原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

5月20日(日)のつぶやき

2012-05-21 | Twitter
01:56 from web 身体技法やダンスそのものがが持つセラピューティックな機能を最大限に生かしてセッションをする。が、ダンスや身体を通しても拒否的な状態の方や初めての方がいる場合はセラピーの技法を多めに入れ込む。グループ内でのばらつきが大きい場合は、このバランスが難しい。#ダンスセラピー02:02 from web 心身の不具合や、明らかな身体化症状を持っていても、それを認めたくない/受け入れたくないというときがある。不具合でへとへとになっていても、受け入れない、という固執を持っている場合もある。そのアンビバレンツをどう扱うかということ。最終的に、選ぶのは本人次第だが。#ダンスセラピー02:07 from web セルフ・エスティームは己の身体をどのように扱っているかで垣間見えてくる。自分の身体に対して、どのように敬意を払っているかどうか。そこには患者/治療者の垣根はない。#ダンスセラピー02:08 from web 他者の身体を扱う「援助者」が、自己の身体をないがしろにしていることはむしろ多い。#ダンスセラピー02:12 from web 自己を犠牲にして(あるいは無意識的に「犠牲者」に仕立て上げて)他者への介入をすることは援助職の中では全く珍しくない。大切なのは、それに「気づいて」いるかどうかだ。02:17 from web 「自己犠牲」は怒りの複雑な変形だ。外に向かう怒りではなく、内包された怒りがセルフエスティームを歪ませ、形を変えたもの。そして、怒りの後ろには必ず「悲しみ」がある。我がこととしての悲しみや怒りを認められていない援助職のやるべきことは、まずは「セルフケア」。02:20 from web 援助を仕事にしている人間は、「セルフケア」という「概念」を「知って」はいる。大方のひとは「うん、アタマでは分かっているのよね」と言う。「知識」としてのセルフケア。02:24 from web 「セルフケア」ということが、マッサージを受けにいくとか、ストレスを「発散」するとか、という意味に捉えられがちなのもある意味問題。仕事や生活の仕方に対する考え方が変わらなければ、症状はいつまでも続くし、その場しのぎの手当だけでは何も変わらない。02:27 from web  [ 1 RT ]自分の身体を見ること。動きに意識を向けること。不調をも受け止めること。よい部分や楽な部分を探すこと。そして、身体というものがこんなに巧妙精緻なものなのか、と知ること。それが身体へのリスペクトにつながる。身体をリスペクトするということは自分へのリスペクトになるのだ。21:25 from Tweet Button 富士山 「3年以内に噴火が起きる可能性かなり高い」と専門家(NEWSポストセブン) - エキサイトニュース excite.co.jp/News/society_g…21:27 from web (Re: @animanma@animanma ぜひ!楽しみにしています。by body_wisdom on Twitter
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