久しぶりの有馬温泉へ行ってきましたで~♪
関西の奥座敷とも呼ばれ、大阪市内から約1時間
神戸市内からだったら約30分でこれますんや。
鉄ちゃん爺やも昔は会社の慰安旅行などで
良く利用しましたんやけど、25年ぶりかも?
(有馬温泉 兵衛 向陽閣)
(兵衛 向陽閣さんのHPより 拝借)
(兵衛 向陽閣さんのHPより 拝借)
有馬温泉は古くから知られた温泉で、日本書紀や
枕草紙にも記載されているそうでっせ。
豊臣秀吉が千利休などを引き連れて、たびたび
訪れ茶会がもたれたと記録にも残ってますんや。
私の宿泊した「兵衛」は豊臣秀吉公から名前を
授けられたと称する、由緒正しい旅館なんだって。
(有馬温泉の 兵衛 向陽閣 一の湯)
(兵衛 向陽閣さんのHPより 拝借)
有馬温泉の湯は、湧きだした時は無色透明でっけど
空気に触れると酸化して、赤茶色に変わりますんや。
それで昔から「金泉=きんせん」と呼びまんねん。
酸化しない「銀泉=ぎんせん」もあるようですわ。
この金泉・銀泉は有馬温泉が商標登録してるんだって。
最近の研究では有馬温泉の湯は瀬戸内海ではなく
南海トラフの太平洋から潜り込んだ海水が
有馬附近の断層の割れ目から湧き出しているとの説。
ここは標高で300m~350mぐらいの山麓。
(有馬温泉の 温泉街)
有馬温泉には「坊」の付いた旅館やホテルがおますんや。
鎌倉時代の1191年(建仁2年)吉野の僧・仁西上人が
薬師如来の十二神将をかたどって、十二軒の湯治宿を建てた。
中の坊・北の坊・奥の坊・角の坊などの名前を付けたそうで
現在もその名前を引き継いでいるので「坊」が付けられた
旅館やホテルが有馬温泉に現在も存在しているんだって。
因みに兵衛・向陽閣は昔は北の坊と呼んでいたそうですわ。
それでは、鉄ちゃん爺やの小学校の同窓会をお見せしまひょ。
(有馬温泉 兵衛・向陽閣にて 同窓会)
鉄ちゃん爺やは男性軍の奥から3人目に座ってまっせ。
紅顔の美少年や美少女も、まもなく後期高齢者でおます。
60年ぶりに再会した方や、鉄ちゃん爺やは暫く関東に
単身赴任していたので、20年ぶりの同窓会だったのかな。
ここ数年で、恩師や同級生が4~5人亡くなられたとか。
次回は2年先の喜寿に再会を願って、一夜の宴でした。
最初は名前と顔が一致しない戸惑いを覚えながらも
お酒が進むと、昔の幼馴染に戻った同窓会でした。
2年先も14名が全員そろって再会を願いたいでんな。
それでは、翌日に撮影した温泉街を紹介しまひょ。
(ねね橋 & ねねの銅像)
ご存じ太閤秀吉さんの正室「ねねさん」でおます
川向の湯けむり公園にある「秀吉さん」を眺めてはりまぁ。
有馬温泉では良く知られた撮影スポットでっかな。
(湯けむり公園 & 太閤秀吉の銅像)
(有馬川の 親水公園)
この日は朝から雪混じりの雨が降ってましたんや。
だから親水公園は立ち入り禁止で上からの画像のみ。
奥が六甲川で右手から湯川が合流して、ここからは
有馬川と名前が変わり、しばらく北上して
三田市の手前で武庫川の本流に注ぐようでんな。
(有馬温泉の 温泉街)
(有馬温泉の入口 太閤橋)
橋の向こう側にバス停がみえてまぁ、JRなど路線バスは
ここが終点で、阪急バスのみは温泉街に乗り場がおまっせ。
阪急バスさんは昔から宝塚や大阪からバス路線を持っていたので
現在も温泉街に乗り入れる、権利をもっているようでんな。
(神戸電鉄 有馬温泉駅舎)
(有馬温泉の マンホールの蓋)
有馬温泉の街外れにロープウエーが有って六甲山へは
簡単に登れるようになってますんや。
雨が降らなければ、六甲山へと考えたようでっけど
雪混じりの雨では、視界も悪く諦めたとの話。
それでは~ 兵衛・向陽閣さんの旅館へ戻りまひょ。
(横山大観さんの 絵画)
横山大観さんが宿泊された際にお願いして描かれた物で
おそらく、本物でお値段も凄く高価なものでしょうな。
(兵衛 向陽閣 温泉への通路)
(有馬温泉 中の坊 瑞苑)
中央の湯煙が見えるのが有馬温泉で老舗の高級旅館。
中の坊・瑞苑さんで、12歳以下の子供連れでは
入館できないという、珍しい旅館として有名なんでっせ。
なんでも大人の方が、ゆっくりと、おくつろぎ頂く宿で
お子様連れのお客様には、姉妹館の有馬グランドホテルを
ご利用くださいませだって。
因みに1泊が1名 3万円~5万円ぐらいしますかな。
(鉄ちゃん爺やが 宿泊した13階から撮影)
丹波方面の山並みが一望できるようなお部屋になってまぁ。
手前に見えるのが阪神高速の北神戸線で左へ約15kmほど
進むと、明石大橋を渡り淡路島や四国の鳴門方面へ行けまっせ。
(有馬温泉の名物 炭酸せんべい)
(有馬温泉 名産品 人形筆)
筆の穂先を下に向けると、上の方から人形が出てきます
穂先を元に戻せば、人形は内部に格納される仕組みでんな。
(南蛮 鎧兜)
九鬼家に伝わる家宝で豊臣秀吉公から拝領したとの説。
江戸時代は、近くの三田市のお殿様だったそうです。
(阪急バス 有馬温泉乗り場)
このバスで大阪の梅田へ戻ることになりましたんや。
今日はこれでお仕舞にしまっさ。
次回は鉄ちゃん爺やの、地元の桜を紹介させてもらいまひょ。
ほんなら~ これで、さいなら~♪
関西の奥座敷とも呼ばれ、大阪市内から約1時間
神戸市内からだったら約30分でこれますんや。
鉄ちゃん爺やも昔は会社の慰安旅行などで
良く利用しましたんやけど、25年ぶりかも?
