醍醐寺ってご存じでっか~
京都市内ちゅぅても辺鄙なとこにおまんのでね。
いきなり わての画像でご免なっしゃ~
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
醍醐寺(だいごじ)ちゅうのは京都市内で一番広い境内を持つお寺だっせ。
なんと敷地200万坪って言いますから凄いでっしゃろ。
おまけに、国宝が41点・重要文化財が約6万点・他に
寺のお宝を合計したら15万点を誇る真言宗は醍醐寺派の総本山でんな。
(桜の馬場から 仁王門と醍醐山を撮影)
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画像の奥に山が見えてまっしゃろ、醍醐山(笠取山)って言うそうですわ。
この山の上にあるのが上醍醐寺で西国三十三ケ所で最大の難所ちゅう話でんな。
4~5年前にお堂が焼けて今は麓の下醍醐寺に観音さんが祀られているそうですわ。
本来は片道1時間ぐらい掛けてお山に登らないとご利益がおまへんけど
わては~ 手抜きしてご朱印を貰いちゃいました。
(西国三十三ケ所 第十一番札所 上醍醐寺)
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ここまで来たからには国宝を幾つかデジカメで写すべきですわな。
醍醐寺ちゅうのは名前の通り平安時代の醍醐天皇が勅願で造らせたお寺ですわ。
最初は上醍醐寺だけだったようですが麓に下醍醐寺も出来たようですな。
昔は女人禁制で上醍醐寺に女性は登れないので下醍醐寺にお参りしたんですわ。
まずは一つ目の国宝は醍醐寺の金堂から行きまひょ。
(国宝 醍醐寺の金堂)
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応仁の乱で焼けたお堂を豊臣秀吉が再建を命じたそうでんな。
なんでも、和歌山県の湯浅町に在った満願寺の本堂を解体して
ここへ移したそうでっけど完成したのは秀吉の死後2年たった
西暦1600年(慶長5年)になったそうですわ。
現在は醍醐寺のご本尊と焼けた上醍醐寺の観音さんがお祀りされてるんですって。
(醍醐寺金堂の 薬師三尊) (国の重要文化財)
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写真撮影禁止やけど誰も見てないから失礼させてもらいまひょ。
中央の仏さんが、ご本尊の薬師如来だそうな、その左右に居られるのが
日光菩薩さんと月光菩薩で合わせて薬師三尊と呼びまんねんで。
ご本尊の薬師如来さんの手前に小さい仏さんが居られまっしゃろ。
どうやら上醍醐寺から移された観音さんのようでっけど。
薬師三尊の左右は四天王立像がお護りしているようになってまんな。
ほんなら~ 次へ行きまひょ。
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(国宝 醍醐寺 五重塔)
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醍醐天皇の菩提を弔うために第一皇子・朱雀天皇が着工し、第二皇子・村上天皇の
西暦951年(天暦5年)完成したそうですわ。
応仁の乱の兵火にも奇跡的に免れ京都府下で一番古い建造物だそうでっせ。
この五重塔以外は平安時代の建物は一つも残って無いんだそうな。
五重塔の1階部分に国宝の壁画が描かれているそうでっけど見れまへんな。
ほな~ 次へ行きまっせ。
(醍醐寺 金堂への参道にて)
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(醍醐寺境内 桜の馬場)
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醍醐寺の桜は京都では珍しく三週間ぐらいの長期間眺められまんねんで。
河津桜・ソメイヨシノ・枝垂れ桜・オオヤマザクラと種類が多いからでんな。
この桜の馬場が満開の時には醍醐寺を代表する風景になりまんねんで。
(醍醐寺 三宝院の唐門) (国宝)
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朝廷から勅使が訪れた時だけ門が開けられたそうですわ。
皇室の十八弁菊の紋と五七の桐の紋が金ピカに成っているけど
昔のように黒塗りの方が重厚で国宝らしいんと違いまっしゃろか。
(醍醐寺 三宝院の入口) (国の重要文化財)
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太閤秀吉が1300人の女子衆を引き連れて醍醐の花見をしたのは此処でっせ。
ここの建物と庭は花見の直前1598年(慶長3年)に秀吉の命で再建ですな。
太閤秀吉他・花見の際の和歌を記した短冊がここ三宝院に残されているようですわ。
(三宝院の内部)
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三宝院は江戸時代には歴代の座主が居住し幕府も当山派修験の本山と位置づけ
多いに栄えたとの記録が残っているそうでっせ。
