奈良の元興寺に伝わる有名なお話でっせ。
3年前に訪れた際のブログではスルーしたんでっけど
最近の画像が種切れでおます、そんな訳で悪しからず。
(真言律宗 元興寺の東門)(国の重要文化財)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ea/7dfa0908fe9c94d07727f342c1c3a50c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d3/437f911ce4a09f2ca938fff65998ab15.jpg)
ここ10年ぐらい前から有名になった奈良町におますんや。
有名な割には観光客があまり訪れない隠れた名刹でっしゃろな。
昔は南都七大寺とも称された大きな寺院だったんでっせ。
現在は極楽堂と呼ばれる一僧坊だけしか残ってまへんけど。
(世界文化遺産 元興寺の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/94/a03a72b4081224a0e89da4a8bd820247.jpg)
訪れる観光客は極楽堂と呼ばれる本堂を一周して
デジカメで記念撮影したら、お仕舞でっかな。
(国宝 極楽堂の本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/29/23b85a18afc73913ff7f4883e1ab68bf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ed/67b575595be99e1e0c2ec6d402b44e79.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/ab/03e1dd9ad54fe5832476948df6090043.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/41/44e38603ac97a9bc173f982e04de848d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/4a/f9d6a279b3eab33f59b0ba9cd70504f6.jpg)
それじゃ~ 今回の「かえる石」のお話に入りまひょ。
この極楽堂の裏手に目立たない感じでヒガンバナに囲まれ
本堂に向かって静かに安置されてますんや。
(かえる石 説明板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/e9/65d63bd3366f14c38c7e98830ddb4e38.jpg)
この「かえる石」は戦後の1958年(昭和33年)に大阪市内から
移設されたんでっけど、実に色んな噂や迷信に包まれた不思議な石で
現在は、有縁無縁一切の霊を供養して極楽カエルに成就されたんだって。
(元興寺境内の かえる石)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/fc/0f1df1afd00432cd0a722dcc17d1c593.jpg)
元は大坂城に置かれていた石だそうで、太閤秀吉がこの石を
特に愛したとかで、この石に座って瞑想に耽ったとの伝説も。
大坂城が落城した際にはこの石の下に淀君や女房衆が
埋められたとも伝えられてますんや。
淀君の遺体が発見されなかったのでこんな伝説が
生まれたようで彼女の怨念が込められているとか。
徳川幕府が大坂城を再建した際には邪魔なので乾櫓の
対岸のお堀端に打ち捨ててしまったんだって。
(大阪城の天守閣と 内堀)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/99/1b2b967662559d77b701d920967e97ab.jpg)
それからと言うものは、この石からお濠に身投げする人や
変死した方の遺体がこの石の真下の濠で発見されるそうな。
江戸時代の「雲根志」という奇岩や標本を分類・考察した
書物にも大坂城堀島町にこの石が在ると記されてまっせ。
現在の大阪府庁舎から追手門学園が在る辺りに成りまっかな。
(大阪城 西側のお濠)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/b1/5deb839b127b3ba698a1063555235fc4.jpg)
1940年(昭和15年)にある男性がこの真下のお濠で
浮いているのが発見され、一命を取り止めたそうでんがな。
警察の調べで石の上からお濠に飛び込んだんだろうと言われ。
私は石に座って写生をしていたら甘い香りが漂ってきて
十二単の女性が数人の腰元を伴って現れたと証言。
手招きをされたとこまでしか記憶がないと証言。
気が付いたらお濠に落ちていたと言う話でっしゃろ。
江戸時代のお話だと言われていた流言が昭和の時代に。
大阪城を管理していた大阪の第四師団が慌ててこの石を
現在の大阪府警本部のある辺りに動かしたそうでっせ。
戦争中は一時この石が行方不明になっていたようでんな。
戦後になって法円坂の雑木林でこの石が発見されて
しかるべき~ 大きな寺院に納めて供養すべきとの声。
そんな経緯から奈良の元興寺にお願いすることに成ったとか。
(元興寺 裏手の石仏群)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/ce/5e2f2edbad450657f77f4e42022787cf.jpg)
