「理解」に囚われることは、私たちに「理解」以外の技法を、さまざまな「他者といる技法」の回路を開くことを閉ざしてしまう。それ以外の技法を開いておけば、このような着地点に着地しなくてもすむのに、「理解」に囚われるとそれができなくなってしまう。 -奥村隆『他者といる技法』
もうみんなマヒしたんだろうな、NHKニュースで管理区域越えの放射線量が出ているとは、天気予報じゃないとは。
NHK福島放送局
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大木のなかにカミが宿っているというのは、その木、その幹のどこかにケシ粒、ゴマ粒のようなカミの姿が隠れている、というのではなかったのである。その木があるとき、あるところで、全宇宙の化身になる。やさしい、しかし怖ろしい、美しい、しかし醜い全自然を表現する、ということなのである。
おぼろげであっても、実現するための方策がよく分からなくても、こうありたい/こうなりたい、と思う気持があれば、それは叶っているんだ、ということを改めて発見。こうありたい未来に意識を向けると、未来からもエネルギーが流れ込んでくる。そのメカニズムに気づいたら、それをやるのがベスト。
押さえておきたい、「ほんまもん」の京料理を京都レストランウィークで|特集|エキサイトイズム media.excite.co.jp/ism/163/ @Excite_ismさんから
(文楽)伝統芸能と、動員。これほど相反する用語はない。文楽側は市長の仕掛けた動員競争に乗った時点で負けはみえてた。伝統芸能に必要なのは動員ではなく保存、継承、そして教育。大阪が文化遺産を見捨てるなら、大阪も滅びる。 pic.twitter.com/o5niiojlEc