(有馬温泉 兵衛 向陽閣)
(兵衛 向陽閣さんのHPより 拝借)
(兵衛 向陽閣さんのHPより 拝借)
有馬温泉は古くから知られた温泉で、日本書紀や
枕草紙にも記載されているそうでっせ。
豊臣秀吉が千利休などを引き連れて、たびたび
訪れ茶会がもたれたと記録にも残ってますんや。
私の宿泊した「兵衛」は豊臣秀吉公から名前を
授けられたと称する、由緒正しい旅館なんだって。
(有馬温泉の 兵衛 向陽閣 一の湯)
(兵衛 向陽閣さんのHPより 拝借)
有馬温泉の湯は、湧きだした時は無色透明でっけど
空気に触れると酸化して、赤茶色に変わりますんや。
それで昔から「金泉=きんせん」と呼びまんねん。
酸化しない「銀泉=ぎんせん」もあるようですわ。
この金泉・銀泉は有馬温泉が商標登録してるんだって。
最近の研究では有馬温泉の湯は瀬戸内海ではなく
南海トラフの太平洋から潜り込んだ海水が
有馬附近の断層の割れ目から湧き出しているとの説。
ここは標高で300m~350mぐらいの山麓。
(有馬温泉の 温泉街)
有馬温泉には「坊」の付いた旅館やホテルがおますんや。
鎌倉時代の1191年(建仁2年)吉野の僧・仁西上人が
薬師如来の十二神将をかたどって、十二軒の湯治宿を建てた。
中の坊・北の坊・奥の坊・角の坊などの名前を付けたそうで
現在もその名前を引き継いでいるので「坊」が付けられた
旅館やホテルが有馬温泉に現在も存在しているんだって。
因みに兵衛・向陽閣は昔は北の坊と呼んでいたそうですわ。
それでは、鉄ちゃん爺やの小学校の同窓会をお見せしまひょ。
(有馬温泉 兵衛・向陽閣にて 同窓会)
鉄ちゃん爺やは男性軍の奥から3人目に座ってまっせ。
紅顔の美少年や美少女も、まもなく後期高齢者でおます。
60年ぶりに再会した方や、鉄ちゃん爺やは暫く関東に
単身赴任していたので、20年ぶりの同窓会だったのかな。
ここ数年で、恩師や同級生が4~5人亡くなられたとか。
次回は2年先の喜寿に再会を願って、一夜の宴でした。
最初は名前と顔が一致しない戸惑いを覚えながらも
お酒が進むと、昔の幼馴染に戻った同窓会でした。
2年先も14名が全員そろって再会を願いたいでんな。
それでは、翌日に撮影した温泉街を紹介しまひょ。
(ねね橋 & ねねの銅像)
ご存じ太閤秀吉さんの正室「ねねさん」でおます
川向の湯けむり公園にある「秀吉さん」を眺めてはりまぁ。
有馬温泉では良く知られた撮影スポットでっかな。
(湯けむり公園 & 太閤秀吉の銅像)
(有馬川の 親水公園)
この日は朝から雪混じりの雨が降ってましたんや。
だから親水公園は立ち入り禁止で上からの画像のみ。
奥が六甲川で右手から湯川が合流して、ここからは
有馬川と名前が変わり、しばらく北上して
三田市の手前で武庫川の本流に注ぐようでんな。
(有馬温泉の 温泉街)
(有馬温泉の入口 太閤橋)
橋の向こう側にバス停がみえてまぁ、JRなど路線バスは
ここが終点で、阪急バスのみは温泉街に乗り場がおまっせ。
阪急バスさんは昔から宝塚や大阪からバス路線を持っていたので
現在も温泉街に乗り入れる、権利をもっているようでんな。
(神戸電鉄 有馬温泉駅舎)
(有馬温泉の マンホールの蓋)
有馬温泉の街外れにロープウエーが有って六甲山へは
簡単に登れるようになってますんや。
雨が降らなければ、六甲山へと考えたようでっけど
雪混じりの雨では、視界も悪く諦めたとの話。
それでは~ 兵衛・向陽閣さんの旅館へ戻りまひょ。
(横山大観さんの 絵画)
横山大観さんが宿泊された際にお願いして描かれた物で
おそらく、本物でお値段も凄く高価なものでしょうな。
(兵衛 向陽閣 温泉への通路)
(有馬温泉 中の坊 瑞苑)
中央の湯煙が見えるのが有馬温泉で老舗の高級旅館。
中の坊・瑞苑さんで、12歳以下の子供連れでは
入館できないという、珍しい旅館として有名なんでっせ。
