数字の1が5つ並ぶのは、次回は令和11年1月11日ですよ。
約10年も先の話だから鉄ちゃん爺やは生きてないかも?
もし生きていたとしても、寝込んでいる状態ですかな。
数字の1が5つ並ぶ、ご朱印を貰いにでかけましたんや。
(伴林氏神社=とものはやしのうじのじんじゃ)
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(伴林氏神社の ご朱印)
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この神社は隣町の藤井寺市に在るんですが、鉄ちゃん爺やが
ネットで調べて知ったのは先月の下旬のことでした。
(伴林氏神社=とものはやしのうじのじんじゃ) (本殿)
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高校時代の同級生の依頼で歴史に詳しい「くろちゃん」に
インターネットで検索して欲しいと言われましたんや。
その結果が、この神社を知ることになったんですわ。
(伴林氏神社の社標の前で 同級生のN君)
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この社標は1942年(昭和17年)に彼の曾祖父が設立した
「更池銀行=さらいけぎんこう」が解散するに当り
奉納した物で、初代の頭取が曾祖父だったようですわ。
国策で三和銀行(現在の三菱UFJ銀行)に合併を命じられ
清算した残金で、武運長久を願い奉納したようでんな。
明治29年から昭和17年まで存続した銀行でっせ。
奉納した時点ではN君の一族が監査役をしていたようですわ。
実は地元なのに鉄ちゃん爺やが知らない神社だったのは
下のような事情があったようでんな。
(伴林氏神社の手水舎)(現在は使用禁止)
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(靖国神社から寄贈されたとの立て札)
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当時は日中戦争(支那事変)が激しくなり、この神社が古代の
豪族である大伴氏の先祖である「道臣命=みちのおみのみこと」を
お祀りした唯一の神社で、少し大げさであるが「西の靖国神社」と
呼ばれて、出征兵士の家族がお参りした神社だったそうですわ。
「道臣命=みちのおみのみこと」は神話の話になりまっけど
神武天皇の東征に先鋒を務めた神様として登場しまっせ。
戦前は「府社」として南河内ではここと、我が街の「誉田八幡宮」
千早赤阪村の「建水分神社」の三社しか無かったんだって。
「大阪天満宮」や「豊国神社」と同格の立派な神社だったんですわ。
戦後は一転して軍国主義の否定から「村社」に格下げされたとか。
「村社」には勿体ないほどの大きな敷地でおます。
確かにN君を案内した日も、今日11月11日も参拝者はゼロ!
(大伴家持を 模ったパネル)
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(伴林氏神社の拝殿)
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令和の元号にまつわる大宰府の長官「大伴旅人」さんの息子で
越中の国守なども務め、奈良時代から平安時代初期の貴族として有名。
(伴林氏神社の由緒書き)
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この神社も「式内社」として記録が残るので平安時代の9世紀から
ここに鎮座していたようですが、大伴氏の本拠地ではないはず。
(大伴氏の 系図)
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この辺りは藤井寺市林という地名ですが直ぐ東側は河内の国の
国府跡が残っている、古くから開けた場所のようでんな。
(藤井寺市林3丁目 住居表示)
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最寄りの駅は近鉄南大阪線の土師ノ里駅になりまっせ。
昔の埴輪を造った一族が「土師氏」だったそうで平安時代に
一族から菅原道真公などの菅原家が分家したとのこと。
名前は「土師ノ里」として残っていますが土師氏の痕跡は
現在は道明寺天満宮の境内に石碑と墓石が残るのみ?
(近鉄南大阪線・土師ノ里駅)
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何度か紹介した道明寺天満宮や道明寺尼寺なども
歩いて15分~20分と歴史の宝庫となってますんや。
古市古墳群のスタート地点の駅とも成ったようですわ。
最後に我が街の「誉田八幡宮」のご朱印も貼り付けておきまひょ。
(誉田八幡宮の ご朱印)
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(国宝 源頼朝公寄進のお神輿)(誉田八幡宮 保管)
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今日はこれでお仕舞にしまひょ、これで、さいなら~♪
約10年も先の話だから鉄ちゃん爺やは生きてないかも?