内部の表書院も国宝だそうでっけど、写真撮影禁止だそうですわ。
拝観料の600円がもったいないのでパスしまひょ。
(醍醐寺境内 雨月茶屋)
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精進料理は予約だね、咽が乾いたのでアイスコーヒーとミニケーキでいいかな。
(雨月茶屋 喫茶部の方で小休止)
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(京阪バス)
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マニア泣かせな京阪電鉄さんですなデザインも違うし配色も反対でんがな。
そやのに同じ8000系とはこまりまっせ、 ほんまに~
近鉄と違うて特急料金とらへんから文句を言うなってでっか。
さよか~ ほんなら淀屋橋まで乗せてもらいまっさ。
(京阪電車 特急 淀屋橋行き) (旧3000系 ⇒ 8000系)
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(京阪電車 特急 出町柳行き) (8000系)
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ほな~ これで失礼させてもらいまっせ さいなら~
京都市内ちゅぅても辺鄙なとこにおまんのでね。
いきなり わての画像でご免なっしゃ~
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醍醐寺(だいごじ)ちゅうのは京都市内で一番広い境内を持つお寺だっせ。
なんと敷地200万坪って言いますから凄いでっしゃろ。
おまけに、国宝が41点・重要文化財が約6万点・他に
寺のお宝を合計したら15万点を誇る真言宗は醍醐寺派の総本山でんな。
(桜の馬場から 仁王門と醍醐山を撮影)
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画像の奥に山が見えてまっしゃろ、醍醐山(笠取山)って言うそうですわ。
この山の上にあるのが上醍醐寺で西国三十三ケ所で最大の難所ちゅう話でんな。
4~5年前にお堂が焼けて今は麓の下醍醐寺に観音さんが祀られているそうですわ。
本来は片道1時間ぐらい掛けてお山に登らないとご利益がおまへんけど
わては~ 手抜きしてご朱印を貰いちゃいました。
(西国三十三ケ所 第十一番札所 上醍醐寺)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
ここまで来たからには国宝を幾つかデジカメで写すべきですわな。
醍醐寺ちゅうのは名前の通り平安時代の醍醐天皇が勅願で造らせたお寺ですわ。
最初は上醍醐寺だけだったようですが麓に下醍醐寺も出来たようですな。
昔は女人禁制で上醍醐寺に女性は登れないので下醍醐寺にお参りしたんですわ。
まずは一つ目の国宝は醍醐寺の金堂から行きまひょ。
(国宝 醍醐寺の金堂)
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応仁の乱で焼けたお堂を豊臣秀吉が再建を命じたそうでんな。
なんでも、和歌山県の湯浅町に在った満願寺の本堂を解体して
ここへ移したそうでっけど完成したのは秀吉の死後2年たった
西暦1600年(慶長5年)になったそうですわ。
現在は醍醐寺のご本尊と焼けた上醍醐寺の観音さんがお祀りされてるんですって。
(醍醐寺金堂の 薬師三尊) (国の重要文化財)
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写真撮影禁止やけど誰も見てないから失礼させてもらいまひょ。
中央の仏さんが、ご本尊の薬師如来だそうな、その左右に居られるのが
日光菩薩さんと月光菩薩で合わせて薬師三尊と呼びまんねんで。
ご本尊の薬師如来さんの手前に小さい仏さんが居られまっしゃろ。
どうやら上醍醐寺から移された観音さんのようでっけど。
薬師三尊の左右は四天王立像がお護りしているようになってまんな。
ほんなら~ 次へ行きまひょ。
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(国宝 醍醐寺 五重塔)
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醍醐天皇の菩提を弔うために第一皇子・朱雀天皇が着工し、第二皇子・村上天皇の
西暦951年(天暦5年)完成したそうですわ。
応仁の乱の兵火にも奇跡的に免れ京都府下で一番古い建造物だそうでっせ。
この五重塔以外は平安時代の建物は一つも残って無いんだそうな。
五重塔の1階部分に国宝の壁画が描かれているそうでっけど見れまへんな。
ほな~ 次へ行きまっせ。
(醍醐寺 金堂への参道にて)
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(醍醐寺境内 桜の馬場)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
