私のセッションでは
・身体感覚をなるべく丁寧に追っていくこと
そこから動き出しの手がかりを見つけること
・身体感覚の中にあるイメージや感情を身体と結んでいくこと
それにぴったりくる言葉を見つけていくこと
・自分の明確な意思による動きではなく
重さや身体感覚に誘発される動きに身をゆだねること
などの作業を行っていますが
もうひとつ、
イメージを使って動くことを重要視しています。
基本的には誘導瞑想のように
言葉でイメージを投げかけ
それを参加されているひとり一人が思い浮かぶビジュアルの世界に入り、動いていく。
先日の大阪WSでも、
最終セッションで「スピリット・ジャーニー」というワークを行いました。
その際に、
ああ、なんてすごいことだろう、という体験をされた方が何人かいらしたのであります。
ご本人にその体験を書いていただけるようお願いしましたので
2つ、掲載します。
死を怖いものと感じる方、
大切な存在をなくされた経験のある方には、
ぜひ読んでいただけたらと思います。
その1。Aさん(男性)***********
今回,原キョウコさんのワークショップの最後に「魂の旅」を体験するワークがありました。
イメージの世界で一度自分の肉体を脱ぎ捨てて魂だけになり,
色々な人に会いに行ったり色々なところへ行ったりするというもので,
私自身ごく最近に「小死」という言葉に触れる機会が何度かあったので強いシンクロニシティーを感じました。
「魂の旅」と書くと訝る人もいるかもしれませんが,自分の原風景,自分の原イメージなども含めて,
自分の「原」なるものとしての「魂」に向き合わせてもらえる作業だったように思います。
この「魂の旅」の導入としてイメージで泉の中に入っていったのですが,
私はここで7年前に死んだ従兄のことを思い出しました。
私の従兄は7年前の夏に海で溺れて亡くなり,私はそれに対してずっとある罪悪感を背負い続けていました。
その罪悪感については,原さん主催の女神山の合宿で自分なりに昇華することができていたので
今回は大きく感情を揺さぶられることもなく,従兄の死を私自身の死と重ねて追体験してみようと思えました。
泉の底に沈んでいきつつ水面から差し込む光を見ながら「今から自分は死ぬんだ」と思った時,
無念や後悔に涙が溢れてきました。
しかし,そこから泉の中のトンネルをくぐり抜け自分の肉体を脱ぎ捨てるイメージを描いた瞬間,
私はなんと笑いながら軽やかに飛び回り始めたのです。
これは私にとってはとても意外なことでした。
イメージのトンネルの出口に向かいながら
私は「きっと私は死んだ後,未練たらしく現世をうろちょろするんだろうな」とぼんやりと思っていたのです。
ところが,肉体を脱ぎ捨てた私はピーターパンのように身軽に世界中を飛び回り始めたのです。
それも飛び回れるのが嬉しくて仕方がないという風に満面の笑みで。
まるで何かの枷を外されて晴れて自由の身になったようでした。
そして私の魂は,私の死を悲しむであろう人たちのところに飛んでいき
笑顔で「心配しないで。大丈夫,大丈夫。」と声をかけて回ったのです。
そして次に,私が過去に傷つけた人たちのところへ行き,その人たちに「ごめんね。」と言いながら抱きしめ
「でも,これからは私が力になるからね。大丈夫。」と伝え,
そして,地震の被災地や世界の色々な戦地に行きそこでも「大丈夫になるから。大丈夫にできるから。」と言って回ったのです。
私は子どもの頃,「無差別挨拶爆撃機」として近所の人にことごとく笑顔で挨拶をして回っていたという話を
昔母親から聞いたことがありましたが,
今回の魂の旅で「その頃の魂は今でも私の中で生きていたのだな」と思いました。
飛び回っていた私は,きっと子どもの頃の私の魂そのままだったのだと思います。
改めて「三つ子の魂百まで」という言葉は本当だな,と感じました。
大人になるにつれてからだもこころも頑なになっていき,それが魂を窮屈にしてしまうだけで,
三つ子の魂は決して失われるものではないのだな,からだの奥の方でずっと生きているのだな,と。
そして,亡くなった方はこの世にちゃんといるのだな,とも思いました。
女神山での体験で,従兄は今でも私のそばにいるのだと感じられるようになりましたが,
今回の魂の旅でそれが確信に変わりました。
従兄は今もあちらこちらを飛び回りながら笑顔で「大丈夫!大丈夫!」とみんなに言って回っているのだと思います。
こんな旅ができる場を作ってくださった原キョウコさん,プロデューサーの大正まろんさん,
そして,今回参加された皆さんに感謝申し上げます。ありがとうございました。
******************
Aさんは、身体の奥にある魂が呼び起こされたような体験をされました。
こんなにも純真で喜びに溢れていてお茶目な魂!!
わたしも以前、Aさんのような体験をしたことがあります。
とても自由で楽でした。思わず顔がほころんだくらい。
死は永遠の別れではなく
ある次元に移行することなんだよなあ、としみじみ思います。
そして悲しいけれど、
絶望することではないんだ、と思います。
私たちもまた、移行する日がやって来るから。
死は知らない世界ゆえに不安を呼び起こすこともあるけれど
こんな風に体験することができたら、
死への恐怖や嫌悪感は軽減されますね。
そして生きている間に
しっかりと魂を磨きたいですね!