もし生きていたとしても、寝込んでいる状態ですかな。
数字の1が5つ並ぶ、ご朱印を貰いにでかけましたんや。
(伴林氏神社=とものはやしのうじのじんじゃ)
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(伴林氏神社の ご朱印)
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この神社は隣町の藤井寺市に在るんですが、鉄ちゃん爺やが
ネットで調べて知ったのは先月の下旬のことでした。
(伴林氏神社=とものはやしのうじのじんじゃ) (本殿)
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高校時代の同級生の依頼で歴史に詳しい「くろちゃん」に
インターネットで検索して欲しいと言われましたんや。
その結果が、この神社を知ることになったんですわ。
(伴林氏神社の社標の前で 同級生のN君)
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この社標は1942年(昭和17年)に彼の曾祖父が設立した
「更池銀行=さらいけぎんこう」が解散するに当り
奉納した物で、初代の頭取が曾祖父だったようですわ。
国策で三和銀行(現在の三菱UFJ銀行)に合併を命じられ
清算した残金で、武運長久を願い奉納したようでんな。
明治29年から昭和17年まで存続した銀行でっせ。
奉納した時点ではN君の一族が監査役をしていたようですわ。
実は地元なのに鉄ちゃん爺やが知らない神社だったのは
下のような事情があったようでんな。
(伴林氏神社の手水舎)(現在は使用禁止)
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(靖国神社から寄贈されたとの立て札)
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当時は日中戦争(支那事変)が激しくなり、この神社が古代の
豪族である大伴氏の先祖である「道臣命=みちのおみのみこと」を
お祀りした唯一の神社で、少し大げさであるが「西の靖国神社」と
呼ばれて、出征兵士の家族がお参りした神社だったそうですわ。
「道臣命=みちのおみのみこと」は神話の話になりまっけど
神武天皇の東征に先鋒を務めた神様として登場しまっせ。
戦前は「府社」として南河内ではここと、我が街の「誉田八幡宮」
千早赤阪村の「建水分神社」の三社しか無かったんだって。
「大阪天満宮」や「豊国神社」と同格の立派な神社だったんですわ。
戦後は一転して軍国主義の否定から「村社」に格下げされたとか。
「村社」には勿体ないほどの大きな敷地でおます。
確かにN君を案内した日も、今日11月11日も参拝者はゼロ!
(大伴家持を 模ったパネル)
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(伴林氏神社の拝殿)
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令和の元号にまつわる大宰府の長官「大伴旅人」さんの息子で
越中の国守なども務め、奈良時代から平安時代初期の貴族として有名。
(伴林氏神社の由緒書き)
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この神社も「式内社」として記録が残るので平安時代の9世紀から
ここに鎮座していたようですが、大伴氏の本拠地ではないはず。
(大伴氏の 系図)
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この辺りは藤井寺市林という地名ですが直ぐ東側は河内の国の
国府跡が残っている、古くから開けた場所のようでんな。
(藤井寺市林3丁目 住居表示)
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最寄りの駅は近鉄南大阪線の土師ノ里駅になりまっせ。
昔の埴輪を造った一族が「土師氏」だったそうで平安時代に
一族から菅原道真公などの菅原家が分家したとのこと。
名前は「土師ノ里」として残っていますが土師氏の痕跡は
現在は道明寺天満宮の境内に石碑と墓石が残るのみ?
(近鉄南大阪線・土師ノ里駅)
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何度か紹介した道明寺天満宮や道明寺尼寺なども
歩いて15分~20分と歴史の宝庫となってますんや。
古市古墳群のスタート地点の駅とも成ったようですわ。
最後に我が街の「誉田八幡宮」のご朱印も貼り付けておきまひょ。
(誉田八幡宮の ご朱印)
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(国宝 源頼朝公寄進のお神輿)(誉田八幡宮 保管)
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今日はこれでお仕舞にしまひょ、これで、さいなら~♪
平成10年10月10日の切手
シートを持っています。あと10年
元気でいたいですね。
PCの状態は未だ不安定ですか?
藤井寺というと私はどうしても藤井寺球場。
近鉄バッファローズとなってしまいます。
立派な神社元旦は参拝者どうなのかな?
コメントありがとうございました。
歴史を辿るといくら時間があっても足りそうもなさそうです。
そういう事で、今使っているパソコンも
新しく替えようかな~と思っても
考えてしまいます。。
動かないパソコンをだましだまし使う他ないです。
きれいですね。一度行ってみたいですね。今度の日曜日くらい小倉の紅梅を映して回ろう思います
明日から寒くなりますお体に気を付けてください明日は小倉は最低気温4度霜注意報も出てます。エアコン今月
初めてつけました。
御朱印、良い感じですねえ。
11/11何も考えず過ぎてしまいました。
でも、その日は、よく考えたら、愛しの外科医長の診察でしたよ。
パソコンの調子、良くなりましたか?
七五三のお祝いの子供たちは
全然見られませんでした
カミさんに普段の日だからでしょう言われて
納得してます。
カラオケはただいま美空ひばりの川の流れのようにを勉強してます。では来年も多分大阪は意見ないかもしれませんご両所ください。