@t_maron なるよねえ…今自分もおかしいわ。さっきツレにびっくりされた。なんか同じこと言ったらしいよ…料理とか電話連絡とかはちゃんとしてたけど…orz
人に「触れられる」のがいや、という方は男性と女性とどちらに多いのだろう。援助職で仕事上ではひとに触れていても自分が触れられるのはNGという方はどのくらいいるかな。(もちろん満員電車など見知らぬ他人にという場合を除きます)ご意見乞う。
@shirotama460アウェイでなのね。指輪はさわったり、こづいたり、いろいろするものね。アウェイってことは、女性ばかりではないということよね?
食べ残しをやめる「何倍の水で薄めないと、魚は生きられないでしょう?」味噌汁7千倍、マヨネーズ24万倍。1杯の味噌汁を捨てると浄化に30リットルの水が必要 homepage1.nifty.com/shincoo/m052ky… 海の汚染・乱獲などで2050年までに大型の魚がいなくなると予想(国連環境計画)
@wear_heels ありがとうございます。もし差し障りがなければ、なぜ女性に対しての方が気を遣うのか教えていただけるとありがたいです。DMでもOKです。
@shirotama460 男女共に、ということですね。会話劇メインの俳優さん達は…というのは頷ける気がします。たぶん、プライベートな人間関係以外で人に触れること、慣れていなかったり、機会がなかったりするものね。
触れること。機会がない方も多い。そのシチュエーションにもよる。身体性を伴ったWSや、ダンスでは触れることが行われることが多い。小さな子どもがいる場合も。ではそれ以外では?ということかな。
そして、性的なニュアンスが含まれることも多い。男女で触れ合うといえば性的なイメージを持ってしまうことがほとんどなのかもしれない。
「触れる」ということには、他者同士の緊張解除と緊張をより高めるのと、両方の側面があるな。そしてそれは送り手の問題でもあるし、受け手の問題でもあるし、双方で作り出して大きくしている場合もある。
@animanma うん、「触れ方」って話し方とか以上にとても気を遣うものだってことだね。でも、日常では家族以外に誰かに触れる機会って少ないよね?だからよけい気を遣うってことだよね。
「好きだけどきらい」「弱いけど強い」「美しいけどきたない」。それってつながっていることのような気がする。
@animanma あ、「境界線」ね。あったほうが自分を守れる場合もあるし、ない方が心地いいこともある。そして、慣れていないからビックリする。
母性棄却の対象となる物質は、赤子が成長した後にも出会う「おぞましくも魅惑的な」という両義性を持つものであり、たとえばミルクの表面に張った薄膜、腐敗物や汚染物、ぬるぬるしたもの、屍体、便、経血などであり、より一般的には自/他の境界を侵犯して自我のアイデンティティを脅かすものである。
@kimtubakurokaka @t_maron ありがとうございます。わたしが体験したケースでも、援助職の方で触れられるのは緊張するという方、案外いらっしゃるように思います。「触れられる」というのは境界線と安心感の問題で、それを援助職自身が体験できるというのが大切なのではと。
@wear_heels 男女共に、同性に対してはより慎重になるということ、結構ありますね。他にも書きましたが「触れる/触れられる」は境界線と安心感、相手との距離感が関与するところが大きいな、と。
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