・身体感覚をなるべく丁寧に追っていくこと
そこから動き出しの手がかりを見つけること
・身体感覚の中にあるイメージや感情を身体と結んでいくこと
それにぴったりくる言葉を見つけていくこと
・自分の明確な意思による動きではなく
重さや身体感覚に誘発される動きに身をゆだねること
などの作業を行っていますが
もうひとつ、
イメージを使って動くことを重要視しています。
基本的には誘導瞑想のように
言葉でイメージを投げかけ
それを参加されているひとり一人が思い浮かぶビジュアルの世界に入り、動いていく。
先日の大阪WSでも、
最終セッションで「スピリット・ジャーニー」というワークを行いました。
その際に、
ああ、なんてすごいことだろう、という体験をされた方が何人かいらしたのであります。
ご本人にその体験を書いていただけるようお願いしましたので
2つ、掲載します。
死を怖いものと感じる方、
大切な存在をなくされた経験のある方には、
ぜひ読んでいただけたらと思います。
その1。Aさん(男性)***********
今回,原キョウコさんのワークショップの最後に「魂の旅」を体験するワークがありました。
イメージの世界で一度自分の肉体を脱ぎ捨てて魂だけになり,
色々な人に会いに行ったり色々なところへ行ったりするというもので,
私自身ごく最近に「小死」という言葉に触れる機会が何度かあったので強いシンクロニシティーを感じました。
「魂の旅」と書くと訝る人もいるかもしれませんが,自分の原風景,自分の原イメージなども含めて,
自分の「原」なるものとしての「魂」に向き合わせてもらえる作業だったように思います。
この「魂の旅」の導入としてイメージで泉の中に入っていったのですが,
私はここで7年前に死んだ従兄のことを思い出しました。
私の従兄は7年前の夏に海で溺れて亡くなり,私はそれに対してずっとある罪悪感を背負い続けていました。
その罪悪感については,原さん主催の女神山の合宿で自分なりに昇華することができていたので
今回は大きく感情を揺さぶられることもなく,従兄の死を私自身の死と重ねて追体験してみようと思えました。
泉の底に沈んでいきつつ水面から差し込む光を見ながら「今から自分は死ぬんだ」と思った時,
無念や後悔に涙が溢れてきました。
しかし,そこから泉の中のトンネルをくぐり抜け自分の肉体を脱ぎ捨てるイメージを描いた瞬間,
私はなんと笑いながら軽やかに飛び回り始めたのです。
これは私にとってはとても意外なことでした。
イメージのトンネルの出口に向かいながら
私は「きっと私は死んだ後,未練たらしく現世をうろちょろするんだろうな」とぼんやりと思っていたのです。
ところが,肉体を脱ぎ捨てた私はピーターパンのように身軽に世界中を飛び回り始めたのです。
それも飛び回れるのが嬉しくて仕方がないという風に満面の笑みで。
まるで何かの枷を外されて晴れて自由の身になったようでした。
そして私の魂は,私の死を悲しむであろう人たちのところに飛んでいき
笑顔で「心配しないで。大丈夫,大丈夫。」と声をかけて回ったのです。
そして次に,私が過去に傷つけた人たちのところへ行き,その人たちに「ごめんね。」と言いながら抱きしめ
「でも,これからは私が力になるからね。大丈夫。」と伝え,
そして,地震の被災地や世界の色々な戦地に行きそこでも「大丈夫になるから。大丈夫にできるから。」と言って回ったのです。
私は子どもの頃,「無差別挨拶爆撃機」として近所の人にことごとく笑顔で挨拶をして回っていたという話を
昔母親から聞いたことがありましたが,
今回の魂の旅で「その頃の魂は今でも私の中で生きていたのだな」と思いました。
飛び回っていた私は,きっと子どもの頃の私の魂そのままだったのだと思います。
改めて「三つ子の魂百まで」という言葉は本当だな,と感じました。
大人になるにつれてからだもこころも頑なになっていき,それが魂を窮屈にしてしまうだけで,
三つ子の魂は決して失われるものではないのだな,からだの奥の方でずっと生きているのだな,と。
そして,亡くなった方はこの世にちゃんといるのだな,とも思いました。
女神山での体験で,従兄は今でも私のそばにいるのだと感じられるようになりましたが,
今回の魂の旅でそれが確信に変わりました。
従兄は今もあちらこちらを飛び回りながら笑顔で「大丈夫!大丈夫!」とみんなに言って回っているのだと思います。
こんな旅ができる場を作ってくださった原キョウコさん,プロデューサーの大正まろんさん,
そして,今回参加された皆さんに感謝申し上げます。ありがとうございました。
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Aさんは、身体の奥にある魂が呼び起こされたような体験をされました。
こんなにも純真で喜びに溢れていてお茶目な魂!!
わたしも以前、Aさんのような体験をしたことがあります。
とても自由で楽でした。思わず顔がほころんだくらい。
死は永遠の別れではなく
ある次元に移行することなんだよなあ、としみじみ思います。
そして悲しいけれど、
絶望することではないんだ、と思います。
私たちもまた、移行する日がやって来るから。
死は知らない世界ゆえに不安を呼び起こすこともあるけれど
こんな風に体験することができたら、
死への恐怖や嫌悪感は軽減されますね。
そして生きている間に
しっかりと魂を磨きたいですね!