元興寺では毎年7月7日には、この「かえる石」の前で
供養の法会が行われ、参拝者が「かえる石」に水をかけ
無病息災と「かえる石」の供養を大大的にやるんだって。
最近は「無事かえる」とか「福かえる」とか読み替えて
置物とし玄関先や庭先に置かれてるのが良く見られまんな。
最後は興福寺の五重塔と猿沢の池を張り付けておきまひょ。
(興福寺五重塔と 猿沢の池)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/27/6b3222ab71a40784bb6297030146be0a.jpg)
猿沢の池から南へ歩いて10分ぐらいの処におまっせ。
奈良町は若い男女で賑わいますが元興寺はお年寄りが
立ち寄るぐらいのひなびたお寺でっけど。
今日はこれぐらいでお仕舞にしまっさ。
来週も保存中の画像からになりまんねん。
ほな~ これで、さいなら~♪
3年前に訪れた際のブログではスルーしたんでっけど
最近の画像が種切れでおます、そんな訳で悪しからず。
(真言律宗 元興寺の東門)(国の重要文化財)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ea/7dfa0908fe9c94d07727f342c1c3a50c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d3/437f911ce4a09f2ca938fff65998ab15.jpg)
ここ10年ぐらい前から有名になった奈良町におますんや。
有名な割には観光客があまり訪れない隠れた名刹でっしゃろな。
昔は南都七大寺とも称された大きな寺院だったんでっせ。
現在は極楽堂と呼ばれる一僧坊だけしか残ってまへんけど。
(世界文化遺産 元興寺の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/94/a03a72b4081224a0e89da4a8bd820247.jpg)
訪れる観光客は極楽堂と呼ばれる本堂を一周して
デジカメで記念撮影したら、お仕舞でっかな。
(国宝 極楽堂の本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/29/23b85a18afc73913ff7f4883e1ab68bf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ed/67b575595be99e1e0c2ec6d402b44e79.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/ab/03e1dd9ad54fe5832476948df6090043.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/41/44e38603ac97a9bc173f982e04de848d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/4a/f9d6a279b3eab33f59b0ba9cd70504f6.jpg)
それじゃ~ 今回の「かえる石」のお話に入りまひょ。
この極楽堂の裏手に目立たない感じでヒガンバナに囲まれ
本堂に向かって静かに安置されてますんや。
(かえる石 説明板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/e9/65d63bd3366f14c38c7e98830ddb4e38.jpg)
この「かえる石」は戦後の1958年(昭和33年)に大阪市内から
移設されたんでっけど、実に色んな噂や迷信に包まれた不思議な石で
現在は、有縁無縁一切の霊を供養して極楽カエルに成就されたんだって。
(元興寺境内の かえる石)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/fc/0f1df1afd00432cd0a722dcc17d1c593.jpg)
元は大坂城に置かれていた石だそうで、太閤秀吉がこの石を
特に愛したとかで、この石に座って瞑想に耽ったとの伝説も。
大坂城が落城した際にはこの石の下に淀君や女房衆が
埋められたとも伝えられてますんや。
淀君の遺体が発見されなかったのでこんな伝説が
生まれたようで彼女の怨念が込められているとか。
徳川幕府が大坂城を再建した際には邪魔なので乾櫓の
対岸のお堀端に打ち捨ててしまったんだって。
(大阪城の天守閣と 内堀)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/99/1b2b967662559d77b701d920967e97ab.jpg)
それからと言うものは、この石からお濠に身投げする人や
変死した方の遺体がこの石の真下の濠で発見されるそうな。
江戸時代の「雲根志」という奇岩や標本を分類・考察した
書物にも大坂城堀島町にこの石が在ると記されてまっせ。
現在の大阪府庁舎から追手門学園が在る辺りに成りまっかな。
(大阪城 西側のお濠)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/b1/5deb839b127b3ba698a1063555235fc4.jpg)
1940年(昭和15年)にある男性がこの真下のお濠で
浮いているのが発見され、一命を取り止めたそうでんがな。
