の入場券)(シニア割150円)
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(小石川後楽園の 説明板)
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水戸・徳川家初代藩主=徳川頼房が当時は中屋敷だった
小石川の屋敷内に造園を始めたのが1629年(寛永6年)
水戸黄門でお馴染みの2代目徳川光圀が後を受けて完成。
後楽園の名前を付けたのも徳川光圀で中国の「岳陽楼記」から
「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」
為政者の心得を説くものとして名付けたように記されています。
(初代水戸藩主 徳川頼房)
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徳川家康公の11男で家康公61歳で最後のお子さん。
末っ子なので家康公が亡くなるまで側で育てたとの説。
名前にも清和源氏の通字である「頼」の字を与えている。
徳川3代将軍・家光公とは一つ違いの年長になります。
そんな年齢の近さから、兄弟のようなお付き合いだったとか。
「そなたの事はわけても 心安く思い 何事も相談したいと思う
そなたの事を 兄弟同様に思っている そなたもそう心得て欲しい」
実際は叔父と甥の関係なのにこんな書状が残っているそうですわ。
2代将軍徳川秀忠公が異母弟の頼房を年齢が近いこともあって
実子・家光の相談相手として意識して仕向けたような感じ。
家光公も江戸城から船で小石川後楽園へお成りが6回を数えるらしい。
実の弟である忠長とは仲が悪く、叔父の頼房とは亡くなるまで
徳川家光は仲が良かったと記されてますんや。
(2代目水戸藩主 徳川光圀)
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徳川光圀は三男で6つ年上の頼重が健在なのに家督を継ぐ?
これは当時の御三家には子供がまだ生まれてない事を憚って
京都に隠し、その後に生まれた光圀を2代藩主に命じたようです。
将軍にお目見えしないと家督を継げなかったとされています。
三男の光圀が先にお目見えしたので家督を継ぐことに成ったとか。
清和源氏の通字である「頼」の字を徳川光圀は名乗っていない。
晩年に兄の実子を水戸藩主に奉じ自分の実子頼常は逆に
高松藩主だった兄の後継者に命じる子供交換を実施している。
だが頼常は子供が生まれなくて、水戸黄門さんの血統は断絶に。
長幼の序を重んじて水戸藩の将来を託したとされています。
テレビや映画でお馴染みの水戸黄門のお話は小説の世界で
本人は西は熱海まで北は勿来までしか訪れておりません。
結局は兄の子供が水戸家を継いで幕末まで続く事になりまぁ。
(小石川後楽園の風景)
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(小石川後楽園の 寝覚ノ床)
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(寝覚ノ床の 説明板)
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木曽川の名勝である寝覚ノ床を模して造られているようですな。
六義園が明るい日本庭園に対して小石川後楽園は暗い感じがし
中国風を好んだ光圀の意図があちこちに感じられるんですわ。
(小石川後楽園の 大泉水)
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(小石川後楽園の 九八屋)
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(九八屋の 説明板)
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(九八屋の内部)
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(水戸偕楽園から 里帰りした梅の木)
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(お隣は東京ドーム球場になります)
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(小石川後楽園の 愛宕坂)
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(愛宕坂の 説明板)
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(小石川後楽園の 藤棚)
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(円月橋の 説明板)
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(円月橋)
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(円月橋 水面と合わせて注目!)
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この円月橋が小石川後楽園を代表する風景とみられますかな。
中国式の石橋で日本では最古のものと言われてますんや。
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(小石川後楽園の 一つ松)
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(一つ松の 説明板)
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(5分咲きの枝垂れ桜)
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(小石川後楽園 西門にて撮影)
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傘を差してるご婦人方の背景ですが雨は降っておりません。
入り口の警備の方に写して頂きました。
(外堀通り 飯田橋交差点)
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(JR中央・総武線 飯田駅)
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(首都高速5号池袋線)
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(JR中央・総武線 飯田橋駅に到着)
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蛇足ながら岡山の「後楽園」は江戸時代には「御楽園」と呼ばれ
1891年(明治4年)に池田家の当主が「後楽園」と命名し
小石川後楽園にあやかって「岳陽楼記」から採用したとのこと。
今日はこれでお仕舞い、さいなら~♪
次回は上野動物園を再度訪問しパンダを撮影する事にしました。