醍醐寺の桜は京都では珍しく三週間ぐらいの長期間眺められまんねんで。
河津桜・ソメイヨシノ・枝垂れ桜・オオヤマザクラと種類が多いからでんな。
この桜の馬場が満開の時には醍醐寺を代表する風景になりまんねんで。
(醍醐寺 三宝院の唐門) (国宝)
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朝廷から勅使が訪れた時だけ門が開けられたそうですわ。
皇室の十八弁菊の紋と五七の桐の紋が金ピカに成っているけど
昔のように黒塗りの方が重厚で国宝らしいんと違いまっしゃろか。
(醍醐寺 三宝院の入口) (国の重要文化財)
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太閤秀吉が1300人の女子衆を引き連れて醍醐の花見をしたのは此処でっせ。
ここの建物と庭は花見の直前1598年(慶長3年)に秀吉の命で再建ですな。
太閤秀吉他・花見の際の和歌を記した短冊がここ三宝院に残されているようですわ。
(三宝院の内部)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
三宝院は江戸時代には歴代の座主が居住し幕府も当山派修験の本山と位置づけ
多いに栄えたとの記録が残っているそうでっせ。
内部の表書院も国宝だそうでっけど、写真撮影禁止だそうですわ。
拝観料の600円がもったいないのでパスしまひょ。
(醍醐寺境内 雨月茶屋)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
精進料理は予約だね、咽が乾いたのでアイスコーヒーとミニケーキでいいかな。
(雨月茶屋 喫茶部の方で小休止)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
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(京阪バス)
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マニア泣かせな京阪電鉄さんですなデザインも違うし配色も反対でんがな。
そやのに同じ8000系とはこまりまっせ、 ほんまに~
近鉄と違うて特急料金とらへんから文句を言うなってでっか。
さよか~ ほんなら淀屋橋まで乗せてもらいまっさ。
(京阪電車 特急 淀屋橋行き) (旧3000系 ⇒ 8000系)
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(京阪電車 特急 出町柳行き) (8000系)
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ほな~ これで失礼させてもらいまっせ さいなら~
めちゃめちゃ広い敷地ですなぁ。
京都ちゅうのは、色んなところがおますなぁ。
全然、行ったことおまへん。
京阪って、どうも縁がないのですね、私には。
やっぱり阪急なんです、JRと。
醍醐寺は行ったことないですが、広いんですね
京阪いつも乗ってます
京都行くなら京阪が1番便利で安いですね
醍醐の近くで下宿しており、醍醐寺にはよく行きましたね。
しかし本尊は見たことありませんでした。
新緑も良いけどやはり桜の季節、広い境内は秀吉の時代に思いを馳せますよ。
それに入り口の鉄ちゃん仁王さんも良い男ですよ。(笑)
DMはグッドコントロールですか?
最近は、DPP-4阻害薬が新しい流れ、または、旧DM薬との混合錠剤が最新ですよ。
醍醐寺、春になると、ニュースに出る桜の名所かな?
秀吉関連のお寺だったのですね。
どれがどれやら良く判らないうちに旅行が終わります。
一日に二箇所程度の観光が適当な気がします。
ボクは秀吉が生まれて産湯をつかった井戸があるお寺の南、約100mの所で生まれ育ちましたが、「太閤秀吉他・花見の際の和歌を記した短冊」がどうも信じられません。
秀吉が「ねね」に送ったと言う自筆の手紙が
出光美術館に展示されたのを見ると、
文字を教えられていない3歳未満の子供がかいたひらがなのようでした。
祐筆にでも代筆させたのでしょうか?
私のように南部に住んでる者は京阪電車を利用する事が多いようですな。
私も醍醐寺は不便な処にあるので訪れたのは30年ぶりだったでしょうね。
私も東山や祇園辺りを散策するには京阪でいきますな。
醍醐寺は桜のシーズンに一度ぐらいお出掛け下さい。
最近は地下鉄も出来て便利になったようですよ。
久しぶりの醍醐寺でしたがこの時期は流石に訪れる人は少ないですね。
糖尿はHbA1cが6.0~6.2ぐらいで安定していますよ。
ベイスンとグリメピリド錠でこの2年間ぐらいは服用していますけど。
タバコを辞めたので1~2kg体重は増えたかもしれませんね。
前田利家も同席していますが彼の読んだ和歌も
代作だろうと言われていますね。
太閤秀吉は平仮名しか書けなかったようですね。
短冊はおそらく祐筆が書いたものでしょうな。
でも醍醐の花見を伝える逸話として三宝院に残されているようです。