警察の調べで石の上からお濠に飛び込んだんだろうと言われ。
私は石に座って写生をしていたら甘い香りが漂ってきて
十二単の女性が数人の腰元を伴って現れたと証言。
手招きをされたとこまでしか記憶がないと証言。
気が付いたらお濠に落ちていたと言う話でっしゃろ。
江戸時代のお話だと言われていた流言が昭和の時代に。
大阪城を管理していた大阪の第四師団が慌ててこの石を
現在の大阪府警本部のある辺りに動かしたそうでっせ。
戦争中は一時この石が行方不明になっていたようでんな。
戦後になって法円坂の雑木林でこの石が発見されて
しかるべき~ 大きな寺院に納めて供養すべきとの声。
そんな経緯から奈良の元興寺にお願いすることに成ったとか。
(元興寺 裏手の石仏群)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/ce/5e2f2edbad450657f77f4e42022787cf.jpg)
元興寺では毎年7月7日には、この「かえる石」の前で
供養の法会が行われ、参拝者が「かえる石」に水をかけ
無病息災と「かえる石」の供養を大大的にやるんだって。
最近は「無事かえる」とか「福かえる」とか読み替えて
置物とし玄関先や庭先に置かれてるのが良く見られまんな。
最後は興福寺の五重塔と猿沢の池を張り付けておきまひょ。
(興福寺五重塔と 猿沢の池)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/27/6b3222ab71a40784bb6297030146be0a.jpg)
猿沢の池から南へ歩いて10分ぐらいの処におまっせ。
奈良町は若い男女で賑わいますが元興寺はお年寄りが
立ち寄るぐらいのひなびたお寺でっけど。
今日はこれぐらいでお仕舞にしまっさ。
来週も保存中の画像からになりまんねん。
ほな~ これで、さいなら~♪
猿沢池は五重塔と共に懐かしい写真ですね。
何かの本に有ったと思いますが、
猿沢池は浅くて中ほどまで駆けて行けるとか、
本当でしょうか、見た所深そうですが。
大阪は太閤さんの人気が高いようですね。
のんびりすごされて大阪城。かえる石見てなかったね。
今度又お金ためて行きいましょう。大阪城は何度行ってもよかですね。自転車走るコースにはお堀の周囲をぐるっと一周今度します。九州は25日火曜日夕方ぐらい台風接近のようで、困ってます。たぶん仕事休みでしょう。休むしかないでしょうかね。26日とこの台風後秋らしくなるでしょうね。昨日はカラオケ昼夜行きました。仕事頑張りますよ。 お身体にご自愛下さいね
その昔に大坂城にあった「かえる石」が色んな
災いや流言を招くとのことで
戦後になってから元興寺へ納めて供養したとのお話ですので念のため。
台風が九州の西部に上陸しそうですから
ヒデさんもご用心してくださいね。
大坂夏の陣で淀君や秀頼が亡くなった日ですね。
当時は陰暦なので少しだけ季節はズレてますけど。
昨年でしたが奈良市が水を抜いて外来種の
ミドリガメを駆除した際には
市役所の職員さんは泥の中を歩いてましたよ。
澄まず濁らず 蛙わかず藻は生えず
魚七分に水三分 と呼ぶ奈良の七不思議だそうです。
日本産のイシガメがミドリガメに負けてここでも絶滅寸前だと放映されてましたよ。
罰当たり者が削って「持ちかえる」という事は無いでしょうね~。
今日は涼しくなりまして昼寝のは最高でした。
かえる石、淀君や秀頼公の怨念が供養され
て福に転じる石ってれば幸いですね。
ちなみに生粋の京都人、京都愛の母も家康
はお堀埋めてえげつないと何時も言っており
ます。
石を削るような不届者はいないんでしょうね。
と~ 言うよりはこの石がどんな経緯と祟りが
過去に有ったのか知らない人の方が多いかな。
今は供養される石から転じて喜ばれる石に
なりつつ有れば良いことですよね。
関西の人は現在でも家康嫌いで太閤秀吉びいきの方が多いようですよ。
一度は、奈良ホテルまで予約していたのですが。
縁が無いのかしらん?
かえる石、どなたかのブログで読んで見知ってはいましたが。
側を通ったことはありますが私は内部に入ったことはありませんね。
昔は鉄道省が管理する国営のホテルでしたが
現在はJR西日本と近鉄系の
都ホテルが半々の株式を持っているようです。
猿沢の池から奈良ホテルの上部だけが見えたように記憶しますね。
元興寺に写したんですね。奈良へ行って見たいです。
台風は昨日は、午前中7時30分から10時過ぎまで
ひどかったです雨風で窓見たら急にはげしい雨で
何も見えなくなったほどでした。マンションの階段のドァカタカタいってうるさいくらいでした・今日は静けさを取り戻しました。
涼しくなりましたよ。もうじきクーラーも入らなくなるでしょう。 お身体にご自愛下さい。
こちら千葉はすっかり涼しくなりました。
窓をあけて寝ていると、明け方、寒気がします。
早速、風邪引いてしまいました。
あまり大きな被害も出なかったようで良かったです。
大阪もこの2~3日は朝晩が涼しくなりましたが
このまま秋本番には成らないでしょう。
やはりお彼岸までは残暑も厳しいかもしれません。
大阪ではまだクーラーを使用してますけど。
お盆前よりは最高気温は3~4度ぐらいは
下がりましたが残暑が続いています。
昨日は午後から一雨降って過ごしやすくは
なりましたが今朝は早くも蒸し暑い日曜日ですね。
奈良の元興寺に行かれたそうですね。
周囲の奈良町の方が有名になり元興寺には
知る人のみが訪れる静かなお寺ですね。
世界文化遺産なんですが、あまり知られてないようにも感じますね。