なんでも大人の方が、ゆっくりと、おくつろぎ頂く宿で
お子様連れのお客様には、姉妹館の有馬グランドホテルを
ご利用くださいませだって。
因みに1泊が1名 3万円~5万円ぐらいしますかな。
(鉄ちゃん爺やが 宿泊した13階から撮影)
丹波方面の山並みが一望できるようなお部屋になってまぁ。
手前に見えるのが阪神高速の北神戸線で左へ約15kmほど
進むと、明石大橋を渡り淡路島や四国の鳴門方面へ行けまっせ。
(有馬温泉の名物 炭酸せんべい)
(有馬温泉 名産品 人形筆)
筆の穂先を下に向けると、上の方から人形が出てきます
穂先を元に戻せば、人形は内部に格納される仕組みでんな。
(南蛮 鎧兜)
九鬼家に伝わる家宝で豊臣秀吉公から拝領したとの説。
江戸時代は、近くの三田市のお殿様だったそうです。
(阪急バス 有馬温泉乗り場)
このバスで大阪の梅田へ戻ることになりましたんや。
今日はこれでお仕舞にしまっさ。
次回は鉄ちゃん爺やの、地元の桜を紹介させてもらいまひょ。
ほんなら~ これで、さいなら~♪
同窓会は年々減ってますね僕の中学校の時の
同窓会もずいぶんへりました。今年は久々出て見ようと
思います。お酒のめへんけどね、昨日はカラオケ昼夜で
今日はちょっとくたびれてますので昨日行くとは言いましたがお休みします。昨日は午前様でした(笑)。
有馬温泉はいいですね。近くまで行ったのに入ってないですよ。僕の中学校の同窓会は居酒屋が多いいですね
当初はホテルでやってましたので最高80名ぐらいいましたがお盆休みにやってたのでみんな県外から集まって来てました。でも最近は少ないです30名たらずですけんね 今年はどこでやるかはわかりませんが楽しみにしています。 同窓会お疲れ様でした。
今度は有馬温泉へ
元気ですね~。
私も何年も同窓会をしていません
以前会を開いたとき「あんな先生がいたっけ?」に
あれは同級生のだれだれだと言われて恰幅が出ちゃって先生そのものでした
今はどうしているのか?
〇〇ちゃんと懐かしい再会でしたね。
いつ頃だったでしょうか一度
有馬温泉で会議がありました。
神戸の奥座敷そんな感じでした。
良い写真見せて頂きました。
これが有名な
「有馬 兵衛 向陽閣へ」の宣伝の向陽閣ですか。
行ったことないのですよね。
いいですね。
今度、私も、4年に一度の大学のサークルの同窓会で、ここに集まりたいですね。
総勢20名でした。
驚いたことに担任の先生が出席されたことです。
男女共学ではなかったのですが、男子部と女子部があって、
その先生は、同学年女子部の生徒と再婚されたのには驚きました。
その先生92歳だそうで、最初の奥さんとは死別とのこと。
理系の先生らしく、いまだに宇宙だの天体だの勉強しているとのことで、ノベル賞の宇宙線の重力の話などしておられました。
連絡先が分かるのが30名を切りましたね。
その内で約半数になる14名が参加でした。
やはり1泊で3万円ぐらい必要なので
辞退した同級生もいるんでしょうね。
70歳を超えて足腰も弱くなり昔馴染みと
会いたいな~ の心境になりましたかしら?
確かに10年先では再会もおぼつかないかもしれませんよね。
関西の奥座敷なんですが、相対的に宿泊料金が高いので
家族向きには敬遠されてるかもしれませんね。
今回も中国人らしき宿泊客には会いませんでしたよ。
昔そんなテレビCMが関西ではありましたね。
最近は聞きませんので、CMなしで繁盛されているのかもしれません。
「月光園 月光園 有馬~♪」
こんなCMも有りましたね、こちらも健在でしたよ。
この時も14名ぐらいが集まりました。
恩師が健在で「卒寿」のお祝いを兼ねての
恩師の娘婿さんが住職をされている
本多家ゆかりのお寺での同窓会でした。
私たちもあやかって「卒寿」のお祝いの
同窓会ができれば最高なんですがね。